第92話:最後の鎖
残り、三本の鎖。
十八本目。
十九本目。
斬る。
ガキィィィン!
ガキィィィン!
剣の亀裂が、刀身全体に、広がっている。
もう、一撃で、砕けるかもしれない。
残り、一本。
男の、胸に、一番太い鎖が、巻きついていた。
他の鎖より、明らかに、太く、黒い。
中心の、鎖。
一番、重要な、鎖。
これを、斬れば——終わる。
俺は、剣を、構えた。
震える、手。
刀身の、亀裂。
柄の、軋み。
全てが、限界を、超えていた。
「蓮」
翔の声が、後ろから、聞こえた。
「俺たち、ここにいる」
葵の声も、重なる。
「一緒に、いますよ、蓮さん」
美咲の声も、静かに、響いた。
「行って」
俺は、頷いた。
息を、吸う。
——遥斗。
頭の中で、弟の顔を、思い浮かべた。
——母さん、父さん。
もう、会えない、両親の顔。
——翔、葵、美咲。
ここまで、一緒に来てくれた、三人の顔。
そして——。
目の前の、男。
何百年も、縛られていた、孤独な挑戦者。
全ての人の、想いが、俺の中に、流れ込んできた。
「時間加速斬」
世界が、スローモーションになる。
最後の鎖が、はっきりと、見えた。
中心の、鎖。
塔の核心に、繋がっている、鎖。
俺は、剣を、振り上げた。
「単調斬り」
一撃。
反復20,000回超の、最強の、単調斬り。
俺が最初に覚えた、最弱のスキル。
工場のライン作業で培った、単調な反復が、ここに、凝縮されていた。
剣が、鎖に、触れる。
——響いた。
ガキィィィィィィィン!
鎖が、斬れた。
同時に——俺の剣が、完全に、砕け散った。
刀身が、粉々に、割れる。
柄だけが、俺の手に、残った。
砕けた破片が、広間の床に、音もなく、散った。
男の体から、最後の鎖が、消えた。
塔との繋がりが、完全に、断たれた。
広間が、静寂に、包まれた。
塔の脈動が——止まった。
ドクン、ドクン、という音が、消えた。
壁の漆黒の血管が、薄れていく。
床の震えが、収まっていく。
天井からの石の粉も、止まった。
男が、広間の中央で、静かに、膝をついた。
頭を、垂れた。
解放された、という姿だった。
俺も、柄だけを握ったまま、膝をついた。
全身が、限界を、超えていた。
翔が、駆け寄ってくる。
葵も、美咲も、俺の側に来た。
「蓮!」
翔の声が、震えていた。
「剣が——砕けたけど、大丈夫か」
俺は、柄だけが残った剣を、見た。
冷たい、金属の感触。
これが、俺を、ここまで連れてきた剣だった。
反復20,000回の、相棒。
「……ありがとう」
剣に、小さく、呟いた。
砕けた破片は、もう、戻らない。
でも、この柄だけは——最後まで、俺の手に、残った。
男が、目を、ゆっくりと、開けた。
その目は、以前の無機質な目ではなかった。
人間の、生身の目。
哀しみも、喜びも、疲労も、感謝も——全てが、混ざった目。
男が、ゆっくりと、頭を、下げた。
言葉は、まだ、出ない。
でも、その動作が、全てを、語っていた。
俺も、頭を、下げた。
翔も、葵も、美咲も、同じ動作を、した。
鎖が、断たれた。
男の、長い、長い、縛りが、終わった。
四人と、一人。
五人の、沈黙が、広間に、流れた。
塔の、脈動は、完全に、止まっていた。
壁の模様も、薄れていた。
この塔の、時間が——終わろうとしていた。
俺は、砕けた剣の柄を、胸に、当てた。
長い、旅の、終わりだった。
男が、ゆっくりと、立ち上がった。
その立ち姿には、先ほどまでの緊張は、もう、なかった。
ただ、静かに——解放された存在が、そこにいた。
翔が、葵が、美咲が、その姿を、見守っていた。
「蓮——!」
翔が、俺の肩を、支えた。
「やった。お前、やったぞ」
俺は、男の方を、見た。
男が、ゆっくりと、顔を、上げた。
その顔に——。
人間らしい、表情が、完全に、戻っていた。
哀しみと、喜びと、安堵が、混ざった顔。
男が、何かを、言おうとしていた。
だが、まだ、言葉が、出てこない。
広間が、静かに、次の瞬間を、待っていた。




