第二十三夜 ~夢みる人魚~
「そうです、そっくり!上手いですね」
「な、何ですかこれは。恐ろしいっ。お嬢様良くご無事でっ」
「…この外見で、3階建の屋敷位の大きさなのですか?」
「はい、もう巨大すぎて…外見がこれでしょう?私一人では多分無理でした。
陰府の王が側にいてくれ助かりましたよ」
「こわぁ~…」
「無理だ…一生会いたくない…」
「参考程度に我々人間の大きさも描いておきましょうか…
え~と、こんな感じでしょうか?エルッヒ女官殿」
「はい、そうですね」
「何気に初めてではないですか?邪神と対面した現代人は…」
ここは防音室で、集まっているメンバーは以下の通りだ。
私、リタ、ハダル師団長、魔術師3名、ライル文官、そしてイグネシアス。
邪神アングラマイヌゥの外見を説明して、絵の上手い魔術師さんに描いて貰い、
その完成した恐ろしい姿を見て、皆んな騒ついていた。
「スノウスフィア様、お手柄でした。
お陰で貴重な情報を得る事ができました」
「いいえ、ハダル師団長。
ただの怖い体験ではなく、結果的に役に立って良かったです。
16本の腕に持っていた物を全て覚えてなくて残念でしたけど…」
「16の災難をもたらす邪神です。多分それ関連のモノではないでしょうか?」
「えっ、私にやるから選べって言われて断りましたが…罠だったんですね。
危なかったぁ~。まあ、受け取る気はサラサラありませんでしたけど」
「はっ?そんな事を言ってきたのですか?」
「ひいいいっ、絶対会いたくないっ!」
震え上がる魔術師たち。
私だってもう二度と会いたくないわ。
「領域外なのに助けに来るとは、随分陰府の王に気に入られているな」
「え~と、最初は実体化してない、金色の炎で道案内してくれたんだよ」
「ふ~ん…」
「そのお陰で帰って来れたんだからいいでしょ」
「本当は俺が助けたかった…」
謎に不貞腐れるイグネシアス。私の手を取りブラブラ揺らしている。
これ…シバルバ様へのお礼の口付けは、口が裂けても言えないわ。
「陛下は、神だろうがお構いなしに攻撃する気満々でしたでしょう?
だから止めたのです」
「…なるほど、あんなに食い下がったのはそれか、ハダル」
「邪神とはいえ、この世の理に関わる太古の神です。
下手に刺激しない方がいいのですよ」
「ふん、俺からこいつを奪う奴は全て敵だ」
「………………」
おい、いつもの国王の威厳はどうした。
まるで子供じゃん。
「あ、そうだ。ハダル師団長ちょっとご相談したいことがあって…
どうやら、私こういう不測の事態に遭いやすくなったらしいのです。
いつも誰かに助けて貰えるわけでは無いですし…
防御でも攻撃でもどっちでもいいのですが、何か便利な魔道具ありますか?
守護と加護があっても、現実では私は修復魔法しか使えないし、
心許ないのです」
「ああ、なるほど。確かにそうですね。
守護の弾く力の攻撃を使えても、接近しないといけませんからね」
「捕らえて無効化できるみたいなのってあります?」
「え…捕まえる気なのですか?」
「え?ダメですか?」
「普通女性は………いいえ失礼しました」
“ふん…変な、娘だ”
やっぱり私は変なのだろうか。だって捕まえた方が良くない?
邪神にまで “変” と言われて少しムッとしたが、まあ仕方ない。
これが私なのだ。
その後、王宮内にある魔術師団の塔に行き、様々な魔道具を見せて貰い、
魔石または自分の魔力を流し込めば使える物を中心に選んだ。
対象物に絡みついて魔力を吸い取り無効化して、捕らえることのできるムチ。
その対象物を入れて持って帰れる保存瓶。
武器としては、水晶で出来たクロスボウを勧められた。
矢をセットする部分に魔力や魔石を込めると、それが矢の形になり、
引き金を引き魔力が発射される。サイズも小さくて私にも扱いやすい。
もしもの接近戦の時の短剣と、守護と加護が通用しない相手用の盾。
治癒が付与された魔石を10個。
それらをまとめて入れられるマジックバッグ収納機能が付いている、
黒曜石ブローチも購入して準備万端である。
他にも色々あったけど、これだけあれば何とかなるだろう。
収納機能ブローチをつけていれば、携帯出来るので非常に便利だ。
着替えや保存食も入れておけば完璧だわ。
結構な出費になってしまったけど、これらは身を守る為に必要なものだ。
私は夢の中では無敵だったが、これで現実世界でも戦える。
“お前の波動…覚えたぞ、小娘…”
あの言葉が、再び私と対峙する呪咀のように思えてならなかった。
だから、私はそれに備えなければならない。
* * * * * * *
「スノウスフィアさん、この後は予定あるかしら?」
「お昼を食べてから、図書館に行こうかと…」
「ちょっと私の部屋に来る時間はある?渡したい物があるの」
「…え、はい」
妃教育後に一緒に廊下を歩いていたら、正妃様に部屋に来るように言われる。
何だろう…?
部屋に到着して中に通され、奥から侍女が何かを持って来て正妃様に手渡す。
そして、それを私に差し出した。
「これ、良かったら舞踏会の時に付けてもらえないかしら?
妃教育の通訳のお礼も兼ねての気持ちなの。私の好みで悪いのだけれど…」
「えっ?」
目の前には、黒のベルベットで正方形の平べったい大きめのジュエリーケース。
正妃様がパカリと開いて見せてくれて、私は息を飲んだ。
「あ、あの…これっ」
「スノウスフィアさんに似合うと思って…どう?」
ネックレスとイヤリング、ブレスレットの3点セットがドーン。
しかも、白真珠が3列に並び、真ん中メインに雪の結晶型に装飾された、
キラッキラのダイヤだろうか…雪の結晶の下に小さな結晶もぶら下がっている。
豪華だけど控えめな上品さで流石センスいいわ。とりあえず、すげー高そう。
「す、素敵ですね…」
「でしょ?うふふっ。受け取ってくれる?」
「は、はい。勿論です。こんな素敵な物をありがとうございます」
「良かったわ。ブレスレットもネックレスとお揃いのデザインで、
イヤリングは雪の結晶なの。一目で気にいっちゃって、ふふっ」
この方は、全然邪心が無いなぁ…
イグネシアスとも問題なく夫婦としてやっていけそう。
少しだけズキリとする胸の締め付けるような痛みと、
切ないような変な気持ち。
これは…何だろう。
イグネシアスがどこか遠くへ行ってしまうような…
存在が遠く感じるような…
「素敵なアクセサリーですねぇ。
舞踏会でお召しになる予定のドレスに似合いますよ」
「うん、そうだね」
「…お嬢様、どうしました?」
「え、何が?」
「お元気が無いように見えます。お疲れですか?」
「あー、うん。少しね…
ほら、夢渡りもあるし、執務もあるし、妃教育もあるしね〜、
何だかんだ忙しいからかな?」
「そうですね。女官の執務は今後控えてはどうでしょうか?
陛下にも女官は表向きの職務で無理にしなくていいと言われていますし…」
「うん」
長い廊下を私室へ向かって歩いていると、
リタが私の感情の動きを敏感に察して気遣ってくる。
この気分の落ち込みの理由が分からず少し戸惑った。
ああ…そうか。
私は寂しいのだ。
雨の中で軒下に置いて行かれた、ポツンと佇んでいる12歳の私。
あの時の気持ちに似ている。
私はまた、取り残されるのだろうか。
また、必要ないと捨てられるのだろうか。
また、選ばれないのだろうか。
あの二人が正式な夫婦になるのは分かっていたのに、
どうして、こんな気持ちになるのだろう。
この日はずっと、
ポツポツと波紋を作る雨粒が私の心に落ち続けていた。
* * * * * * *
「お疲れですか?」
「え、いいえ?」
「そうですか。最近色々ありましたので、ご無理をなさいませんよう」
「ありがとうございます」
ライル文官にまで気遣われてしまった。
情けない…私、どんだけしょげてんのよ。
イグネシアスは、近々開催される舞踏会の周辺国来賓の確認や準備等で忙しく、
今日はライル文官からの仕事依頼だった。
「今回の依頼は、夢渡りメインではなくて…なんていいますか…
伝達役として赴いて欲しいのです」
「出張なんですか?」
「はい、少し遠い村なのです。海辺に近い村の病床に伏せっている
ある女性がいらっしゃるので、そこに行って欲しいのです」
「ああ、セラピーもですか?」
「それもあります。こちら依頼書になっています」
「はい…」
ライル文官から依頼書を受け取り、それを読みながら説明を聞く。
依頼人は、エッケハルト・ウム・ルンゲ侯爵。
8年前に仕事で視察に訪れた海辺の小さな村でカチヤという女性に
出会って恋仲になった。
だが、ルンゲ侯爵は妻子持ちであり、それは秘められた仲だったという。
1ヶ月の逢瀬を過ごし仕事期間も終わり、侯爵は妻と離婚して、
必ず迎えに来ると約束し、次会った時に返してくれたらいいと、
その約束の証しにクラバットにつけていた高価なブローチを彼女に渡して、
海辺の村を後にした。
しかし、いざ帰宅すると家族を捨てる事など出来ず、それから8年間、
彼がカチヤを迎えに村に行く事も、手紙を出す事もなかった。
最近、彼女が悲しそうにベッドに伏している夢を見て気になり調べた所、
カチヤは侯爵との間の子供を妊娠して息子を出産していた。
そして、一人で育てていたが息子は病気で5歳で亡くなっており、
その後彼女も病気になり、今現在寝たきりの生活だそうだ。
その事実を知り、非常に胸を痛めて申し訳ない気持ちでいっぱいだが、
今更、彼女に合わせる顔がない。
カチヤに真実を伝える為に、謝罪の手紙と現金の慰謝料を直接渡して欲しい。
渡したブローチも返却はせずに売って換金して貰って構わない。
という、身勝手な貴族らしい依頼だった。
「……は?自分で行けよ」
「ええ、私もそう思います」
「なぜ、私に?」
「夢渡りが必要になるかもしれないのです。
病で苦しんでいるようであれば、セラピーをお願いしたいそうです」
「今更ですか?」
「お怒りはもっともです。私もそう思います。
一時の欲と熱に浮かされ、真実の愛と錯覚したのでしょうね」
「男はいいですよね。好き勝手やっても無傷なんですもの」
「ええ、おっしゃる通りです。
侯爵が女性に対して無理矢理の行為でしたら、罪に問えるのですが…
相手の女性は妻子持ちと分かった上で、受け入れてしまっています。
残念ながら公になると、逆に侯爵夫人に女性側が訴えられる可能性が
あるのです。不貞は女性側のリスクが高すぎるのですよ」
「…そうですね。身分差もありますし…泣き寝入りでしょうね」
依頼書には口頭で必ず伝えて欲しい言葉が強調して表記してあった。
…呆れた。最後まで中途半端な優しさで彼女を縛り、偽善者を演じるのね。
私はため息を吐きながら、その海辺の村へ行く為に荷造りを始めた。
日帰りは無理な距離で、宿の予約などをライル文官が手配してくれ、
私たちは出発した。
* * * * * * *
片道3日もかかった、腰が痛い。
何故か今回はアダムが犬の姿で同行している。一応私の護衛のようだ。
あとはリタ、エルヴァン騎士と他2名の騎士といういつものメンツだ。
村に唯一ある宿へ皆で宿泊して、次の日に相手の女性の家を訪問した。
丘を越えると海辺が見えてきて、そこに身を寄せるように赤い屋根の石造りの
家々があった。丘の上から全て一望できる小さな村。
漁村であるこの村は、グイーッと長い桟橋がエメラルド色の海に伸びており、
漁船がズラっと並んで停泊している。
魚介類は特にホタテやタラが名産で、それを使った郷土料理があり、
海から見える夕日が非常に美しい所だ。
さらに広大な丘は牧場になっており、牛や羊がのどかに草を食んでいる。
小さいながら自然の恵みに囲まれた豊かな村だった。
ここは漁業を中心に発展したが、海運業にも移行して行く事になる。
その新規起業開発へ共同出資した貴族達が視察で村を訪れ、
その中の一人が、エッケハルト・ウム・ルンゲ侯爵だったのだ。
村の絶景をしばし眺めながら、カチヤさんの小さな赤い屋根の家を目指す。
道すがら広い風景と初めて見る海に、皆んな少し浮き足立っていたが、
特にアダムがソワソワして走りたがり、大人しくさせるのが大変だった。
「こらアダム、仕事が先!あと塩水だから海には入らないの」
「えーっ…少しぐらい良いじゃねーかよーっ」
「仕事終わったら、いくらでも走り回らせてあげるってば」
「ちぇー…」
「あと、人前では喋らないでよ?」
「わーたよっ」
相変わらず口は悪くて文句は言うが、ちゃんと指示は聞くのである。
アダムの主人、サライヤ令嬢は今現在編入済みの魔法学校の美術部で、
バリバリ傑作を生み出し、友人も沢山出来て楽しくしているらしい。
少し海辺から離れた小高い丘の上に彼女の家はあった。
彼女は素潜りが得意で、外見の美しさも相まって人魚と呼ばれていたらしく、
アワビやイワガキ、海藻を彼女が調達してくれていて助かっていたと、
食事をしに立ち寄った村のレストランの店主が話してくれた。
子供を産んでも、寝たきりになっても、結婚を申し込む村男は多く居たが、
彼女は決して受け入れようとはしなかった。
天涯孤独な彼女は、今では親戚が世話をしに1日3度程彼女の家に通っている。
塩害対策の為か窓が小さい家の赤いドアをトントンとノックすると、
世話をしにきている親戚だろう、初老の女性がドアを開けて怪訝な顔をした。
事情を話すと中に通してくれて彼女に伝えにいき、寝室に通される。
カチヤさんは、茶色の髪と瞳だが目鼻立ちが整っていて大変美しく、
こんな小さな海辺の村にいたら確かに目立つし、
暇潰しの貴族に目を付けられたのだろうと私は思った。
そして、私の差し出した侯爵からの手紙を
彼女は受け取らなかった。
「お手紙はお返ししてください」
「え?」
「分かっていますから…私は選ばれないって」
「………ですが…」
「5年経った頃には流石に察していました。
でも、知らなければ…ずっと希望を持ってあの人を待っていられるでしょう?
記憶の中で、あの幸せな時間を繰り返し思い出して過ごしていたいの。
まるで、世界に二人きりみたいな…あの日々を……」
「それで…いいのですか?」
「ええ。ふふっ、臆病で情けない女でしょ?
でも、私はそれでいいのです。陰府で息子も待っていてくれているし。
折角こんな辺鄙な村にまで来てくれたのに、ごめんなさいね」
「侯爵を恨んでいませんか?何か伝えることがあれば…」
「恨んでいません。伝えることも…ありません。
彼が妻子持ちであることを知った上で受け入れたんです。
私にも非はありますもの。それにあの人にはあの人の生活がある。
不貞を働いた平民の私なんかが、口を出す権利はありませんでしょう?」
真実を知っても、今のこの人には何の救いにもならないのだ。
最初は彼の言葉を疑わずに純粋に信じていた。
そして、何年経っても来ない迎えと届かない手紙。
誰だって見捨てられた事に気が付くだろう。
中途半端に優しくして去り、息子が生まれ死んだ事実を一切知らず、
8年も放置して死にかけた頃に慰謝料と謝罪が届く。
この男は、なんて残酷な仕打ちをしているのだ。
いっそ死ぬまで無視されていた方がマシだったのではないか。
その卑怯者の伝達代弁者として、派遣された私は何とも言えない、
虚しさとフツフツと沸いてくる怒りで気分が非常に悪かった。
でも……これだけは伝えなければ。
「あなたを本当に愛していたと…伝えてくれと頼まれました。
決して戯れでは無かったと…」
「そう、ふふふふっ。嘘でも嬉しいわ、ありがとう」
嘘か…
彼女も彼が口だけの偽善者だと分かっているのだ。
力無く悲しく笑うカチアさんは、儚い少女のようだった。
そして、顔色を見ればわかる。残された時間はあと僅か。
彼女は短い人生を終える時、幸せな思い出に浸ったまま去りたいのだ。
慰謝料に対しては、そんな大金はいらないが村の発展に役立てる為に、
寄付するそうで一応受け取ってはくれた。
夢渡りの事は隠して、癒しの魔力で病の苦しさを和らげる
手助けができると提案したが、それは断られた。
なのでせめてと、魔女のルーンヴァインさんから買って持参してきた、
イザベラード伯爵夫人が飲んでいた薬湯と同じ薬を彼女に差し出す。
凄く苦いが、苦痛を取ってくれてよく眠れるものだと説明すると、
彼女は嬉しそうに感謝して受け取ってくれた。
私は静かに死にゆくことを望むこの人に、
これ以上侯爵の依頼を押し付けるのをやめて口を閉ざした。
大人しくしていた白い犬のアダムの頭をずっと優しく撫でていた、
カチヤさんは愛情深い母親そのものだった。
愛する人との忘れ形見の息子を亡くした時から、彼女は生きる気力を
完全に失ったのだろう。その彼女の絶望を思うと堪らなかった。
そして、侯爵から貰ったブローチの返却を託される。
再び会った時に渡す約束だったが、果たせなかったからと。
大切に保管していたのが一目で分かる。
傷一つなく輝く銀の土台とエメラルドの宝石が埋め込まれたブローチ。
それを受け取り、私達はカチヤさんと親戚の女性に別れの挨拶をして、
彼女の家を後にした。
* * * * * * *
「なんて綺麗なんでしょう…」
「うん、リタ。これを見れただけでも、ここに来た甲斐があったね」
「そうですねぇ」
私は気持ちいい海風に吹かれ、海辺の砂浜を楽しそうに全力疾走している
白い犬のアダムを見ながら物思いに耽った。
私は波打つ海を見るのも、
こんなに広くて見えなくなるまである大量の水を見たのも初めてだった。
内陸に住む令嬢達は、夫や家族に支配されて女としての役割に縛られ、
多分一生こんな景色は見れないだろう。
この海の中もあの現実と陰府の狭間の世界の様になっているのだろうか。
イグネシアスが言うには、あんなに綺麗じゃないらしい。
危険な毒を持った海洋生物が沢山いて、急に深い所があって恐ろしいのだと。
それに、塩水でベタベタするから絶対泳ぐなとしつこく注意されたのだ。
イグネシアスがまるで口煩く注意するお母様みたいで少し口が緩む。
私はアダムを追い回し、子供のように砂まみれになりながら、
夕暮れまで海辺で遊んだ。
宿に帰る途中で、貝殻を繋げたカランカランと鳴るモビールをお店で見つけて、
すっかりモビール好きになった私は、それを購入。もう一つ小さな海辺を
閉じ込めたみたいな、貝殻と砂が入った小瓶も一緒に購入した。
イグネシアスのお土産には、貝殻内側のキラキラした七色の部分の真珠層を
貼り付けた綺麗な宝石箱を購入。
そして、この美しい海辺の村を今日もう一泊して、
私たちは明日には去るのだ。
* * * * * * *
彼女は、知っていました。
あなたが奥様と別れて自分を選ぶ訳がないと。
それでも、希望を持って待っていた方が幸せだからと、
あなたからの手紙の受け取りを拒否しました。
ですから、申し訳ありませんが手紙はそのまま返却いたします。
慰謝料は村の発展のために使うと受け取って貰えました。
もし、侯爵に少しでも心があるのでしたら、
彼女の人生を狂わせた自分の行動を今一度よく思い返してみてください。
見たくない自分の過ちから逃げ、責任から逃げたご自分の行動を。
はっきり彼女に別れを告げるべきでした。
そうすることで、あなたを8年も待つこともなかったはずです。
彼女が可哀想で出来ませんでしたか?
確かに最初は苦しんで泣いて傷ついていたかもしれません。
でも、いつか立ち直って新しい人生を始めた可能性もありました。
あなたの中途半端な優しさと態度が、その機会を奪ったのです。
例え彼女が許したとしても、人間として軽蔑に値する最悪の対応でした。
死にゆく彼女に真実を突きつけて更に傷つけ、
自分本位の謝罪をして楽になりましたか?
最後にあなたが、彼女に託したブローチを
お預かりしたのでお返しします。
仕事の結果報告は以上です。
ご依頼ありがとうございました。
少し感情的だと思ったが、これくらいはいいだろう。
報告書を書き終えて、宿の夜更けの机でペンを置いて伸びをする。
開けた窓から、塩の香りの風が部屋に吹き込んでくる。
波の音しか聞こえない、静かで穏やかな夜。
カチヤさんは眠れているだろうか。
“ そう、ふふふふっ。嘘でも嬉しいわ、ありがとう ”
彼女は全て分かっていた。その上で見ないフリをした。
本人が望んでいない真実を知らせることが、
必ずしも正しいことではないし、幸せとは限らない。
返却された侯爵のブローチを手に取ってしばらく眺める。
私は自分の黒曜石のブローチのピンを立てて持ち、裏に文字を刻んだ。
“ 嘘つき ”
これは、8年間待たせた男への彼女の言葉だ。
侯爵は返却されたブローチのその文字を見て、
震える手で握りしめ、その場で蹲り泣き崩れたそうだ。
海辺の村で出会った二人の一ヶ月だけの束の間の逢瀬。
それが、人生の全てになってしまった女。
それが、ただの綺麗な思い出になった男。
噛み合わなかった互いの想い。
そして、私たちが王宮に帰ってから、
彼女は一週間後、眠るように亡くなった。
村の人達が舟葬で海に送り出し彼女の葬儀も終わっている。
カチヤさんは、あの大海原を人魚姫になって自由に泳いで、
息子の待つ陰府へ旅立って行ったのだ。
彼女は思い出に浸ったまま去って行った。
だって現実は残酷だから。自分はただの浮気相手だと知りたくなかったから。
彼女はそれを受け入れたら生きては行けなかったのだ。
人魚姫の見た夢は、夢のままで泡となって消えた。
この偽善者が。
あんたがトドメを刺したのよ。
ただでさえ弱い立場で、息も絶え絶えで、やっと生きていた彼女を…
謝罪の手紙と慰謝料をわざわざ8年ぶりにノコノコ持ってきて、
よりによって死際に、間違いなく自分は捨てられたと揺るぎない現実を
理解させてしまったのだ。
彼女が許しても、私は許さない。
捨てられた彼女の痛みと悲しみを思い知るがいい。
* * * * * * *
エッケハルト・ウム・ルンゲ侯爵は、
彼女の死の知らせを聞いてから塞ぎ込んでいるらしいが、
あの男には立ち直る時間も家族も地位も財力もある。
一人の女性の人生を壊した男が何の罰も受けず、
普通に暮らしている事実に、どうしても怒りが収まらない。
しかし、ルンゲ侯爵家の妻子に罪はないし巻き込みたくない。
侯爵だけに天誅を食らわす方法はないだろうか。
夢魔ちゃんにルンゲ侯爵がゴミカス色欲不貞野郎共リストに、
入っているか確かめたが名はなかった。
だから私は、夢魔ちゃんとある交渉をして合意して貰った。
庭のブナの木は、もう私より大きくなっている。
ゆらゆら揺れる美しい枝葉を見ながら、庭でぼんやりしていた。
「やあ、可愛い人。こんな所でどうしたの?」
「…花の魔物さん」
「あれ?悲しそうだね。可哀想に何かあったの?」
「……純粋な女性がある男に騙されて失意の中で死んでいったの。
だけど、男はノウノウと生きている。彼女の気持ちを考えると、
相手の男に対しての怒りと彼女への悲しみでいっぱいなのに涙が出ない。
私……きっと壊れているんだわ」
「そっかぁ…きっと君は優しくて、正義感が強くて誠実な人で、
人を気遣う気持ちが強いんだ。だから他人の痛みを感じやすいんだね。
そうだね〜…君には…これが、いいかな?」
「…綺麗ね。でも見た事ないわ。何の花?」
「ふふっ綺麗でしょ?リンドウっていう花だよ」
「リンドウ…」
「この花はね、群生しないで独立して咲く強い花なんだ。
そして、“悲しんでいるあなたを愛する” という花言葉もあるんだよ。
今の君にぴったりだろう?」
「…ふふっ、素敵ね。ありがとう」
ワサワサと私の頭を撫でて、手を振って去って行った花の魔物。
まさか、魔物に慰められるとは思わなかった。
「スノウ」
「イグネシアス…」
「お、ブナの木だいぶデカくなったな」
「うん」
「今回の仕事恋愛沙汰だったし…迷ったんだが、伝達だけだし…
お前、海見たがっていただろ?」
「へ?…ああ、あの魂の審議前の場所?」
「ああ、だから本物の海を見せてやりたかったんだ」
「そうなんだ。うん、ちゃんと見れたよ、ありがとう。大きくて綺麗だった。
でも、私よりアダムのが喜んで走り回ってたけどね」
「そうか…あのヤローお前の護衛で行かせたのに楽しみやがって」
「でも、アダムがいてくれて助かったよ。癒されたって意味でね」
「元気ねぇな…大丈夫か?」
「本人は恨み言も言わず穏やかに旅立って行ったけど…彼女が報われなくて…
私が腹を立てたって仕方ないんだけどさ……
男って浮気する時に、妻子の顔がチラついたりしないの?」
「全ての男がそうじゃない。ルンゲ侯爵は承認欲求を満たしてくれる、
支配しやすい素直な女性が新鮮だったんだろ。貴族令嬢は気が強いしな」
「都合のいい女って訳ね。最悪じゃん」
イグネシアスは、私の手を握りグイッと引っ張り、
しゃがんでいた私を立たせた。
そして、片手で持ち上げ私を抱き上げる。
あれ?これこの前シバルバ様にされた抱っこと同じ…こいつも出来るんだ。
イグネシアスの肩に手を置き、私は上から彼のつむじを見る。
重くないのか心配になったが奴は平気そうだった。
「俺は、素朴で純粋な愛嬌だけの女より、
その地位に相応しくあろうと努力している賢いスノウが好きだ」
「…そう?」
「ふははははーっ、なんだよぉ、反応わりーなぁ〜」
「……………」
「ああ、そうだ。ルンゲ侯爵だが様子が変なんだよな。
彼女が亡くなったのが堪えているのか、不眠症で眠れていなくて、
薬湯を服用しているそうだ。また再依頼してくればいいのによ、
何かそれは頑なに拒むそうだ」
「ふ〜ん、今更自責の念に苛まれているのかしら?」
「お前…」
「何?」
「いや、何でもない。あと侍従に預けてくれた土産ありがとうな。
受け取ったぞ。珍しい素材の綺麗な箱だな」
「安物だけど綺麗でしょ?真珠層からできてるんだよ」
「ああ、お前からの贈り物だ、一生の宝物にする。
寒くなってきたな中に入るか。今日夕食一緒にどうだ?」
「うん、別にいいけど〜」
再依頼なんて、恥ずかしくて出来るわけがないし理由も言えないだろう。
私は夢魔ちゃんに、またリストを追加してあげると交渉して、
カチヤさんに姿を変えて侯爵の夢に毎夜行ってくれるよう特例でお願いしている。
そして、真顔でアソコを巨大な剪定バサミでチョキンしてやっているのだ。
侯爵が物凄い絶叫を上げるので、最高に美味いデザートだと、
夢魔ちゃんは大変ご満悦だ。
本当は実際にチョン切ってやりたいのだが流石に犯罪になる。
取り敢えず一ヶ月間続けて貰う予定だ。
ふふん、バカめ。
夢から覚めるたびに、アレが付いてるか必死に確かめているんでしょうね。
もうこれで、浮気しようなんて思わないでしょ。
命があるだけ感謝しなさいよ。
自分の頭上で不適にニヤリと笑うスノウスフィアの殺気を感じて、
なんとなく背筋が寒くなった、イグネシアス国王陛下だった。




