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分からず屋

「何でだよ!」


 ハルトが去った方向へ走っていくと、苛立ちを露わにした彼の声が聞こえてきた。

 そちらを見やると、(つる)んでいたらしい青年グループのリーダーっぽい人物と言い合いになっているらしい。感情の高ぶりが抑えきれない様子のハルトに対して、リーダー格の青年は実に冷静だ。その雰囲気と相まって、ガタイが良いにも関わらずシュッとした印象を与えてくる。


「ダメなものはダメだ。聞いていたぞ。お前は親父さんの指示に従え」

「だから何でだ。俺はこういう時のために今まで、お前だって分かってるだろ!」

「それは俺達が一番理解している」

「だったら何で!」

「いつまでもワガママを言うな!」


 唐突にピシャリと言い放たれた言葉に、ハルトが詰まる。リーダーの目に敵意は無い、だがひたすらに冷たかった。或いは、そう見えるのは自分がそれに徹しなければならないという緊張からだろうか。


「親父さんの気持ちはお前も分かってるはずだ。託されたのなら、その義務を果たせ」


 その言葉に反論できず押し黙っていると、それを答えと受け取ったのかリーダーが指示を出して準備に取りかかっていく。この様子からしてハルトは俺も戦わせてくれと懇願したのだろう。

 この様子だと誰も取り合ってくれなさそうだ。


「おい」

「……何だよ」


 走り去ろうとしたハルトを背後から呼び止める。声で察したのか、振り向かれることなく答えが返ってきた。


「次は何処に行く気だ。何処に行っても止められそうだが」

「お前まで、俺に戦うなって言うのか」

「そういうわけじゃない。そういうわけじゃないが、俺は、アンドルフさんに任された。お前について行って守れと」

「そうかよ」


 まるで家畜みたいに素直だな、と吐き捨てるように言って、ハルトはまた走り出した。その後ろに取り敢えずでついて行く。

 俺の土地勘が正しければ、その方向は教会がある方向ではなかったか。

 しばらく全力で走るハルトに追い縋っていくと、あの特徴的なシンボルが見えてくる。やはり向かっている場所は教会だ。もしかすると、ここにアデーラさんとアンナが居るかもしれない。

 いよいよもって周りの景色が見えなくなり、ハルトの背中を中央に捉えるだけで精一杯になったところで、その背中は立ち止まった。

 安心して両手を膝に付いて喘ぐが、ハルトはゆったり肩を上下させているだけだ。体の鍛え方が違う。


「おや、クリフハルトさん。と、旅人さんですか。どうされました?」


 ぐったりと項垂れていたが、その柔らかな声に頭を上げるそこにはまるで看板娘のように教会の扉の前に立つニルデがいた。

 教会の窓からは朧気に光が漏れていて、それを横切る影から中にたくさん人が居ることが窺える。身の安全のため、或いは身内の無事を祈るためにここには多く人が集まっているのかもしれない。


「アデーラさんに用でしたら、ここにはいらしてないですよ。多分、ご自宅にいらっしゃるのかと」

「お前に、用がある」


 息切れからか、何時になく強い語気の言葉に、ニルデが目を丸くする。そうしてから心配するように眉をひそめ、覗き込むように(かが)んだ。


「今がどういう事態か、分かってるよな」

「え、ええ。非常に危ない状態だと。もしかすると、幾つもの尊い魂が散ることになるだろうと」

「ならいい。俺はアンナと一緒にこの村から出て隠れろと言われた」

「では、祈りが必要ですか?」

「そんなものは要らない。お前も一緒に来い」


 何も隠さない直球の言葉に、俺もニルデも驚きを隠せなかった。ニルデは数秒間固まった後、胸に手を当てて申し訳なさそうに顔を背ける。


「それは、できません」

「何でだ」

「私には、ここに神の保護を受けに来た方達の助けになる義務があります。アデーラさんが来るまで、ここのことを一番よく分かっているのは私ですから」


 言葉からは拒絶の意志が感じられるのに、その声は迷うように揺れている。


「その義務を果たし続けて手遅れになったらどうする。皆、死ぬんだぞ。お前も、お前が守ろうとした奴らも」

「……そうして、私だけが生きることに、意味を感じることができません」

「どういう意味だ」


 いったい何処で整理が付いたのか、もうその声に揺れはなく、恐ろしいまでの穏やかさがあった。


「私は、気付けばずっとここで生きていました。親も家族もなく、この場所だけが、私の居場所でした。私にはここしかありません。私が生きる場所は、居て良い場所はここしかないんです。私はもう一人では生きられませんから」


 下らない身の上話をいきなり、すいません。と続いて終わったニルデの言葉をハルトは睨むほど真剣に聞いていた。

 話が終わり、辺りは緊急事態とは思えないほど静かになる。話をしている間ずっと伏せていた顔を上げたその瞬間、ハルトはニルデの腕を掴んだ。

 もう何度見たか分からない驚き顔の後、嬉しいような困ったような顔をハルトに向けるが、それでもその手は離れない。


「お前が一人では生きられないなら、俺じゃ駄目か。俺とじゃ、駄目か」


 そうして、ニルデの顔が今までで一番の驚きに歪んだ。感情がオーバーヒートしているのか、掴まれていない方の手を顔に持って行って、泣くように笑う。


「もう。ズルいですよ、貴方は」


 言いながら顔は深く伏せられ、言葉が地面に落ちる。再び上げられた顔は、離れているこちらでさえドキッとするような美しい微笑みだった。


「でも、ダメです」

「なんで……!」

「私はそうでも、貴方は一人で生きていけます。弱い人は誰かと居ないといけませんが、強い人は一人で立って歩いて行けるんです。私は弱くて、貴方は強いから。私はきっと、いつか貴方の枷になってしまいます」


 いつもより少し早い、捲し立てるかのような言葉で言い放ち、そしてニルデは続ける。


「だから、駄目です。これ以上は、困ります」


 ただただ優しくて、それ故に認める以外の答えを許さない拒絶。ハルトの歯を噛み締める音が、今にも聞こえてきそうだった。だが、ハルトはそうしなかった。悔しさに歯を食い縛っているだろうが、決して音は立てない。

 そうしてしまえば、それはきっと言葉になってしまう。弱さを漏らすことになってしまう。


「わかった」


 やっと声を絞り出してから、ハルトは教会に背を向けた。来るときのような走りはなく、ただ俯いて地面を踏みしめて歩く。

 そのハルトの背を見るニルデの表情はあくまで微笑みであり。

 だが、ただ唇が少しだけ戦慄(わなな)いていた。まるで、そこが私の弱さですと言うように。

 俺も教会に背を向けて、ハルトを追う。もう走らなくても良いというのに、何故か息が苦しかった。


◇◆◇


 死人のような足取りでハルトが向かった先は、アンドルフさんの所だった。つまりは結局最初の所に戻ってきたと言うことだ。


「親父」


 覇気のない呼びかけに、アンドルフさんは面倒くさそうに振り向く。俺達の様子を見て大体察したのだろう、大きく溜め息を吐いた。恨みがましそうな目に思わず目を逸らす。任せた、といわれたのにこのザマだ。仕方の無いことではある。


「どうした、まだなんか用か」

「俺も戦わせろ。駄目だとは言わせない」

「今にも死にそうな奴を出しても意味はない。失せろ」

「どうせお前も死ぬ気なんだろうがよ!」


 ついぞ声を荒上げたハルトを、アンドルフさんが大きく笑い飛ばす。


「なんだよ、何かおかしいところがあったかよ」

「はは、全くだな。俺がそんな簡単に死ぬとでも?」

「ッ! お前はまたそうやって!」

「なぁ、なんで人は死んじゃいけないと思う」


 機先を制すような問いかけに、ハルトは言葉が詰まる。

 人が死んではいけない理由。どうせいずれ死ぬというのに、執拗なまでに生きることにこだわる理由。そのあまりに哲学的な問いは、一度死んだ俺でさえも深く考えたことはなかった。

 死を間近に感じると、そういうことはどうでもよくなるのかもしれない。


「死んじゃいけない理由って、そりゃあ……」


 呟くように言って、そこでハルトは押し黙った。いつまで経っても答えが出ないことに呆れてか、またもアンドルフさんが溜め息を吐く。


「まぁその答えはお前がいずれ見つけていくといい。取り敢えず俺の答えを教えてやる」

「ちょ、ちょっと待てよ」

「良いから黙って聞け。いいか、人はな。自分で死に場所を選ぶまで死んじゃいけないんだ」


 それは、あまりにもアンドルフさんらしい答えだった。世界を渡り歩いて得た、旅人らしい結論だ。


「じゃあ俺は」

「馬鹿野郎。心中するみたいな考えで安く選ぶんじゃねぇ。俺の息子だろうが。自分で選びやがれ」


 先回りで否定され、ハルトは最初の頃のように奥歯を噛み締める。数秒、立ち尽くすだけの時間が続いた。


「小僧」


 いきなり横から声が入り、そちらに目を向ける。するとそこに居たのは例の頑固ジジイだった。まぁ、アンドルフさんを小僧と呼ぶ人間はこの人ぐらいしか居ないだろう。

 まさかでも戦いに参加するはずのない人物の登場に、全員が怪訝な視線を向ける。


「ん? おお、どうした爺さん。こんな所まで出てきて。家に引っ込んでたほうがいいぞ」

「こんな状況で中も外も一緒じゃわい。そんなことよりほれ、頼まれたもんを渡しに来た」

「……爺さんに頼んであったものなんてあったか?」


 その答えの代わりに、無言で爺さんが右手を出す。

 そこに握られていたのは大きな斧だった。根元の部分を持っているから何ともないのかもしれないが、振り回すなら相当重そうだ。

 アンドルフさんの目が大きく見開かれる。


「爺さん、あんたもう鉄は打たねぇんじゃなかったか。それに、あんたに斧を頼んだのは大分昔の筈だが」

「気が変わってな。そういうこともあろう。それも結構前に作った物じゃが、まぁ今とそう出来は変わるまい。じゃが少し手違いでの。木を切るより別の用途のが得意な物ができちまった」

「ふ、はははははは。爺さんやっぱボケてきたんじゃねぇか? なあ?」

「お前の脳天気よりマシじゃわい。それより、金じゃが」

「ああ、そうだな。どうする」

「明日の朝。いつも通りの時間に来い」

「……あいわかった。忘れず持ってくる。いつも通りな」


 フン、と鼻息を吐いてから爺さんは去って行く。それにアンドルフさんはまた明日な、と手を振った。いつも通りに。


「そろそろ本当に余裕が無くなる。行け。正門からじゃなく別の出口からだぞ。旅人さん、今度こそ頼んだ」

「待てよ! クソ!」


 歩き去ろうとしたアンドルフさんをハルトが追い掛けようとして、それを俺が止める。当然暴れられるが、単純な力なら剣の力が乗った俺の方が強い。


「ああ、そういや、クリフハルト」


 そうやってあっさりと別れようとした瞬間に、アンドルフさんが歩みを止める。しっかりとした名前でハルトを呼ぶのは初めてのように思えた。


「なんだ」

「下手くそな父親で悪かったな」

「……ほんとだよ、クソ親父」


 ハルトは消え入るような小さい声で返してから、抵抗をやめる。そうしてもうこの場には居られないとばかりに走り出した。

 それを追う為に走り出した背中に、男達の大きな叫びが木霊するのを感じた。

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