第二十二夜 ~禍の木函~
可哀想に、あの子は怯えながら死んじゃったんだ。
怖いと苦しいと泣きながら、
一人ぼっちで暗い底に沈んでいったんだ。
あの子に会って謝りたい?
墓石の上に座って、目を瞑って名前を呼んで。
ほら、振り向いてごらん。
後ろにいるよ。
あの子がいるよ。
ほら、3、2、1
さあ、3、2、1
怖がらないで、振り向いてごらん。
前と違うあの子が、笑って手を振っている。
ほら、振り向いて。
あの子が一緒に行こうって言ってる。
だから、振り向いてはダメよ。
いくら歩いても疲れない、自分の裸足の足を見つめる。
何度、自分で作ったこの歌を口づさんだのだろう。
一体どれくらい階段を登ったのだろう。
永遠に終わらない、この透明のらせん階段を。
でも、あの現実よりこっちがいい。
例え一人ぼっちでも、永遠に終わらなくても───。
* * * * * * *
「これ、私宛ですか?」
「はい。ファビアン・リヒ・ディーヘルム男爵令息より、
魔術師団の方へ届いていました。
自分を救ってくれた魔術師の女性に渡して欲しいそうです」
「…そうですか。わざわざ良いのに」
「折角ですし受け取ってください。では、私はこれで失礼します」
「はい、ありがとうございました」
舞台音楽家のファビアン・リヒ・ディーヘルム男爵令息より、
月光の君へと書かれたメッセージカードつきの花束が届いて、
魔術師団の人が渡しに来てくれた。
月のように淡い黄色の薔薇の花束だ。
私は出自を隠していたから、この名にしたのだろうけど…
芸術家ってロマンチストだわ。
「珍しい色のバラですね、お嬢様」
「うん。白バラは良く見るけど…こういう色も繊細で素敵ね」
「花瓶を借りてきます。お部屋に飾りましょう」
「うん」
“月光の君へ
この間は大変お世話になりました。そして本当にありがとうございました。
あなたのお陰で気分が凄く軽くなって、精神的に楽になりました。
まずは仕事を離れて、自分の心と向き合って行きたいと思います。
音楽は好きだけれど、正直やり尽くした感があって、
気力が切れてしまったんだと、今では理解できます。
あのままでは、悲観して自死していたかもしれない。
だから、優しい言葉で誘導して気付かせてくれて感謝しています。
これは、ほんの気持ちです。受け取っていただけたら嬉しいです。
ファビアン・リヒ・ディーヘルム”
良かった。もう、彼は大丈夫ね。
才能のある人だもの、きっと他の方面でも活躍するだろう。
高貴だろうが、才能があろうが、平民だろうが、
今まで体験した事のない障害にぶつかると、悩み、戸惑い、自信を無くし、
自分の人生を見失ってしまう。何か悪い事や間違った事をしてしまったから、
こんな目にあってしまうのでは無いか、自分は価値がないのではないか。
生きていてはいけないのでは無いか。
特に自責思考の人は、まるで試練を与えられたように考えてしまうのだ。
でも現実は、その障害に意味なんてなく、ただの偶然で必然ではない。
しかし、それを勇気を持って乗り越えれば、自信になり成長できるのは事実。
命を断つ方がマシだと追い詰められてしまうようなモノからは、
生きる為に逃げる必要はあるけれどね。
私も逃げた立場だから、全てに立ち向かえとは言わないし思わない。
でも、逃げてばかりでは前に進めない。
ねえ、アマン。
嫌な事から、やりたくない事から、あんたはずっと逃げてきたわね。
盾にしてた私が居なくなって、あんた達はどうするのかしらね。
まあ、もう知った事ではないけれど。
* * * * * * *
忌々しい人間共。
余が遺恨と断罪の試練を受け取り、抑えられぬ愚かな好奇心で禍を解き放て。
そして、絶望し、後悔し、懺悔して、余に許しを乞うがいい。
お前たちが必死に守ろうとしている平穏な世界なぞ、
一瞬で消し去ってやろうぞ。
ゴボゴボゴボ……ゴウン…ゴウン…ゴボ…ゴボゴボ………ザッパァ…
真夜中の水面に、直方体の木箱がザバリと静かに浮かび上がる。
それはユラユラ揺れて波に流され、大海原を漂流していた。
「見つかりました!ハダル師団長。
辺境の魔術師団が、海に漂っているのを回収したそうです」
「そうか、取り敢えず探索は終了だな。“禍の木函” を受け取りに行くぞ」
“禍の木函”が発見された。そして、王宮へ運び込まれ秘密裏に処分される。
実物を見る機会は10年に1度しかないので処分される前に、
それを見に防音室に私は呼ばれていた。
実物が、ど真ん中のテーブルに置いてあり、思ったより大きめの箱だった。
サイズは、横70cm×高さ40cm×奥行き30cmと記録書に記載してある。
これ私が両手でやっと持ち上げられる感じだわ。
木目がうっすら見えている黒く燻んだ木製の直方体の木箱。
両サイドには黒金具の取手があり、蓋は釘で打ち付けてあって、
簡単には開かないようになっている。
これ…開けられないと、好奇心で開けたくなる人間の心理を良くわかっている。
いつも同じ箱のようなので、しっかり目に焼き付けておいた。
記録書にも箱の詳細な絵が描かれていて感心する。誰が描いたんだろ上手いな。
箱の蓋に読めない文字が刻んであり質問すると、古代文字の呪文で、
これは王家以外の人間は読めない。
声に出して読むだけでも、何が起こるか分からない為、
決して口にしてはならないそうだ。
まじまじと見ていたら、箱が少しゴトリと動いたような気がした。
…気のせい?少し離れた方がいいかも…
私はこの箱をどう処理するのか尋ねようと、ハダル師団長に向き直るが、
彼はイグネシアスと何か話している。
うーん、後にするかと考えていたら、ハダル師団長がこちらをチラリと見て、
目を見開いた。…え?どうしたんだろう。
そう思った瞬間、凄い力で後ろに引っ張られたのだ。
体が宙に浮いて逆らえなかった。
何…これ…
「お嬢様っ⁉︎」
リタの悲鳴と、そしてガツンッ!と凄い衝撃が身体中に走ったのは同時だっだ。
恐らく後頭部を強打したのだろう、あの “禍の木函” に。
こちらに背中を向けていた、
イグネシアスも物音に驚いて振り向いた。
「スノウスフィア様!」
駆け寄ってきたハダル師団長に腕を掴まれて、抱き留められるが、
私の意識はズルリと、肉体から離れて何処かに引っ張られて行ってしまった。
イグネシアスの…あんな真っ青な顔を初めて見た。
ああ、私…また余計な事に巻き込まれちゃったのかしら。
* * * * * * *
「…あれ?ここ…」
以前、来たことのある青く美しい海の底。
目の前には、一角の白マンタが首を傾げていた。
「あ、マンタちゃん。久しぶりー」
反対側に首を傾げるマンタ。
コイツまた何でここに居るんだ?的な。
あー、再び気まずい。
「えっとねー、また手違いで落ちて来たみたいなんだよね。
折角来てくれたのに、ごめんね。
それで、現実に戻れる出口とか知らないかな〜?」
しばらく胸ビレをヒラヒラしていたが、クルリと体を返し少し泳いで、
こちらをチラリとみる。お、案内してくれるっぽいぞ。
青の美しさに見惚れながら海の底を一角の白マンタと進む。
すると、少しずつ明るくなって来た。
どういう構造なのか、いつの間にか空の上だったのだ。
雲が風で流されて足元を過ぎて行く…
そして目の前には、透明のガラスのような螺旋階段が、
果てが見えない程上に続いている。
え、まさか…これを登れっての?
白マンタは体を傾けて上空を見つめている。
私も顔を上げて同じ方向を見ると、誰か居るのだ。
階段の途中で座り込んで、足を投げ出しブラブラしている。
誰だろう…スカートだから女性だと思うけど。
私は透明の階段に足を踏み出し、その女性を目指して上がり始めた。
* * * * * * *
「何故止める?」
「これは、“禍の木函” が関わっているのです。
そんな危険な所へ…国王陛下を行かせる訳にはいきません」
「スノウを見殺しにしろと?」
「そうは言ってません。いくら貴方様でも太古の邪神相手では、
どうなるのか分からないのです」
「今回この任務にスノウを引き込んだのは俺だ。
アイツを救助する責任がある。いいから腕輪を外せ、ハダル」
「それは、分かります。ですがっ」
「この魔力封じは強力だが、自分で外せないのが唯一不便だな」
「第三者の判断と了解を得る制約は必要でした。
自分の感情を優先して、それがもし間違った判断の可能性もあるのです。
そういう違える選択をしない為です。ご容赦ください」
「これが間違った選択だと?」
「そうは言っていません。ですが、もう少し冷静になってください陛下」
「どの道、俺はスノウに何かあったら正気ではいられん。
魔力暴走を起こし、そして魔女の契約が俺を殺すだろう。
国が滅びるか、国王が死ぬか、スノウを助け出して事なきを得るか、
どれがいい?」
「陛下っ…」
「命令だ、外せ」
「もう少し…待ってみませんか?」
「何故?」
「彼女は “夢渡り人” 故に、現実と陰府の狭間に入りやすいのです。
箱から黒い腕のような物が故意に、彼女を引っ張って行くのを私は見ました。
恐らく邪神が彼女を選んで、接触できる領域へ連れて行ったのです。
スノウスフィア様は、賢いお方です。
人の深層心理を扱うことに関しては、我々よりプロフェッショナルですし、
ご自分で解決して、戻って来られるかもしれません」
「………分かった。だが、俺の守護も陰府の王の加護も邪神には効かない。
待てるのは10分だ。いいな?」
「はっ、畏まりました」
ソファに横になって、目を瞑っているスノウスフィアの手を握りながら、
イグネシアスは俯いて唇を噛んだ。
* * * * * * *
「生まれ変わりたくない。もうあんな世の中嫌なんです。
両親は無関心で、私はみんなに嘘つき呼ばわりされて、
嫌になって橋から川に投身したっていうか…」
「自殺したの?」
「そうするつもりだったんだけど、ちょっと直前に怖くなって、
実際は足を滑らせて死んだの。だっさいよね~あはははっ!
……でも、あんな世界にもう戻りたくない」
階段に座り込んでいた少女に、なぜここにいるのか話しかけると、
彼女は躊躇なく話し始めてくれた。
「そう。嘘つき呼ばわりされたって、どんな嘘をついたの?」
「あの木の上に羽がついた妖精がいるとか、
さっき階段の上に居た女の人が消えちゃったとか、そんな感じ。
見えないものを私が見える系?かなぁ…
そうしたら本当に見える子がいて、その子に怒られちゃったの。
いい加減な嘘言わないで!って。しかも最悪な事にみんなの前で。
それから、私は嘘つき呼ばわりされてみんなの視線が痛くて…
毎日学院に行きたくなくて…で、耐えられなくなって…感じ?」
「どうして、そんな嘘をついたの?」
「最初は目の錯覚だった。それを何気なく言ったら、みんな食いついてきてさ。
凄く聞きたがって喜ぶんだもの。今更気のせいだったなんて言えなくて…
あとは、何だろう寂しかったのかも。両親は全然私に関心を示さないし、
誰かに私を見て興味を示して欲しかったんだと思う…
だから沢山作り話をした。そうしたら、いつの間にか嘘つきになっていた」
「そっか…人を害して騙したり、大事になって取り返しの付かない事になる
嘘じゃなければ、多少の嘘は誰だってつくわ。
それこそ、思ったまま全て素直に言う人なんていないでしょ?
例えば、似合っていない服を着ている友人に似合ってないって言える?
言葉を濁して、当たり障りのない褒め方をするのがマナーだし、
礼儀でしょう?」
「…私、そんなに悪くない?」
「う~ん、ちょっとやり過ぎちゃった感はあるけど…重罪ではないでしょう?
学院に行くのが気まずかったら、しばらく休む選択もあっただろうし…
死を考える程では無かったと思うわ」
「そっか…自分でも分かってるの。でも、やめられなかった。
つまんない私じゃ、誰も関心を示してくれないんだもの」
「そうね、自分が透明人間になるのって辛いわよね。
私も心当たりあるから、気持ちは分かるわ」
「…お姉さんはハブられるような人には見えないよ。
優しいし、綺麗だし頭良さそうだもの」
「あははっ、ありがとう。
私はね、家族全員に存在を無視されたの。妹に嫌われちゃってね。
さらに特殊な魔力のせいで、家族も私を嫌悪するようになってって感じ。
家族から10年間邪険に扱われて、無視され続けて…流石に我慢出来なくて、
言いたいこと言って切れ散らかして、そのまま縁切って家を出たんだ。
運よく助けてくれる人が居てね、だから、まだ私は生きているの。
結果が違っただけで、あなたとそんなに変わらないわ」
「え…何、それ。酷いっ…何で、そんな長い間耐えられたの?」
「いつか、元に戻ってくれるって信じて…いいえ、願っていたの。
私は愚かにも、現実を受け入れられずに家族だからって、
無駄な願望にしがみ付いて…気がつくのに10年も掛かっちゃった。
馬鹿よねー、ふふっ」
「そんなことない、偉いよ…私とは違う」
「あなたには、助けてくれる人はいなかったの?」
「居なかった…」
「ねえ、…自殺じゃないのなら、ちゃんと陰府へ行けるわ。
あのマンタが案内してくれる。
あなたが来てくれないから困ってるみたいよ?」
「…ああ、あの子何回も行ったり来たりしてるの。
私のせいだったんだね」
「陰府に行っても、すぐには生まれ変わらないわ。
しばらく、そこで魂を休めてから生まれ直す再生の輪に行くんですって。
とりあえず行ってみない?
ここのらせん階段をずっと登っていても飽きるでしょ?」
「あははははっ、うん。そうだね…もう飽きてきたし。そうする」
「よし、じゃあ行こう」
「私…生きている時に、お姉さんに会いたかったなぁ…」
「私もよ。あなたに会いたかった」
「次は、そんな簡単に諦めないようにする」
「約束ね?」
「うん、約束する。話を聞いてくれて、ありがとう」
案内人のマンタは、嬉しそうにパタパタ近づいてきてクルリと後ろを向き、
自分の背中にのれと体を斜めにして施した。
彼女はオズオズとよじ登り、長い一角を両手で握って背にペタンと座る。
フワフワと両胸ビレを動かして、マンタはゆっくり動き出す。
彼女は、こちらへ振り向き笑顔で手を振って私も振り返す。
とりあえず彼女の気持ちが軽くなって良かった。
彼らが見えなくなるまで見送り、私はハタと気がつく。
あれ?私は何処に行けばいい訳?この階段を登るの?
あのマンタちゃんは、どうやらあの少女を私に説得して欲しくて、
ここに連れてきた模様。まあ、自分の仕事を優先したかったのだろうが、
私を置き去りにしないでよー…もー…
すると、目の前にポッと手の平にのりそうな大きさの
金色の炎が現れた。
「そこにいるのは、スノウスフィアか?」
金色の炎が喋った。いや声が聞こえてきてる。
それにこの声…シバルバ様だ!
「は、はいっ!そうです」
「うむ…そこは、迷いのある者が導かれる、彷徨の螺旋階段だ。
おぬし、また落ちてきたのだな?」
「は、はい。すみません。…マンタちゃんに出口を聞いたんですが…」
「あれは出口は知らんな。では、我が案内しよう。金色の炎が見えるか?」
「はいっ、バッチリ目の前に見えます!」
「その炎の後に付いてきなさい。急いだ方がいい」
「はい、え…急ぐ?」
「邪悪な気配が近づいておる。おぬし…“禍の木函” に触れたな?」
「…はい、触れるつもりは無かったんですが、引っ張られてしまったんです」
「うむ、呼ばれたか。とりあえずこちらに来なさい」
「はいっ」
フヨフヨ移動する金色の炎を追いかけて、空から青い海底へ足早に移動する。
確か、ここって陰府とは別領域だと聞いた。
シバルバ様…無理してないのかな…申し訳ないな…
金色の輪が浮かんでいる左の小指を見ながら、正直私は心強かった。
イグネシアスだって毎回私を助けられる訳ではないし、手間はかけられない。
不測の事態に備えて、自分で何とかする手段を考えないといけないなぁ。
今度ハダル師団長に、いい魔道具が無いか相談してみよう。
「スノウスフィア、落ち着いて我の言葉を聞け」
「はい?」
「アングラマイヌゥが来る」
「えっ!嘘っ…」
「恐れるな。つけ込まれるぞ」
「はい…で、でも、正直怖いです」
「大丈夫だ、ここは向こうも領域外。好きにはできぬ」
「どちらかというと、私の領域ですか?」
「そうだな、現実と陰府の狭間だ。夢の世界と似ておる。
おぬしの方が強いだろう」
「ちょっと安心しました。
でも、領域外なのに何故ここに来るんですか?」
「おぬしを見たいのだろう」
「え、何で?」
「珍しい波動に興味を持ったのだ。我のようにな」
「う〜…邪神はお断りしたいんですが〜…」
「ふっ、大丈夫だ。我もここにいる」
「…はい」
「それから、少々姿が異様で、我らなぞ比べものにならない巨大さと邪悪さだ。
その混沌の雰囲気と威圧に飲まれるなよ」
「は、はいっ」
デ、デカイんだ…?ちょっと苦手なんだよなぁ。
夢の中で異様なものは見慣れているとはいえ、規模が並外れて巨大なモノって、
どうしても腰が引けてしまう。
シバルバ様は、人間より少し身長が大きい位だったから…怖くなかったけど。
「来たぞ」
ビクリと肩を揺らし、私は深呼吸して備えた。
そして、巨大な黒い影がユラリと揺れ、
少しずつ太古の邪神が姿を現したのだ。
* * * * * * *
デカ…過ぎない?
3階建ての邸位の大きさなんだけど…
それに、この姿…怖すぎ。
ボロボロのフード付きのマントと、長く垂れ下がった血のように赤い髪に、
髪の間から覗く瞳は、結膜が赤く、角膜は虹彩含めて真っ白で瞳孔は黒い。
肌はガサガサの紙みたいに艶がなく無機質で真っ白だった。
そして下半身はなく、肩から下にそれぞれ長さの違う、
16本の腕が生えてぶら下がっている。
海の生物図鑑で見た8本足のタコより不気味なんだけど…
その手には色々な魔道具だろうか、曰くつきの物だろうか、
様々な武器、鍵、宝石、装身具が握られている。
一見宝の山に見えるが、どれも強い呪いの力を持っていそうで、
人間は触らない方がいい代物達だろう。
その妖しく異様な姿は、醜悪でグロテスクで威圧的で、
まるで、夜空を一瞬で切り裂く雷を見たような、
恐ろしい存在だけれど、美しく崇高な荘厳さもあって圧倒されたのだ。
ゆらゆらとボロいマントが揺れて、首を傾けてゆっくりこちらを見やる。
「………ふん、この波動…お前、か」
「…な、何の御用でしょうか?」
「シバルバ…貴様も…居る、のか」
「この娘を現実世界に帰す道中だ。そなたが引き落としたのだろう?」
「夢渡りか…珍しい…魔女の血が、濃いな…」
こ、この神様、声が何重にも重なって聞こえるから、
男なのか女なのか、分からん。
太古神は性別なんか関係ないのかもしれないけど。
どうでもいいから早よ帰ってくれ。怖すぎる。
「“禍の木函” は回収された、か…つまらぬ…」
「今回もそなたの負けだ。速やかに地底の牢獄に帰るがいい」
「ふん、煩いわ、裏切り、者が…」
「そなたはやり過ぎたのだ。自業自得ぞ」
「余は自分の役目を…務めを果たした、だけだ。
この世界の…戒めの存在の…神の余を…下賤の分際で、封印するとは、
なんと生意気で、愚かな、人間共め…余は諦めぬ。
必ずや…復活し、この虚偽世界を…混沌に、沈めて…やろうぞ」
「恨み言は、それで終わりか?アングラマイヌゥ」
「おい、娘…」
「は、はいっ⁉︎ 」
いきなり呼びつけられ、体がピョンッと飛び跳ねる。
び、びっくりした…急にこっちに話振らないでよっ。
「こっちへ、近う寄れ」
「え、何故ですか?」
「余から…贈り物をやろう」
「は?」
「受け取るな、スノウスフィア」
ボソリとシバルバ様が助言する。
勿論そんなホイホイ喜んで、そーですかー?すいませんねー♪
みたいに邪神から貰う気はない。絶対、裏があるに決まっているもの。
16本の腕をゆっくり広げてコチラに伸ばし、
ジャラジャラと豪華な宝石や剣を握った手が近づいてくる。
うわーん、更にデカく見えて、こわぁぁ〜〜い!
「さあ、選べ。卑しい…人の子よ」
「いらない」
「…なに?」
「欲しくないわ」
「ほう?」
「それに、どうせ碌なモノじゃないもの。邪神の贈り物ですから」
「ふん、少しは…賢いようだな」
「もう用は済んだのでしょう?ここはあなたの領域じゃない。
“禍の木函” は、コチラで謹んで処分させていただきます。
どうぞお帰りください、アングラマイヌゥ様」
「…お前、名は?」
「縁を作りたくないので、名乗りません」
「ほう…知って、おったか。…つまらんな」
「流石、性格悪いですね!」
「ふん…変な、娘だ」
「……………」
変な女で悪かったな。
「残念でしたね、そういうのは愚かな人間の私には通用しませんの。
しかも、ここでは私の方が強いのです。
神様を力尽くで追い出したくありません。どうぞ、ご自身でお帰りください」
「……いいだろう、帰ろう」
あれ?意外と素直だった。
ゆらりと揺れて、少しずつ下に沈んでいく。
そして、見えなくなる直前に不吉な事を言い放った。
「お前の波動…覚えたぞ、小娘…」
そう言い残して、邪神アングラマイヌゥは姿を消した。
ちょっとぉ!やめてよーっ、マジこわいってぇーっ。
「大丈夫か、スノウスフィア」
「は、はいっ。シバルバ様が居てくれて助かりました…
一人だったら多分…失神してました」
「ふっ、堂々として立派だったぞ。さて行くか」
「はいっ」
私は逃げるように、足早にシバルバ様の案内炎に付いて行った。
しばらく歩いて金色の炎がピタリと止まる。
「この辺なら、大丈夫だな」
「…え?あっ!」
目の前の金の炎がシバルバ様の姿に変わったのだ。
私は嬉しくてその場でピョンピョン飛び跳ねてしまった。
彼は優しげな微笑みを浮かべて、当然のように私を片手でヒョイと抱き上げる。
小さい子供が父親の片腕に座るみたいに持ち上げてる抱っこのあれだ。
力強すぎ…成人女性を片手で軽々持ち上げるなんて凄い…
イグネシアスは、私を麦袋みたいに肩に担ぐのに。
シバルバ様は、そのまま涼しい顔して静かに歩き出した。
「疲れただろう?」
「いえ、大丈夫ですけど…重くありませんか?」
「ふっ、重さなど何も感じぬ。気にするでない。
ここは陰府に近い領域でな、やっと実体化出来たのだ」
「そうなんですね。陰府の国も見てみたいなぁ。
あ、死ねば見れますよね」
「うむ、しかしそんなに早く来るでないぞ。
おぬしはただでさえ、危ない淵で仕事をしているのだ」
「気をつけます。今日は本当に助かりました」
「加護を与えている者を助けるのは当然だ。
それに、おぬしと居ると心が安らぐ」
「ふふっ。あ、そうだ。ロゼッタちゃんの私物を見つけたんです。
来年の陰府暦は、王宮に入れると伝えてもらえますか?」
「ほう、見つかったか。伝えておこう。姫君も喜ぶだろう」
「……私、助けてもらってばかりですね…」
「おぬしだって助けておる。あの彷徨の螺旋階段にいた、
少女を説得してくれただろう?」
「あ、はい。放っておけなくて…」
「だから、おぬしは手助けされる資格はある。
遠慮せずに甘えて構わん」
「何かお礼をしたいです。何も持ってませんが…」
「うむ…そんなものはいらんのだが…そうだな…」
おもむろに、シバルバ様が上目使いでこちらを見る。
おお、相変わらず色っぽくて綺麗な金色の瞳。
「額に口付けでもして貰おうか」
「えっ⁉︎」
「ふっ、冗談だ」
「……………」
私は、顔を近付けてシバルバ様の額に、軽くぎこちない口付けを落とした。
目を細めて嬉しそうに笑う彼を見て、勇気を出して良かったなという思いと、
慣れない事をして気恥ずかしくて、心の中で悶えて転げ回って大騒ぎだった。
そうこうしている内に、現実へ戻る際に到着して、
シバルバ様にお礼を言い、私たちはそこで別れた。
「腕輪外せ、ハダル」
「お待ちください、陛下」
「もう10分経っただろ」
「いいえ、スノウスフィア様が目を…」
目を開けると、イグネシアスとハダル師団長、
リタが心配そうに覗き込んでいたのだった。
* * * * * * *
私は今、イグネシアスにガッチリ抱きしめられて身動きが取れない。
どうやら相当心配していて、ハダル師団長と迎えに行く、まだ待てと、
押し問答で言い争っていて、一触即発だったらしい。
「あの…イグネシアス…」
「ん?」
「その、もう大丈夫だから…」
「うん」
「……………」
だめだ。全然離してくれそうにない。
何かみんな半笑いで出て行っちゃって、今この部屋で二人きりだし。
私はシバルバ様に助けられた事や邪神の外見とか、報告したいのに…
明日でいいって…何なんだ。
「ねえ、イグネシアス。あの “禍の木函” はどう処分するの?」
「ああ、あれは火属性の魔術師が、あのまま業火で消し炭にする」
「なるほど…じゃあ、もう私は何もしなくても大丈夫?」
「ああ…何もしなくていい」
「分かった…」
私は、ソファに座ったイグネシアスの膝の上に横向きに座らされ、
背中と腰に腕を回されてギューと抱きしめられ、上半身だけイグネシアスと
向かい合わせの格好である。そして、私の背中を時々撫でて深いため息を吐く。
困った事に、非常に体が密着していて全く動けない。
私が少しでも身動きすると、更に腕の力が強くなるのだ。
これは…本気で心配をかけてしまっている…
「本当は…」
「え?何?」
「お前を檻かなんかに入れて、
俺しか入れない場所に閉じ込めておきたい」
「は?」
ゾクリ。
いきなり怖いこと言い始めたぞ、コイツ。
「だけどお前は、そういうのが好きじゃないし容認しない。
大人しく閉じ込められている奴じゃないのは、分かっている」
「え、え〜と、うん。…そうして貰えると助かるかな〜?」
もしかして本気で落ち込んでいる?
私を危険な目に合わせちゃったから?
でも、あれは不可抗力の予想外の出来事だったし…
「スノウは、この仕事続けたいか?」
「うん。私の資質にあっているし、夢渡りは私にしか出来ないし…」
「違う。人の役に立つ為とか、能力を生かす為とかじゃなく、
お前自身が好きでやりたいのかって聞いているんだ」
「…うん、人が救われたりすると嬉しいし…それに私、無理してないよ。
この仕事が好きなの。自分に合ってるもの」
「そうか…」
「うん。女官の仕事も、今回の任務も予想外の事もあったけど…
その…やりがいがあって楽しいよ」
「分かった…はぁ〜…」
イグネシアスは迷っているんだ。
このままこの仕事をさせていいのか…だからこちらの意志を聞いてきた。
でも、私がこう言うのは分かっているはず…
ああそうか、彼はこの仕事をやめて欲しいのだ。
でも、私の意志を尊重したい。その間で葛藤している。
今回は邪神が関わる “禍の木函” は非常に危険な任務だった。
心配してくれて嬉しいけれど…
伯爵家を出て、私は自立する楽しさを知ってしまったからなぁ。
私は彼の肩の上から腕を回して、イグネシアスの頭をふんわり抱えて、
髪を撫でて手でポンポンしてあげた。
慰めるつもりだったのか、何となくそんな事をしたくなったのだ。
すると彼は私の体を抱き抱えたまま、横にグラグラ体を揺らし始めた。
うぅ…この動き…ちょっと酔いそう…何してんだコイツ。
「ねえ、ちょっと揺らすのやめてくんない?
酔いそうなんだけど…」
「ふははははーっ、止めれるもんなら止めてみなー」
「今私の目の前には、イグネシアスの耳があります」
「ああ?だから何だよ」
「やめなきゃ耳もぎ取るわよ。おらおらーっ」
「あだだだだっ、マジで引っ張るなバカ!」
「ふははははーっ」
「俺の笑い方真似すんじゃねぇ、小娘っ」
「うるせーっ、悪役国王!」
私とイグネシアスのジャレ合いのバカ笑いは、
ドア向こうで待機していた、リタとエルヴァン騎士、ハダル師団長にも、
しっかり聞こえており、あの二人は仲が良いのか悪いのか、
どっちなんだと、益々彼らを混乱させたらしい。




