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〈連載中〉スノウスフィアは夢を見ない ~夢渡り人の千夜一夜~  作者: 米野雪子


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第十四夜 ~黒い蛇~

※今回ちょっとシリアスです。重いお話なので苦手な方はご注意を。






因果応報だ、苦しめ、苦しめ。


この悪魔め。


早く事切れろ、いや、もっと苦しめ。


もっと、もっと、苦しみ悶えながら、絶望の中で、


地獄に落ちるがいい。


彼の苦しみを…屈辱を味わうがいい。



こちらに縋るように、伸ばされた震える指先。

それを汚い物でも見るように、一瞥して視線を逸らし、ソファにドカリと座る。 



「苦しいですか?」


「ううう…あああっ、…き、さまっ…」


「彼はもっと長い間地獄を味わった。

 こんなんじゃ、まだまだ足りない位にね」


「…汚らわっ、しいっ…ガハッ!ゲホォッ…ガァッ…ハァハァ…」


「汚れているのは…汚いのは、あんたの方だろ。クズが」


「…っ、…なぜ…こん、な……」


「なぜ?ははははははっ!

 この後に及んで理解できないのか⁉︎ 本当に救いようがないな。

 地獄で自分が何故こうなったか永遠に考えてろよ」


「恩………知らず…がっ……」


「あんたのおかげで、方方に怨恨を買って今やこの家は敵だらけ。

 卑怯で卑劣な数々の所業で、何がなんでもこの汚い権力と財力を

 守り抜いたアンタに感謝してるよ。

 これから信頼回復して挽回して…そして、許されるまで何年かかるか」


「たす…け……っ、……ガハッ…ハァ…ハァ………」


「ほら、安心して逝けよ。最後まで見届けてやる」



普通はどんな親子関係だろうが、僅かに憐憫の情があり、

死ぬ直前に、哀れみと慈悲が芽生えるものなのだそうだ。


しかし、こんなに苦しみ悶える姿を見ても、

不思議とそんなものは一ミリも湧いてこなかった。

目を見開いて喉を掻き毟り、無様に床でのたうち回るコイツをただ見ていた。



何の感情も湧かない。


唯一あるのは、憎悪のみ。



子供の頃から、コイツは悪魔みたいだった。

一度も父親として、親しみも愛情も感じた事などない。


ただ恐怖で家族を支配して、従わせるだけの負の強化。

コイツを怒らせない為、殴られない為に従うだけだった日々。



こんな風に冷血なのは…

私もコイツの血を引いているからだろうか。


だったら、ここで、私の代で負の連鎖を断ち切らねば。


呪われたこの血筋を────。




* * * * * * *




「何で王宮で薬草園を作らねぇかって?」


「うん。森に摘みに行くのも面倒だし大変じゃない。

 王宮の庭広いし、温室作ればもっと効率的に薬草手に入れられるじゃん」


「あのなぁ、それ俺が考えなかったとでも?」


「ううん。理由が聞きたかっただけ」


「薬草ってな、すげー生命力が強いんだよ。

 温室に分断して囲ってたのに、こっそり土伝って根っこが広がって、

 気がついたら庭中にワッサワサ。根っこも異常に生命力強いし…

 他の植物にも浸食するし…毒性あるのもあって危険だし。

 駆除が永遠に終わらないんじゃねーかと、思うほど大変だったんだ。

 庭師に、もう王宮の庭に薬草はやめてくれと、泣いて懇願されたっつーの」


「あ、やっぱり?」


「あの温厚な庭師が激怒したからな。またやったら殺される」


「あのさ、ほら私が救出した女の子いたじゃん。

 そのご両親が温室で、結構な種類の薬草育ててるの。

 最初は永遠にタダでいいって申し出てくれたんだけど、

 そうは行かないでしょ。で、相場の半額で売ってくれるらしいから、

 贔屓にしてくれない?」


「ふ~ん、まあ、街の専門店は高いからな。急ぎの時はいいかもな」


「専門店にも納品してるらしいから、品質は確かだよ。虫食いもなし!」


「分かった。契約書作っておく」


「ありがとー、じゃ、私もう行くね」


「どこに?」


「あんたの正妃様の妃教育付き添いだよ」


「おう、頑張ってな」



バタンとドアを閉めてふと思った。


相変わらず毎日部屋には来るけど、

イグネシアスは前よりベタベタしないし、しつこくしなくなった。


多分、私が少し距離を取ろうとしてるのを感じ取っている。

嫌われない為か、あるいは心が離れたのか…


どっちにしろ、これでいいのよ。


どうせアイツとは、友人以上には慣れないんだから。


少しだけズキリとする胸の痛みを抱え、

自分の矛盾した心に困惑しながら、私は正妃様の部屋に向かった。




* * * * * * *




「困ったなぁ、誰か侯爵邸に行ける者はいないのか?」


「無理ですよ。今の法務省にそんな暇あると思ってるんですか?

 しかもあの邸遠いし、移動に半日以上かかるでしょ?

 帰りは夜中になるし…どこかで一泊しないと。

 でも、署名を貰わないと遺産相続の書類とか処理できないし…」


「御子息、王宮に来れないって?」


「ああ、なんでも友人が病気で、

 今面倒を見ているから手が離せないらしい」


「大変だな。当主の父親は急に亡くなるし…人手が足りないのか」


「でも、悪名高いあの当主の為に動きたくないってのが、

 正直な感情だろうなぁ」


「それはこっちも同じだ。やれやれ、悪い事は出来ねぇよな。

 こうやって天罰喰らって、誰にも同情されない最後を迎えるんだから」


「香水で成り上がった侯爵が、香水に使用する為に抽出してあった、

 スズランの天然香料を間違って飲んだって…皮肉だよなぁ」


「酒を随分飲んでいたらしいから、気がつかなかったんだろ。

 スズランって猛毒だろ?御子息が苦しむ声を聞いて駆けつけたら、

 もう手遅れだったってさ」



誰のことだろう…


妃教育の授業が終わって、私は図書館でいつもの勉強をしていたのだが、

文官のヒソヒソ話を耳にしてしまったのだ。

そして、リタが声を潜めて教えてくれた。



「お嬢様…クヴァレヒューム侯爵です」


「え?ああ、今の話の人物?」


「はい。有能な調香師を国中から引き抜きしまくって、

 その分野で成り上がった経営者です。

 反面、随分汚いことや強引な真似をしていて、

 方方で恨みを買っている、悪名高い侯爵でも有名な方です」


「ふ〜ん。私、香水付けないから、あんまり知らなかったわ。

 苦手なんだよねキツい香りって…」


「高位貴族女性相手の商売ですから、私たちにはあまり関係ありませんね」



死亡証明書か。


かと言って、侍従や侍女じゃ請け負えない仕事だろうし。

文官や女官じゃなければ…ん?私、女官じゃん、行けるじゃん。

死亡証明書を渡して、署名して貰えばいいんだよね?


この間、薬草摘みに行ってから、すっかり外出好きになった私は、

文官達にその仕事を請け負うと申し出た。


そりゃもう感謝されたのだが、勝手に話を進めた私に、

イグネシアスは不機嫌そうに、指でビシリと私の額を無言で弾いた。

少し痛い目にはあったが、他に行く文官もいないという事で、

無事外出の許可を勝ち取ったのだった。




* * * * * * *




「本当に遠いね…もう夜になっちゃった…」


「クヴァレヒューム侯爵家は、香水の天然香料に拘っていたらしいので、

 植物が育ち易い、自然の多い地域に邸を構えたのでしょうね」


「森ばっかで周り何もないけど、確かにそうだね。薬草も沢山アリそう」


「新しい当主の御子息は、お優しい方で良かったです。

 ご好意で侯爵邸に宿泊させて貰えるそうで、助かりましたね」


「うん。近くに宿もないしね…民家もポツポツとしかない。

 さっき牧場の前通ったし、広大な畑もあったから、住居用じゃなくて、

 そういう地域何だろうね」



もう辺りは真っ暗になった頃、ポツンと明かりが灯る邸が見えてきた。

さすが香水で財を成した侯爵家。

巨大な国境の壁のようなズドンとした邸が、暗闇から姿を現した。

白い壁に中央と両端にある三角屋根の三階建の邸。

同じような比率の窓がずらりと壁に並んでいる。



「でっか…」


「凄いですねぇ…伯爵家の3倍はありますよ」


「いや、デカすぎよ。ここに今は二人しか、暮らしてないんでしょ?」


「ええ。お母様も随分前に亡くなられて、今は病気のご友人と御子息だけ。

 窓に灯りも全然着いてませんし、使用人はいるんでしょうか?」


「あ、裏側にも邸まだあるんだ。ほら、コの字の邸なんだよ」


「まあ〜…3倍じゃなくて、5倍でした」



馬車から降り、エルヴァン騎士も馬から降りて歩いていると、

この邸の御子息が迎えに出てきてくれた。


少しウェーブしている、明るい茶色の長い髪を後ろで縛った、

垂れ目気味の茶色の瞳の優しそうな青年が、微笑んで立っていた。



「こんな辺鄙な所へ、わざわざご足労ありがとうございます。

 初めまして、私はダリルソン・オニー・クヴァレヒュームと申します。

 ようこそいらっしゃいました」


「初めまして、王宮の女官を努めております。

 スノウスフィア・ルナ・エルッヒです。よろしくお願いいたします。

 こちらは侍女のリタ、護衛騎士のエルヴァンです」



もう夜も遅いからと、すぐに宿泊する部屋に案内され、

遅めの夕食まで部屋にワゴンで運んでくれた。



「静かだねぇ…虫の声しか聞こえない」


「はい。外も真っ暗です」


「内装は全体的に、ベージュで統一してるんだね。上品で落ち着いてるわ。

 なんか調度品が重厚で高価そうなんだけど…」


「そうですね…部屋も寝室だけじゃなく、隣は居間ですね。うわぁ…

 こっちも上品です。ソファがコの字型でゆったりです。

 奥にはキッチンもあります。トイレとお風呂も…広い…」


「仕事柄、人をしょっちゅう招待して、接待やら、交渉やら、

 取引するには、こういう辺鄙な場所のが都合がいいのかもね。

 客室が沢山あるのは、近くに宿泊先がないからだろうし…」


「はあ〜、お掃除だけでも大変そう」


「ほとんどのスペース使ってないの勿体ないねぇ」


「ええ、この規模にしては使用人も少ないですね」



森の奥深くに鎮座している、この大きな邸は、

ひっそり息を潜めた森の暗闇に包まれている牢屋みたいに感じた。

夜に一歩でも外出したら、帰って来れないような漠然とした不安感 ───。




* * * * * * *




叫び声。


最初は、森の奥で何か獣が鳴いているのかと思った。


私はまだ暗い部屋の中で目を開けた。

隣で寝ていたリタが、体を起こして警戒しているのが目に入る。

彼女もこの声で目が覚めたのだわ。



「…リタ?」


「あっ、お嬢様…目がさめました?あの…聞こえますか?」


「うん、何だろう。随分声が近い感じがするけど…森の獣?」


「いいえ。これ…人間の男性の声だと思います…」


「え?…もしかして、ダリルソン令息?」


「どうでしょうか…何かあったのかもしれません」


「行ってみよう。この叫び方、尋常じゃないわ」


「は、はいっ!」



必死に助けを求めているような、悲痛な叫び声。

私とリタが廊下に出ると、エルヴァン騎士も部屋から出てきていた。

そして、皆と一緒にその声のする方へ向かった。


1階の一室から聞こえて来る、ドアに近づく程、

声は益々悲痛さを増してくる。


その声に混じって誰かの声も聞こえてきた…きっと、ダリルソン令息だわ。

そういえば、病気の友人の面倒を見てるって事前情報があった。

彼は必死に宥めているような言葉をかけている。病気の発作か何かだろうか。


無視する訳にもいかず、私は遠慮がちにドアをノックした。

しばらく叫び声と悲鳴がしていたが、静かにドアが開く。



「夜分遅くに申し訳ありません…あの大丈夫ですか?」


「え、ええ。申し訳ありません。煩かったですね…実は病人がいまして、

 もう少しで落ち着くと思うのですが…」


「…発作ですか?」


「いいえ…うなされているのです。悪い夢を見ているようで…」


「夢…?」


「はい…次の日には覚えていないので…」


「あの…私、癒しの魔力が使えるのです。良かったらお手伝いしても?」


「…そうなんですか?しかし…お客様にそんな事をさせるわけには…」


「大丈夫です。私、ちゃんと実績もあるのですよ。

 それに、これは宿泊させて頂いたお礼だと思ってください」


「………では…お願いしても、よろしいですか?」


「はい、勿論です」



ただでさえ病気で辛いのに、寝ている時まで夢で苦しめられるなんて、

気の毒すぎる。それに、私が夢渡り人だとバレなければいいのだ。


ベッドの上に横たわる人は、一瞬女性と見まごう程の美しい男性だった。

金髪に近い茶色の髪、白い肌、細い華奢な体。

そして、ベッドの側には車椅子が置いてある。…ああ、歩けないのね。

私が立ち尽くしていると、後ろからダリルソン令息が口を開く。



「彼は友人のベンジャミンです。主に植物をモチーフに描く画家です。

 今は寝たきりで、全然描けていませんが…」


「そうなんですね。あの、差し支え無ければ教えて頂きたいのですが、

 どんなご病気なんですか?」


「酷い…事故で…怪我をしたのです…それで下半身不随に…

 それから精神的に少し…不安定になってしまって……」


「…そう、ですか。お気の毒に…」



声色で分かる。令息は嘘をついている。

何か事情があるのだろうけど…


とりあえず、彼の恐怖を取り除こう。

私はベンジャミンの冷たい手に触れて、目を瞑って夢渡りを始めた。



「誰か、誰か、うあああああっ!触るな!触れるなぁっ!

 嫌だ、嫌だぁーっ!助けて、助けてー…ダリル、ダリルー!

 ああああああああああああああああーっ!」



夢に入った途端、体がビクリと跳ね上がる。

さっき聞こえていた叫び声より大きな絶叫。


そして、彼の姿を見て私は血の気が引いた。


暗い無機質な部屋の中で、人間位の大きさの黒い蛇5匹が、

ウネウネ蠢き、彼はそれに絡みつかれて苦悶の表情を浮かべている。



何、これ…気持ち悪い…気持ち、悪すぎる…



体を羽交い締めにされてギリギリ締め付けられ、

チロチロと細い舌を出し、嫌がる彼に執拗に絡み付いていく。


不愉快すぎて胸がムカつき、思いっきり黒い蛇を引き剥がして、

上に吊り上げ、業火でコレでもかと怒りの感情のままに焼き尽くした。

そして、黒い灰がパラパラと舞い落ちる。


体を丸めて怯えているベンジャミンの肩に、

フワリと手で触れて、優しく撫でた。



もう、大丈夫だよ。安心して…


安心して眠って…蛇は私が殺した。もう来ないから。



「…君は、誰?」



姿を消しているはずなのに、彼は私の方を見ていた。

いや、目があっていないし、見えてはいない。気配を感じているのだろう。



「もう、誰もあなたを傷つけないから安心して。

 ゆっくり眠って…」


「助けてくれた…の…?」


「うん。もう大丈夫だよ。蛇は殺したから」


「ありがとう…ありがと…ずっと…ずっと…誰かに助けて欲しかった…

 ずっと助けてって願っていたんだ…やっと…、やっと……

 あの気持ち悪い感触から、解放された…ありがとう、ありがとう…

 ありがとうっ…」



これ…事故じゃない。


彼は襲われたのだ。

恐らく複数人…蛇の数と同じ5人組だろう。


誰も助けがこない、自分は助からないと悟った絶望の中で、

絶対誰かが助けてくれるはずだって信じて、自我を保っていたんだわ。


実際は誰にも助けられずに、彼は被害にあってしまったのだ。

そして、その事実をダリルソン令息は知っている。



「……もう、大丈夫だと思います」



私は夢から出て、スウスウと静かに眠るベンジャミンを見て、

ホッと息を吐きながら、労うように彼の手を撫でている、

ダリルソン令息に報告して問うた。



「事故じゃ、ないですよね?」


「………はい」


「良かったら、話を聞かせて貰っても?

 プライベートなことなので、勿論、口外はしません。

 治癒能力者として、彼の精神的な重荷を取り除きたいのです」


「ええ…お話します」



別室に彼と私だけにしてもらい、

長い沈黙の後に、ダリルソン令息は静かに話し始めた。


ベンジャミンと自分は、互いに愛し合っている同性愛者で、

周りには気取られないように、密かに友人同士という関係を続けていた。


同性愛が許されないのは分かっているが、そんな汚れた関係ではなく、

男同士の友情とは違うが、お互いを敬愛し合うプラトニックな間柄だった。

周りに認めて貰おうとか、祝福して欲しいとか、そんな願望はない。

ただ、側にいられれば良かったのだ。


そんな二人の雰囲気を怪しんだ父親、クヴァレヒューム侯爵は、

探偵を雇い徹底的に調べ上げて、彼らの関係を知ってしまったのだ。


侯爵は激怒し、ダリルソンにベンジャミンとすぐ別れて、

後継として、家格の釣り合う令嬢と婚約するように一方的に言い放った。

しかし、彼は父親の命令を無視してベンジャミンと関係を続けたのだ。


そして、侯爵は思い通りにならない自分の息子に業を煮やし、

ダリルソン自身を傷つけるのではなく、大切な相手ベンジャミンを傷付け、

息子を恐怖で支配しようと、彼らを最も傷付ける最悪のことを実行してしまう。


男娼5人組に大金を払い、ベンジャミンを襲わせ重傷を負わせたのだ。

声も届かない森の奥の狩猟小屋に連れ込まれたベンジャミンは、

次の日の朝、小屋に来た猟師に発見されて病院に運び込まれた。

彼は強いショック状態で精神的にダメージを受け、

大部分の記憶を失い、怪我が原因で下半身不随にまでなっていた。


しかし、ここまでしても息子は侯爵の思い通りにはならなかった。

ダリルソンは、もう恐れで言うことを聞く幼い子供ではない。


彼が父親に対して抱いた感情は、“憎悪” と ”殺意” だった。


悪魔のような所業をした父親を彼は許さなかった。

そして彼はある計画を立てた。それが、父親の毒殺である。


父親は、眠る前にウィスキーを一杯飲んで、いつも就寝する。

スズランの天然香料を瓶に保存し、父親のウィスキーキャビネットに忍ばせ、

いつか本人が間違えて飲むのに賭けたのだ。


その企みは、誰に疑われることもなく見事に上手く行った。

都合の良い事に、嫌われ者の侯爵の死を誰も詳しく調べようともしない。


そして、父親の死後、

体も心も傷付いたベンジャミンの面倒を見ようと引き取ったのだ。


しかし、予想以上にベンジャミンの精神状態は重症だった。

彼は毎夜、あの最悪の体験を繰り返し夢で見て、助けを求めていた。



「私は、呼ばれていたのかもしれないですね。

 ベンジャミンさんは芸術家だから、感覚が常人より優れているし、

 感受性が強いんです」


「…彼は、もうあの夢をみませんか?」


「はい。私が徹底的に焼き殺しましたから」


「ありがとう…ございました…ですが、私が父親を殺した事は、

 王宮の女官であるあなたは立場上、見過ごせないでしょう?

 罪は…償います」


「私は、クヴァレヒューム侯爵死亡証明書の署名を貰いに来ただけです。

 そして、治癒は私の個人的な都合ですわ」


「え……」


「私は夢渡り人です。これは王宮でも特定の方々以外、

 秘匿にされています」


「えっ!あのっ、いきなり何をっ」


「ふふっ、聞きましたね?

 これは私の秘密。あなたはもう知ってしまった。

 そして、私はあなたの秘密を知っている。これで私たちは共犯です。

 今回の事は、お互いの胸にしまって置きましょう?」


「あっ、…はははっ、そういう事ですか…分かりました…参ったな…」


「私は同性にそんな風に愛を感じた事がないし、

 同性愛に関しては、特に何の感情もありませんし、嫌悪感もないです。

 かと言って理解している訳でもないので…だから、何も言いません。

 でも正直…お互い一番の想い人になれている、あなた方が、

 一人の人間として羨ましいです」



────私は、選ばれない方だったから。



「そんな風に言っていただいて、ありがとう、ございます…」


「誰かの一番になれるのって凄いことですよ。

 どうぞ、幸せになってください」


「あなたは、優しい人ですね…」


「ふふっ、そうでしょうか?

 ああ、参考までに、そのゴミクズ実行犯5人の名前はお分かりになります?」



彼女は美しいゴールデンパープルの目を細めて、無邪気に微笑んだ。

何をするつもりなのか疑問に思ったが、私は彼らの名を紙に書き手渡した。




* * * * * * *




今朝、新聞で男娼5人が自殺をしたと記事で読んだ。

これは、あいつらだ…間違いない。


私はあの残忍な出来事を得意げに話す父親から名前を知ったのだ。

あの5人は、そのうち始末するつもりだった。

ベンジャミンが記憶を無くし、証拠不十分で運よく逃げおおせたが、

彼があんな状態の中で、派手に行動を起こせなかった。

あいつらの素行の悪さからして、将来的にあの出来事をネタに脅し、

金をせびって来る可能性は充分想像できたし、

何より、再びベンジャミンを傷付ける事になる。



“ 参考までに、そのゴミクズ実行犯5人の名前はお分かりになります? ”



…まさか、彼女が?



“ 誰かの一番になれるのって凄いことですよ。

どうぞ、幸せになってください ”



ありがとう。


ありがとう…


同性愛は理解出来ないと言いつつも、

彼女は人間として私達を尊重してくれたのだ。


あなたにも、幸せが訪れるように祈っている。

誰よりも優しい心を持ったあなたが、誰かの一番になれますように…



そして彼女のおかげで、

ベンジャミンは、もう夜に叫ばなくなった。



でも、記憶はほとんど戻っていない。

だからこれはもう諦めていた。

また彼と一緒に思い出を作っていけばいいんだ。


今日は天気がいいから、車椅子を押して、

のどかな小川が流れている、野草の群生地の平原に散歩に来ていた。


ああ、今年も綺麗に咲き誇っている。

青紫や赤紫の花々が群生してゆらゆら揺れている。

私はここが好きで、ベンジャミンにいつも、

この花がどうして好きか力説していた。


彼は呆れながらも、嬉しそうに聞いて笑ってくれた。

今では、それさえも忘れてしまっているけれど。


俯いていたベンジャミンが、フワリと髪を揺らしてそちらを見やる。

そして何気ない口調で言葉を紡いだ。



「勿忘草…綺麗だね」


「え…ベンジャミン、今なんて…」


「君は、確かこの花が好きだったよね」


「思い…出したの?」


「うん、君いつも言ってたじゃないか。

 可愛い小さな花なのに、凄く強いんだって。

 そして、何もしなくても僅かな水さえあれば、

 毎年咲き誇る逞しさが好きなんだ、ってね」


「うん、何度も言ったよ。この小さな花から勇気を貰えるんだ…」


「勿忘草を見る度、いつも頑張って生きなきゃとも言っていたね。

 それは私も同意するよ」


「やっと分かってくれた?

 そうだ!根っこから掘り出して庭に植えようか?

 窓から見える場所に沢山あったら綺麗だし、紫の絨毯みたいに!

 ねぇ、どう?」


「はははっ、いいね。綺麗だろうな」


「よし、今すぐ邸に戻って、掘り出す道具を取りに行こう!」


「相変わらずダリルは気が早いなー、ははははっ」



車椅子を勢い良く押しながら、

久しぶりにお互い笑い合って心が浮き立つ。



勿忘草の花言葉も私は好きだった。




私を忘れないで。




それは死に行く時に、愛する人へ望む最後の言葉。


しばらく、失った悲しみや心の痛みは続くけど、


やがて時間がそれを薄れさせて、あなたを癒してくれるだろう。



そして数々の思い出が、あなたを優しく包み込み、


それがあなたの生きる強さになるだろう。




私を忘れないで、覚えていて。




そうすれば、私はあなたの心の中で永遠に生きていられるから。


ずっと一緒にいられるから。




だから、私を忘れないで ───。




* * * * * * *




新聞をバサリとテーブルに置いて、王宮の窓の外をみる。


私は何もしていない。

夢渡り人として、規約違反になるから何もできないしね。


でも、夢魔ちゃんにあの5人のリストは渡した。

相当苦しんだでしょうね。

苦しみ悶える人間も、そろそろ味わってみたくないかと尋ねたら、

夢魔ちゃんは、大喜びで目を輝かせていた。

そして、5人限定で一番辛い記憶を探り出して、

徹底的に追い詰めていいと言っただけ。


あの実行犯5人組はどうするか、本当は私自身も迷ったのだ。

もう過ぎてしまった事だ。でも、やっぱり許せなかった。

金の為に、何の恨みもない人物を平気で壊してしまうあの残酷さ。

事前に素行調査したけど、ろくな奴らじゃなかった。

奴らは、きっと彼を嬲って楽しんでいたのだ。


少し時間は掛かったけれど…あの二人が安心して暮らして行けるよう、

将来的に存在が障害になりうるあの5人は排除したかった。


人に悪意を持って害を及ぼす時は、

自分もやり返される覚悟を持たなくてはならない。



それは──私も同じだ。








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