第102話:共存継承戦⑩
ヴォルツの杖の先が、乾いた音を立てて地面を叩いた。
「……なるほどのう」
ヴォルツはゆっくりと顎を撫でる。
その目は細められていた。
「小娘」
口元がわずかに歪む。
「おぬしの考え……悪くはない」
三種族の長たちがわずかに顔を上げた。
エフィナも驚いたように目を瞬かせる。
ヴォルツは続けた。
「理屈は通っておる」
杖を軽く回す。
「確かに三種族で維持すれば」
「資源の破壊も起きにくい」
「裏切りもすぐ分かる」
一歩だけエフィナに近づく。
「つまり」
「机の上の話としては、上出来じゃ」
その声には、かすかな皮肉が混じっていた。
エフィナの眉がわずかに寄る。
ヴォルツはゆっくり振り返り、三種族の長たちを見回した。
「だがな」
杖の先で地面を軽くなぞる。
「問題はそこではない」
ヴォルツの声が低くなる。
「先ほども言ったが、そんな面倒なことを……」
一拍置く。
「誰が本気でやる?」
その言葉が、峡谷の空気を冷やした。
ヴォルツは巨人族の長を見る。
「巨人族」
「水源の守りを、毎年続けるか?」
巨人族の長は腕を組んだまま黙っている。
ヴォルツは獣族の長を見る。
「獣族」
「狩場でもない場所を、巡回し続けるか?」
獣族の長の尻尾がゆっくり揺れる。
だが、答えはない。
最後に影の一門の長を見る。
「影の一門」
「水を使うわけでもない種族のために」
「水脈管理を続けるか?」
影の一門の長は静かに目を伏せた。
沈黙。
峡谷に風の音だけが流れる。
ヴォルツはその様子を眺めていた。
そして——
ゆっくりと、口元を吊り上げる。
「……ほれ」
ニヤリと笑った。
「やはりそうだ」
杖を軽く叩く。
「理想は美しい」
「だが現実は違う」
ヴォルツは振り返り、エフィナを見下ろした。
「三種族が常に協力する?」
鼻で笑う。
「そんなもの」
「百年持てば奇跡じゃ」
そして三種族の長に向き直る。
「だからこそ」
「単純な仕組みが必要なのだ」
杖を地面に打ちつける。
カン、と音が響いた。
「私の輪番制は」
「誰も信じる必要がない」
「ただ順番を守ればいい」
三種族の長たちがゆっくり頷き始める。
巨人族の長が低く言った。
「……確かに」
獣族の長も唸る。
「面倒な協力など続かん」
影の一門の長も静かに言う。
「単純な仕組みの方が長く続く」
ヴォルツは満足そうに頷いた。
「そういうことだ」
そして杖を軽く振る。
「では」
「先ほどの話に戻るとしよう」
三種族の長たちも同意するように動いた。
巨人族の長が口を開く。
「それで——」
その時だった。
「……あんたら」
低い声が、後ろから響いた。
全員の動きが止まる。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、カナトだった。
腕を組んだまま、三種族を見ている。
その表情は静かだった。
だが、その目は鋭かった。
カナトは一歩前に出る。
そして、はっきりと言った。
「本気で共存するつもりはあるのか?」
峡谷の空気が、一瞬で凍りついた。
カナトの言葉が峡谷に落ちたあと、誰もすぐには口を開かなかった。
巨人族、獣族、影の一門。
三種族の長たちは、まるで予想外の石を投げ込まれたかのように沈黙している。
その沈黙の中で、カナトはゆっくりと歩き出した。
一歩。
また一歩。
やがて三種族の前まで来ると、腕をほどき、真正面から彼らを見据える。
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「……真剣に考えろ」
低く、はっきりと告げる。
「ヴォルツの案のまま行くか」
「エフィナの案を取り入れるか」
視線をゆっくりと三種族に巡らせる。
「決めるのは——あんたらだ」
その言葉に、巨人族の長がわずかに眉を動かした。
カナトは続ける。
「ヴォルツも」
後ろを振り返り、老人を見る。
「エフィナも」
横目でエフィナを見る。
「この話し合いが終われば、この地を去る」
峡谷の風が吹いた。
カナトの声が少しだけ鋭くなる。
「もし問題が起きても」
「簡単には戻ってこれない」
一歩踏み出す。
「つまり」
「この先どうなるかは」
三種族を指し示す。
「全部、あんたら次第だ」
そして、命令するように言った。
「だから」
「もう一度、ちゃんと考えて答えを出せ」
命令口調だった。
その言葉は、巨人族にも、獣族にも、影の一門にも、等しく突き刺さった。
三種族は黙ったまま動かない。
峡谷には、風の音しかない。
しばらくして——
カナトは、ふっと息を吐いた。
そして表情を少しだけ緩めた。
「……別にさ」
肩を軽くすくめる。
「ヴォルツの案でも」
「エフィナの案でも」
「ピンとこないなら、それでもいい」
三種族がわずかに顔を上げる。
カナトは続けた。
「今出てる案が」
「絶対の正解ってわけじゃない」
エフィナが驚いたようにカナトを見る。
ヴォルツは目を細めた。
カナトは三種族を見ながら言う。
「本当は」
少しだけ声を落とす。
「共存の道ってのは」
「外から来た奴が全部決めるもんじゃない」
峡谷の岩壁に声が反響する。
「本来なら」
「当事者のあんたらが」
「自分たちで見つけるべきなんだ」
一拍置く。
「……でも」
カナトは周囲を見回す。
荒れた峡谷。
削れた岩。
戦いの跡が残る土地。
「今まで」
「力で全部解決してきた世界だろ」
その言葉に、三種族の長たちの表情が少し変わる。
カナトは静かに言った。
「この魔界じゃ」
「そういうやり方は」
「難しかったんじゃないのか?」
しばらく沈黙が流れた。
やがて——
巨人族の長が、低く息を吐いた。
「……ああ」
重い声だった。
獣族の長も、肩を落とす。
「その通りだ」
影の一門の長も、静かに頷く。
カナトはさらに一歩近づいた。
そして、まっすぐに聞いた。
「じゃあ」
「なんで共存を求めた?」
「今まで通り戦えばよかっただろ」
その問いは、鋭かった。
三種族の長たちは互いに顔を見合わせる。
長い沈黙。
そして——
最初に口を開いたのは、獣族の長だった。
大きく息を吐き、地面を見ながら言う。
「……疲れたんだ」
その一言だった。
巨人族の長がゆっくり頷く。
「争いに勝っても」
拳を握る。
「次の争いが来る」
影の一門の長が、静かに続けた。
「守ったはずの土地も」
「また奪われる」
その声は、どこか虚しかった。
獣族の長が顔を上げる。
「何十年も」
「何百年も」
「同じことの繰り返しだ」
巨人族の長が低く唸る。
「敵を倒しても」
「別の敵が生まれる」
影の一門の長が、静かに言った。
「そして」
「また血が流れる」
三種族の視線が、ゆっくりと地面に落ちていく。
獣族の長がぽつりと呟いた。
「……もう」
そして、はっきりと言う。
「疲れたんだ」
その言葉には、長い長い戦いの重みが滲んでいた。




