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第88話:鎖の正体

男が、剣を下ろした。


広間が、静まり返っていた。


俺は、息を整えながら、男に近づいた。


距離は、三メートルほど。


男は、動かない。


俺は、剣を、脇に置いた。


両手を、空にした。


——攻撃する気はない、という意思表示。


男は、俺を、黙って見ていた。


俺は、もう一度、時間加速斬を、ほんの短く発動した。


世界が、スローモーションになる。


男の体が、よく見える。


——やはり、あった。


漆黒の鎖。


首に、両腕に、胴体に、足に。


何本も、何本も、太い鎖が、巻きついている。


その鎖は、塔の壁へと、伸びていた。


壁の奥に、何かと、繋がっている。


時間加速斬の効果が、切れる。


鎖が、見えなくなる。


でも、そこに、確かに、ある。


俺は、男に、問いかけた。


「あの鎖は、なんですか」


男が、わずかに、目を見開いた。


しばらくの、沈黙。


長い、沈黙。


やがて——男が、口を、開いた。


「……塔が、俺を、縛っている」


低い、掠れた声。


これまでに、俺が聞いた、どの言葉よりも、重かった。


「いつから、ですか」


俺が、続けて、問う。


男が、また、沈黙した。


それから、短く答えた。


「覚えていない」


俺は、頷いた。


「覚えていない、というのは——塔のことじゃなくて、縛られる前の自分のこと、ですか」


男が、初めて、俺の目を、真っ直ぐ見た。


小さく、頷いた。


「……そうだ」


全てが、繋がった。


二十五階層の、碑の模様。


男の剣の柄の模様。


何百年前の挑戦者の記録。


記憶の廻廊で、何も見えなかった男。


「覚えていない」という言葉。


「帰ろうとは思わない」という沈黙。


「あったかもしれない」という呟き。


全てが、一本の線に、繋がっていた。


男は、何百年も、この塔に、縛られていた。


最初は、挑戦者だった。


頂上まで、登った。


帰還の門に、辿り着いた。


でも、帰れなかった。


そして、番人になった。


塔の、一部として。


新しい挑戦者が来るたびに、現れては、彼らを見守り、時には試した。


でも、本当は——自分を解放してくれる誰かを、待っていた。


「あなたは」


俺は、静かに、続けた。


「ずっと、ここに、縛られていたんですか」


男は、答えない。


だが、その沈黙が、答えだった。


俺は、剣を、握り直した。


「なら——」


声が、震えた。


「俺が、その鎖を、斬る」


男が、目を、見開いた。


これまで、感情らしきものを、ほとんど見せなかった男。


その目に、驚きと——そして、微かな、光が、差した。


「……斬る?」


男の、口が、動いた。


「あなたの鎖を、斬る」


俺は、繰り返した。


「あなたは、俺たちを、殺したかったんじゃない。解放してほしかった。何百年も、誰かが、鎖を、斬ってくれるのを、待っていた」


男が、長い、長い、沈黙に、沈んだ。


やがて、男の口から、小さく、声が漏れた。


「……」


言葉には、ならなかった。


でも、その沈黙が、全てを、物語っていた。


翔が、倒れたまま、俺を見た。


「蓮……」


「翔」


俺は、振り返った。


「あいつの体に、鎖が巻きついてる。それが、番人として、塔に、縛りつけてる正体だ」


翔が、かすれた声で言った。


「見えないけど——」


「時間加速斬を使えば、見える」


葵も、身を起こしていた。


「じゃあ——その鎖を、斬れば」


美咲が、静かに続けた。


「番人が、解放される」


俺は、頷いた。


男が、剣を、完全に、鞘に収めた。


戦闘の構えを、解いた。


そして——。


男が、一度だけ、小さく、頷いた。


斬ってくれ、という合図だった。


俺は、長く、息を、吐いた。


ここまで、長かった。


三十一話の、最初の邂逅から。


四十話の、碑の発見から。


四十六話の、記憶の廻廊から。


五十話の、初共闘から。


全てが——この瞬間のための、伏線だった気がした。


男は、俺たちを、待っていた。


鎖を、斬ってくれる誰かを。


そして、俺は、ここに、辿り着いた。


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