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願えば

 鼓舞のための(たけ)りが森を駆け抜け、腐肉と血液が宙を舞う。

 戦うと決め込んでから数秒で辺りは訳のわからない混戦状態となっていた。いや、厳密に言えばそうではないのだろうが、もうハルトのことを考える余裕も無い。

 後から追い掛けてきたゾンビの数は夥しいものであり、しかもそれらは駆け抜けたときと違ってこちらを視認すると活発化してきた。雪崩のように襲い来るそれらを、剣をひたすらに振り回すようにして応戦している。

 知能が低く全く連携できておらず、むしろ互いに足を引っ張り合っているのが幸いだ。


「アァッ!!」


 押しかけてきたゾンビの戦闘の一匹を、気合いと共にかち上げる。喉元から顎にかけて大きく切れ込みを入れられたそれは、大きく後ろにのけぞった。

 だがその程度で勢いは止まらず、今度はそのゾンビが吹き飛ばされるようにして前に倒れてくる。半歩下がって躱し、倒れた胴体に踏み込みを食らわせた。

 その勢いのまま剣を薙ぐ。巻き込まれたのは3体。刎ねた首が宙を舞う。

 またも前方に倒れてくるそれらのうち1体に蹴りを浴びせ、後続のゾンビごと尻餅をつかせた。1体の首元に剣を突き立て、すぐさま離れる。


 まったく、キリが無い。こうして時々余裕を作らないといずれ物量で押し潰されそうだ。倒せば倒すほど力が湧き上がってくるのもあって疲れ知らずなのはいいんだが。

 最初の方こそ手こずったが、数体斬り伏せてからは寧ろ力技で薙ぎ払えるようになっていた。技術があるわけでもない俺にはこっちの方が気が楽だ。

 重なった死体をやっとこさ押しのけ、またもこちらに進軍を始めるゾンビの集団に平突きを放つ。何体かの土手っ腹を貫いた感触を確認し、そこから引き抜くついでに大きく右に薙ぎ払う。その隙にと腕を振り上げた左のゾンビの一撃を、潜り込むように姿勢を下げて躱した。

 上体を元に戻すと共に、そのまま左の集団へかち上げ突きを浴びせる。一旦素早く体勢を整え、休むことなく正面を袈裟に払った。

 そこからもうでたらめに、重心の動きにあわせて右から左へ、左から上段、振り下ろして下段と攻撃を繋いでいく。振り回す力に技量が追いつかず腕が軋む。だがそれでもと徐々に腕のサイクルを上げ、剣を繰り出し続けた。

 リーチに入ったものは腕であれ脚であれ斬り飛ばしていく。体の一部を失ったことに畏怖し、後退しようとしても背後の仲間がそれを許してくれない。結果押し潰されるように剣に付く血が増えていく。


 だが、唐突にそのサイクルは止まった。ガッと音を立て硬質な何かにぶつかった剣は、今までの勢いは何だったのかビクとも動いてくれない。

 焦って右手の先を見ると、剣先は近場にあった木の真ん中まで切れ込みを入れ、深々とめり込んでいた。

 そうして生まれた一瞬の隙、好機と言わんばかりにゾンビの雪崩が勢いを増す。


「舐めんな」


 咄嗟に先頭へ左の松明を押しつける。ジュウっという腐肉の焦げる音が鳴り、一層呻き声を大きくしながら顔を押さえて暴れ始めた。その周りに居たゾンビが、その取り乱しように隊列を崩す。

 その暴れるゾンビに右肩でタックルをかまし、吹き飛ばす。まだ尚暴れるそいつに巻き込まれるようにして後ろのゾンビが倒れた。

 チャンスは今しか無い。

 松明を足元へ投げ捨て剣の柄を両手で掴む。力任せに後ろへ引っ張ると、それはやっと木の束縛から解放された。切れ込みの支えを失った木がギシギシと軋みを上げる。

 それを勢いよく蹴りつけ、ゾンビの集団の方向へと押し倒した。巻き込まれておらずこちらへ駆け寄ろうとしていたゾンビまでその木の下敷きになり潰れる。足元の松明を拾い、なんとか立て直したようだなと安堵の息を吐いた。


「旅人さん!」


 後ろからソプラノの声がして振り返る。ハルトの方に巻き込まれないようにだろう、アンナが小走りにこちらへ寄っていた。

 こっちを向いたことを確認するとキッとその顔を真剣なものにして、大事そうに胸に抱えた何かを下投げに放ってくる。綺麗な放物線を描くそれを、抱き込むようにして受け取った。塞がった両手でなんとかしてそれが何かを確認しようとする。


「荷物の中にありました! オイルです、必要かと思って!」

「ああ、なるほどな! でかした、凄く助かる!」


 手早く剣に付いた血を払い鞘に戻す。空いた右手にスキットルのような入れ物に入ったオイルを持ち、それを噛んでキャップを開けた。

 どうせ使う予定はない、出し惜しみせず使ってしまえ。

 ヤケクソになってしまったようにハイになってる頭に任せ、やっと木の下から這いずり始めたゾンビの集団へオイルを撒く。右手を振り回して広範囲に渡ったであろうそこから、残った少量の油で拙い導火線を引いた。

 丁度倒れた木が道を塞ぐ形だ。燃やしてしまえばまだ後ろに居たとしても当分はこちらに来れないだろう。

 松明の先端を地面に押しつけると、油という最高のパートナーを得た火が蛇のように伸びていく。そうして倒れた木に到着すると、爆発したかのように大きく燃え上がった。


 口笛を吹こうと思ったが、俺はそこまで器用な人間じゃなかったらしい。乾いた息が微かな音を立てるだけで、空っぽになった肺が焦げ臭い空気を求めて膨らみ、結果咽せた。

 けほけほと咳をする俺に、心配そうにアンナが駆け寄る。


「大丈夫ですか?」

「全然。それよりも助かった、あれがなければどうしようかと」


 右手でアンナの頭を軽く撫でて、そこで汚れている手でやってしまったか、とすぐ後悔する。だがアンナが照れ混じりのくすぐったそうな笑顔を浮かべたので一安心した。

 これで終わりなら良かったのだが、まだこれ以上に大きな問題が残っている。

 パッと小さな頭から手を離し、それを再び剣にかけた。


「アンナはここに居てくれ。あの火をゾンビが越えてきたら教えて欲しい。いいな?」

「はい。わかりました」


 聞き分けよく頷いてくれたので、ハルトの元に急ぐ。ここから窺える様子では、ゾンビは2体とも地に伏しておりハルトとあの影の1対1の状態だった。

 流石としか言いようがない。

 そう距離が離れていたわけでは無いので、すぐさまハルトの隣に立つ。


「やるな、ゾンビは2体片付けたのか」

「……ああ。そうだな」


 俺が来たことで安堵したのか、ハルトが空を見上げて息を吐き出す。見ると左手で強く右腕を押さえていた。怪我をしているのかもしれない。


「どこか怪我してるのか」

「ん? いや、ケガはシてねェ。どこもな。だいじょうぶだ」

「ならいい、後はアイツ1体だ。やるぞ」

「イヤ、ワリィな。あとゾンビが1体、ノコっちまっている」


 いつもと何処か声の調子が違うので、怪訝そうにハルトを見やる。ハルトも不甲斐ない、といった笑みでこちらを見ていた。

 その姿を見て、息を呑んだ。

 首から左の頬まで、ジュグジュグと小さくおぞましい音を立てて肉が腐っていた。その腐食は今も進行しているらしく、少しずつその蠢きを広げて行っている。よく見れば右手を押さえている左手も、殆ど腐りかけていた。

 これは、まるで今まで相手してきた、忌まわしいゾンビそのものじゃないか。


「お、お前、どう、して?」


 戦慄いて言葉にならなかった声が、やっと聞き取れる言葉になってくれる。俺の動揺しきった台詞を聞いて、ハルトが声を上げて笑った。その様子はあまりに自嘲的で、見るに堪えない。


「フ、ハハ。はぁ、油断、したんだよ。油断。アイツの杖に何かねぇ筈もねぇのに、うかうか近付いてこのザマ、だ」


 絞り出すようにいつもの調子を取り戻して、ハルトが答える。


「アイツの杖に触れたらおしまいだ。一瞬でこうなっちまう。今でも何とか抑えちゃ居るが、まーた油断すればお前に斬りかかっちまいそうだ」


 ハルトの言葉を何処か上の空で聞きながら、のっぺりと立ち続ける影へ目を向ける。ただただぼおっと突っ立ってるだけだったそれは、唐突に動き出してハルトの方へ手の平を向けた。


「ぐっ、うっ」

「どうした! 大丈夫か!?」

「大丈夫、大丈夫だ。だから近付くんじゃねぇ!」


 荒げた声に気圧され、駆け寄ろうとした足が止まる。肩で息をしながら、ハルトはまたニッと笑みを浮かべた。


「なぁ、一つ頼めるか。多分俺の人生一度きりのお願いだ」

「ああ。ああ、分かった。必ず叶えてやる。何でも言ってくれ」

「何だよそう意気込んで、そう難しいお願いじゃねぇよ。ただ……」


 言いづらそうにそこで言葉を止める。言わんとすることは殆ど分かっていた。だから、彼がそこで言い淀むのも、充分すぎるほどに分かった。

 だが俺がそれをするには、言ってくれないと無理だ。そうしないと、いや仮に言われたところで、俺は。

 そうして全てに決心が付いたという、今まで俺に向けた中で最高の笑顔を浮かべて、クリフハルトは言葉を紡ぐ。


「俺を殺してくれ。それだけでいい」

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