お前だけは
やたらと晴れやかな笑顔で放たれた言葉に、ただ立ち尽くす。
力の抜けた両手がだらんと垂れ下がって、頭が真っ白になった。どれほど今の俺は情けない顔をしているんだろうか、自分の表情がくしゃくしゃに歪んでいくのを感じる。
俺の様子に一旦顔を伏せたハルトは、ややあって顔を戻し、今度は俺も哀しいよって顔でこちらを見やった。
「すまないが早くしてくれないか。これでも何とか精一杯保ってるんだ」
「それは、その、どうにもならないのか」
「どうにかする時間があるのならな。余裕、無いだろ」
「俺が、今こいつを倒せば、それは治らないのか」
「は、冗談言うな。俺が不覚を取った相手をお前がホイホイ倒せば俺が困るぜ。嫉妬で刺しちまうかもしれねぇ」
「でも、可能性がないわけじゃないだろ!」
「……なぁ、頼むよ」
どこまでも穏やかで、それはそいつが言う精一杯の状態とは思えないような声で、ハルトは言う。
「俺は、俺の村を襲ったこんな奴らと一緒になりたくないんだ。死ぬときは、人のままで死なせてくれ」
その表情を、俺は誰よりも知っていた。
何もかもを諦めて、委ねて、自棄の末に全てを受け入れた顔だ。自分の有り様に悪態を吐くことしかできなくなって、ただ思い出を抱きしめたまま終わろうとする、そんな最低最悪の状態だ。
何でまた、俺はその表情を見なければならないのか。
まだ何かある。手を打て。終わっていない。これはあの時とは違う、手遅れじゃないはず──!
思考の止まっていた頭を無理矢理回転させていく。何かわからないかと、揺れる影を横目に見る。
相変わらず定点から動かずに、ひたすらにハルトの方へ手を向けている。さっきのハルトの反応から、あの手を向けられることによってゾンビ化の進行を早めているに違いないはずだ。
俺という敵が目の前に居るにも関わらずそれを優先させるとはどういう訳あっての行動だろうか。単純に俺が動き出す前にゾンビを作り上げ、戦闘を優位に進めるためか。今の所それしか考えられないが、それは余裕があり過ぎるようにも思える。
いや、そもそもこいつがゾンビを操っている立場なら、こんな場所に出張る必要はないはずだ。ただゾンビを差し向けて、消耗して死ぬのを待てばいい。生かして捕らえようとする意志はゾンビの動きからは感じられなかった。
何が目的でここに居る? 何をするために出てきたんだ?
いや、或いはそれとも。
ただ人が死にゾンビになる様を見るために、それを愉快愉快と笑うために、ここに出てきたというのか。
「なぁ」
目の前から声がして、バッと顔を戻す。そこにはゆっくりと剣を構えているハルトがいた。
消えた表情と構えからは、明確にお前を襲うという殺気が感じられる。
「悪い。もう、保たなかったみたいだ」
「いや、いいや嘘だ。その様子じゃまだ自我があるんだろ。堪えられるんだろ? なぁ!?」
「どうだかな。無理を言わないでくれ」
ハルトは体を半身にして、ゆったりと歩み寄り始める。さっきと比べものにならないほど真剣になった目つきに、思わず剣を構えずには居られなかった。
後ずさりながら正眼に剣を構える俺に、それでいいというような満足げな笑みが向けられる。
「思えば、お前とは1回も剣を交えてなかったな」
「やめてくれ。冗談にしてはキツすぎるぞ」
「こんなときまで冗談は言わねぇよ。……さぁ、行くぞ」
言うと共にハルトは一瞬で距離を詰めてくる。速い、下へ潜るような踏み込みをただ目だけで追う。体が動かない。動けば殺してしまうという警告が、俺の体にブレーキをかける。
そうして、重い重い衝撃が俺の体に響いた。
手の平から肩までじわりと染み入るように。
「反応、遅いな。こいつは俺の勝ちって事でいいか」
真正面に構えていた剣が、ハルトの左胸から腹までを引き裂いていた。ドロッとした血が噴き出して手の甲を伝う。それは酷く冷たくて、既に手遅れという彼の言葉を思い出した。
力の抜けた体がのしかかってくる。耳元でゴフッと血を吐く音がした。
「お前!」
「耳元で大声出すなよ。うるせぇな」
剣の根元を掴み、そこからまた血を滲ませながらハルトが上体を起こす。もう左目辺りまで進んでいたゾンビ化は、ピタリと止んでいるようだった。
こんなときにもただ状態を俯瞰しているような最低な自分が居て、最高に腹が立つ。
「悪いな。俺も親父も、お前には任せっぱなしだった」
「そんなことどうだって良いだろ。なんだって、こんな事」
「はは、ああ、最後にもう一つ、お願いしていいか。一度きりって、言ったばっかで、すまないが」
「いい。言え」
こんなときに限って単調な素っ気ない言葉しか出てこない。そんな俺を、ハルトはもう色んな感情全てがごちゃ混ぜになったような顔で笑った。
「アンナと、そこのそいつ、頼むぜ」
答えを聞かず、俺の肩を突き飛ばしてハルトの体から剣が抜ける。つっかえの無くなった体はそのまま重力に従って、鈍い音を立てて地面に伏した。
そして。
俺の心臓の奥深くが、痛いほどに強い一拍を刻む。
「う、ああ」
押し出された息が、口の震えを受けて吐き出される。小刻みに戦慄く口元を抑えても、一向に震えは引いてくれなかった。
叫びも嘆きもなく、溢れ出た感情がただ呻くように流れ出る。
殺した。俺の手で。
「ああ、ぐ、うう」
込み上がる涙を歯を食い縛って堪える。全身の震えでガタガタと歯が鳴るが、それでも堪える。
託された。死に際に、幾つもの思いを託されたんだ。
アンドルフさんの願いすら、結局は果たせなかった。そんな俺に、最期の一瞬を賭けて、思いを願いを残したんだ。
絶対に、こんな所で泣いている場合ではない。
右に握った剣の柄を強く強く握りしめ、まだ浮かび上がる色んな感情を斬り払う。
残ったわだかまりを重く吐き出して、正面の影へ向き直る。もう、大丈夫だ。涙と別れの文句は、役目を果たしてからで良い。
傍観を決め込んでいた影はやっと動き出していた。だがそれはこちらを攻撃しようというものではなく、右手の杖を軽く振り回して、そして不思議そうにそれを見るを繰り返している。
意味があるとは思えない行動の真意を探るため、さっきから一方を指すように振られている杖の先を辿った。
その先には、もう動かないハルトが居て。
それを何度も何度も杖で指しながら、また不思議そうな仕草をしている。
いや、まさか。まさかだが。
こいつがゾンビを操れて、そして生きたままの人間だけではなくその死体すらもすぐにゾンビにする力があるとしたら。
村を襲ったのもただそれが目的で、追い出そうと仕向けたのはそれこそ加護が邪魔で術が掛けられないだけだとしたら。
今も熱心に杖を振るっているのも、今殺したハルトをもう一度蘇らせて、俺に二度殺させようとしているのだったら。
どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ。
まだ残っていた苦痛や哀しみが、一瞬で怒りに変わっていく。燃え上がるように血が熱くなって、強く強く心臓を叩いた。
ふつふつと湧く怒りにわずかに震える手を抑え、まだ行動を繰り返している影へと剣先を向ける。
「お前だけは、殺す」




