第75話:葵と美咲の本音
八十四階層をクリアした後。
休息の間で、翔と俺は、先に眠りについた。
俺の体は、もうボロボロだった。
翔も、槍を脇に置いて、すぐに寝息を立てていた。
葵と美咲だけが、起きていた。
——俺は、半分だけ、目を覚ましていた。
完全には、眠れない。
反復回数を重ねるごとに、眠りが浅くなっている気がした。
だから、二人の声が、自然と耳に入ってきた。
「美咲さん」
葵の、小さな声。
「ん?」
「怖くないですか」
美咲が、少し黙った。
泉のそばで、二人が並んで座っているらしい。
「正直、怖い」
美咲が、静かに答えた。
「でも、逃げたら一生後悔する」
葵が、小さく頷く音。
「私も、ここまで来て初めて、本当に死ぬかもしれないって感じてます」
「そうね」
「でも」
葵の声が、少し明るくなる。
「帰ったら、絶対に何か作る」
「作る?」
「はい。この塔で見たもの、全部、デザインに込めたいんです」
葵が、少し笑った。
「空中回廊の景色。記憶の廻廊の、あの霧。塔の鼓動の、壁の模様。全部、現実には絶対にないものばかりです」
「……いい趣味ね」
美咲が、少し笑った。
「それは、見てみたい」
「見せます。絶対」
「約束ね」
静かな会話だった。
葵が、続けた。
「美咲さんは、帰ったら何をしますか」
美咲が、少し沈黙した。
やがて、短く答えた。
「……守れなかった人の分まで、守る」
葵が、息を呑む音。
「警察官に、戻るんですか」
「そうね」
「なんで、やめたんですか?」
美咲が、少し黙った。
「……守れなかったから」
静かな声。
「私の受け持った事件で、一人、亡くなった。若い女の人だった。自分のミスじゃなかったけど——でも、私がもう少し早く動いていたら、助けられたかもしれない」
「……」
「それから、少し、仕事がきつくなった。休職して、結局、辞めた」
「でも、戻るんですか」
「戻る」
美咲の声は、静かだった。
「ここで四度も死にかけて、気づいた。私、まだ、やり切ってない」
葵が、小さく呟いた。
「強いですね、美咲さんは」
「強くない」
美咲が、首を振った。
「逃げてた。だから、戻る」
少しの沈黙。
葵が、ぽつりと言った。
「私、美咲さんみたいになりたいです」
「ならなくていい」
美咲が、即答した。
「葵は、葵でいていい」
「……そうですか」
「デザイナーの葵が、塔の景色を描いてくれる方が、私は嬉しい」
葵が、小さく笑った。
「嬉しいです、それ」
また、沈黙。
今度は、長かった。
俺は、半分閉じた目で、天井を見ていた。
葵も、美咲も、何かを乗り越えようとしていた。
それぞれ、違う理由で、違う道で。
でも、同じ塔の上で、それを決意していた。
——どこかで、音がした。
翔が、寝返りを打ったらしい。
「ん、お前ら……まだ起きてたのか」
眠そうな声。
葵が、笑う。
「話してました」
「俺も、混ぜろよ」
翔が、起き上がる。
俺も、目を開けた。
「……聞こえてたぞ」
葵が、顔を赤くする。
「え、え、聞こえてたんですか」
「半分くらいは」
「……恥ずかしいです」
美咲が、少し笑った。
「寝てると思った」
「半分、起きてた」
翔が、呆れたように笑う。
「お前、器用な奴だな」
四人で、泉のそばに集まった。
静かに、笑いながら。
短く、短く、言葉を交わしながら。
反復9,500回超。
ループ五周目。
塔に召喚されてから、どれだけの時間が経ったのか、もう分からなかった。
現実の世界での時間と、塔の時間が、同じかどうかも分からない。
でも、今この瞬間。
三人の仲間と、泉のそばで笑っている、今。
俺たち四人の絆は、今、最高の状態にあった。
「頂上、行くか」
翔が、立ち上がった。
「行こう」
俺も、立ち上がった。
葵も、美咲も、立ち上がる。
次の階段へ、向かう。
あと——十五階層ほど。
頂上が、目前に迫っていた。
塔の脈動が、静かに、強くなっていた。
俺たちが近づくほど、塔は、こちらを意識しているようだった。
でも、もう、止まる気はなかった。
四人の歩みは、揃っていた。




