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ホウ・レン・ソウ

「親父、居るか」


 家のドアを開けたと同時に、ハルトが絞りかすのような声でアンドルフさんを呼ぶ。あそこからここまで休憩を挟まずほぼ全力疾走だったのだ。無理はない。俺も追い縋るので精一杯だった。

 ハルトの背中越しに部屋の様子を覗くと、そこには俺達以外は全員揃っており、突然の出来事に目を丸くしている。


「どうした、そんなに急いで。何かあったか」

「ああ、少し聞きたいことがある」


 二人でアンドルフさんの対面になるように席に座ると、アデーラさんが飲み物を運んできてくれた。喉の渇きが尋常ではなかったので、軽く礼を言って頂戴する。

 ハルトの方は余程焦っているらしく、運ばれた飲み物をすぐに一気飲みしてから話を切り出していた。


「端的に言う。村の周辺の森にゾンビが出てきた」

「手の込んだ冗談じゃなさそうだな。数は?」

「俺が見つけたのは1体。近くに他のも居るかもしれねぇ。少なくともその1体は集団ではなかった」

「わかった。アデーラ、今日そっちで何か異変はなかったよな」

「ええ、何も。ミラ様の加護は常に掛かっています」

「ならいい。となると、出現地が近いわけじゃないのか」


 旅人の時に培ったものなのだろうか。緊急時の理解力、状況把握能力は流石だった。この短いやり取りの間に、取るべき行動を整理しているのだろう。

 息が落ち着いたところで、助けになろうと情報を伝える。


「そのゾンビについてですが」

「おお旅人さん、あんたから見てどうだったんだ、そいつは」

「行動や様子は普通のものとあまり大差ないように感じましたが、背中に見たことのないマークが付いていました」

「見たことがないマーク、か。……大体でいい、これに書いてくれるか」


 近くにあった小さなメモ用紙と羽ペンを取り出し、アンドルフさんが渡してくる。受け取って、それにペンを走らせていく。模様としては実に単純なものだった、忘れるはずがない。

 V字の角の中央から線をもう一本伸ばし、そのできた3本の線を歪みない横線が繋ぐ。少し雑だが、こんな簡単な模様に上手いも下手も無いだろう。

 書き上がったそれを、ペンと共に返す。


「これです。アンドルフさんは見たことありませんか?」

「うーむ、俺も覚えが無いな。これは体に付いていた傷とかじゃなかったんだよな?」

「ええ。しっかりと浮かび上がっていました。というよりも、これ自体が生きているかのように動いていました」

「わかった。そうなると、何かの術で動いていると見て問題ないな」

「それは、誰かが死体に手を掛けて操っていると?」

「そうなるな。旅人さんが覚えている部分かは知らないが、ゾンビは基本的に死体がその地の毒、あるいは良くない空気を取り込むことで生まれる。だからここ周辺では発生しない筈なんだ。それとその紋章を考えると、誰かが復活させたっていうのが妥当だろうな」


 そこで会話が途切れ、アンドルフさんの太い指が机を叩くトントンという音だけが残る。

 もうすぐ日が落ちる。夜にゾンビを相手取るのはこれ以上無い危険だとアンドルフさん自身が最もよく分かっているはずだ。異変の調査やゾンビの退治に行くのであれば、翌朝行くべきである。

 ただ、それは一夜の間危険分子を放置しておくことに他ならない。

 誰かに操られているのなら、そこには必ず目的がある。その目的にこの村が危険に晒されるようなものがあるなら、早く対処しなければ手遅れになってしまう。

 そうなれば、流れるのは村人の血だ。


「死体を再び目覚めさせる術、ですか」

「聞いたことがあるのか、アデーラ」


 呟くような言葉に反応して、アンドルフさんが問う。アデーラさんは申し訳なさそうに目を伏せて首を横に振った。


「それは、私の所では、いいえきっと全ての教えで禁忌とされている行為です。死への冒涜は、生きている人間全てへの冒涜ですから」

「……いや、なるほどな。一つ思い出した」

「やっぱりなんかあったんだな、親父」

「いや、そう大きい発見じゃない。ただ、不老不死や二度目の生を求めるために危ないことを続ける人間が居ると聞いたことがあった。かなり昔の話だがな。絶対関わるべきではないが、お前が興味あるのなら止めはしない、ともな」


 アンドルフさんも心当たりがあるのはそれだけらしい。明確に分かったのは、この出来事には裏で何らかを企んでいる何かが居るという事だった。


「でも、わざわざ何故ここで? ミラ様の加護の元でそのようなことをするなんて、どうなるかもわからないのに」

「だからだろうな。魂の神なんて、そいつらの目的にはうってつけだ。どうにかして力を利用できないかと考えてるんだろう」

「そんな! そんな事に、利用しようとするなんて……」

「落ち着け。らしくないぞアデーラ。他にもう一つの可能性として、遠くで生まれたゾンビをここまで操ってきたというのがあるが、ゾンビの様子は特別おかしくなかったんだろう?」

「はい。何か意志を持って動いているようには見えませんでした」


 俺の答えに深く頷きながら、アンドルフさんは腕を組んで考える様子を見せる。リズム良く指が腕を叩き、数秒間深く瞑想していた。

 そして、よし、という言葉と共に目が見開かれる。


「アデーラ」

「はい」

「腹が減った。飯にしよう」

「はい?」


 ここまで落差のある「はい」を今まで見たことがあっただろうか。

 何か重大な使命を言い渡されるのでは、という覚悟と緊張に満ちた表情から一転、その顔は世界一のアホ野郎を見たといった感じのものに変わった。

 現に俺もこんなどうでも良いことを考えるくらいには動揺している。


「え、でも、あなた」

「お腹が空いたんだ。やりたいことをしようにも気になってできん。いい嫁を貰っちまったせいで舌が肥えちまってな」

「……全く、もう」


 本当にしょうがない、という感じのため息と笑みを残しつつ、アデーラさんは厨房に向かった。さっきからどうすればいいかわからない、といった様子だったアンナはすぐさまそのあとに続いていく。誰かが発言する度にそちらを向く様子はかなり可愛らしく、実は密かに和んでいたのだが。


「いいのか、親父」

「ん? 別にいつもと様子が変わらないゾンビならすぐここに来るわけじゃないだろう。後で物見の所に行って色々話せば良い。兎に角腹ごしらえが優先だ。お前も腹が減っただろ」

「それもそうだが……」

「男はな、こういう時こそドカーンと構えなきゃいけねぇんだよ。お前にはそこが足りねぇ」


 ガハハと大きく笑うアンドルフさんに、ハルトはまたも重いため息をつくのであった。


◇◆◇


 ハルトがガツガツと音が出そうなレベルで食べ物を掻き込み、それをアデーラさんが嗜めるやり取りが何度かあって食事は終わった。体感的にはいつもより10分ほど早く食べ終わってしまっている。

 俺も特別急いだわけではない。ただ張り詰めた空気がそうさせた。

 人間は目の前に大きな問題が控えていると、それ以外の全てはただの作業になるらしい。平静を装うとしても、ぎこちなさは取れず、ただそれを補おうと気付かぬうちに急いてしまう。

 まだアンドルフさんが余裕そうに見えるのは、こなしてきた場数が違うんだろう。


「よし、行くか。先ずは物見の方だ」

「おう」

「行きましょう」


 やっと響いた鶴の一声に、俺とハルトは勢いよく立ち上がる。それを見て苦笑しながら、アンドルフさんも立ち上がった。


「言っておくが夜にアイツらとやり合うのは危険だ。あくまで物見に行って、村の男達を集めて総出で見張る。現状できるのはこのぐらいだからな」

「わかってる」

「できることなら、何でもやります」


 俺達の答えを聞いて、アンドルフさんは懐かしいな、と呟いてまた笑った。

 これは誰もが経験する道なのかもしれない。いわばハルトにとっても俺にとっても、これは初陣だ。こちらが勝って当たり前の狩りではなく、殺し殺される本当の戦いとしての。

 今まで積み上げてきたものに対する自信、それを披露する高揚、そしてそれらを押し潰す大きな不安。

 勝負の場において人の感情はいつだって裸だ。


「お前ら、準備は済ん……」


 だな。というお決まりの文句が続くはずの言葉を、けたたましい鐘の音が塗り潰した。

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