自然摂理
連なっていた丘を降りきるのに一日をかけ、翌日。歩き詰めで行き着いた場所は気持ちが良いほどの草原だった。
芝のような草が地を埋め尽くし、所々腰ほどの高さの草むらが茂る。集団からはぐれた2、3木のが開けた視界の中で存在感を示す。近くにも小高い丘が重なり、遠くにも見えるそれは薄く白んでいた。
ひたすらに広大な景色の中は、如何に自分が小さな存在かを考えさせるほどだ。高低差に勢いを増していた川も、幅が広くなって穏やかさを取り戻している。
一度地図を見て確認したが、情報の通りこの川を通っていけば目的の城下町が見えてくるはずだ。
特にこれといった出来事はなく、上げるとすれば時折出てくる動物にアンナが目を輝かせていたぐらいだ。
生き物の進化とは、ある種の完成形を目指してそれに近付いていくものらしい。空を飛ぶ「鳥」は元の世界で見たことがあるものの造形と大差なかった。
自然の雄大さに当てられて、こちらの歩みもゆったりとしたものになる。それもあってか、川の水を飲む大型動物にある程度近付いても全く気付かれなかった。その姿は例えるなら牛だ。図太い胴体にそれを支える逞しい脚。体に比べて小さめな尻尾が伸びていて、川に近づけている顔にはつぶらな瞳と一本角が生えていた。
それらが数十匹で群れを成している姿を間近で見られるのはそうあることじゃない。
俺もアンナも驚きと共に自然と屈んでいた。
「凄いですね、あれ。旅人さんは見たことありますか?」
「いや、こんな大きな群れをこんな近くでは見たことないな」
ほぇ~、と返事とも取れない間抜けな声を聞きながら、なおその群れを見続ける。ややあって、満足そうに顔を上げた一匹が、途端に大きな声を上げて一目散に走り始めた。
こちらに気付いたか、と軽く身構えたがどうやらそうではないらしい。こことは別の方向を見て、先頭の後を追うように逃げ出していく。だが、その内反応が遅れているグループができはじめる。
それは怪我をしているように見える奴や、子供とそれに付き添う親ばかりだ。何がどうした、と思わずこちらも周囲を見回す。
何もないじゃないか、と正面に目を戻した頃には、視界の中に赤色が舞っていた。喉の奥を震わせた、籠もった悲鳴が木霊する。
逃げ遅れて固まっていた数匹の集団に、大きな杭が降り注いでいた。事に気づいて逃げようにも、負傷は重く地面に体を縫い合わされて逃げることができない。凶暴な雨は続き、串刺しの死体が幾つも出来上がった。
心配になって隣を見やると、アンナは両目を抑えて顔を伏せていた。人の死を経験したとはいえ、だからこそそれを思い出してしまうのだろう。あまり見ない方が良い。
何が起きたかと再び前方を見やると、左手の丘の上からガラガラとした汚い叫びを上げて何かが降りてきていた。
背の高さは殺された動物と同じ高さ程しかない。頭でっかち気味で体は小さく、細長い手と指が特徴的だった。その手にはボロボロのナイフが握られている。荒く周りの様子を確認したその一匹は、またも汚い声を上げた。
その拍子にそいつと似たような姿をした生き物が十数匹集まり、磔になった大型動物に直接食らいついていく。ニチャニチャとこちらまで聞こえてきそうな下品な食べ方に、気付けば口元を抑えていた。
間違いない、モンスターだ。それも恐らく最もメジャーで最も恐ろしい種類の。
頭の中のノートの情報と照らし合わせれば、それはゴブリンと呼ばれるモンスターの筈だった。危険度は相当高かったはずだ。見た目に寄らず力が強く、更に独自の言語を話すほど知能が高いらしい。
先に気付いただけでも運が良かった。川という大きな目印もある、ここは一旦隠れるべきだろう。
「アンナ」
呼びかけながらその肩を叩く。不安そうに顔を上げこちらを見た後、その視線を正面に向けた。
そこにあるのはいわば地獄であり、ともすれば昨日見たそれよりグロテスクなものだ。酷く邪悪な笑みを浮かべ、屍肉を貪るその姿にアンナが小さな悲鳴を上げる。
その瞬間、肉にかぶりつこうとしていた一匹が素早くこちらへ振り向いた。
咄嗟に背中の剣に手を掛け、引くと同時に俺を指さして叫ばれる。完全にこちらへ注意の向かったゴブリン達は、食事を中断された不機嫌さを露わに得物を構え、走り寄ってくる。手の空いていた奴は血に濡れた杭を引き抜こうとしていた。
マズい、あれほど耳が良いとは思わなかった。焦ってただ呼びかけたのが失策だったか。
「アンナ、動けるか」
「ご、ごめんなさい。何とか、動けます」
未だ腰が抜けているという様子だったが、俺の声に気丈に立ち上がり、申し訳なさそうな顔を向けてくる。
その表情にできるだけ無理のない様に笑いかけた。
「巻き込まれないように隠れておいてくれ。できるだけ近いと良い」
「わかりました」
心配そうにちらちらと視線を送りながらアンナが離れていく。それに大丈夫だ、と頷きを返した。
正直なことを言えば、俺の技術ではアンナを守るように戦うことはできない。離れていてくれた方が助かる。
俺の剣がぎりぎり届かない距離でゴブリンは立ち止まり、そこから扇に取り囲むような位置取りをしてくる。俺が一方に仕掛ければ自然と背中が取れるといった具合だ。
流石に慣れているといったところか。
軽く息を吐き、震えを抑えるように強く剣を握る。ゴブリンは俺の胸ぐらいまでの身長しかないが、その凶暴性は嫌と言うほど見た。頭がある分あのゾンビ集団より手強いかもしれない。一瞬でも油断すれば命を取られる。
一挙手一投足見逃さないと正面の一匹を睨むと、血に滴るその口をぱっくりと開けて叫びながら飛び掛かってきた。
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