第74話:翔の覚悟
八十階層クリア後の、休息の間。
これまでで、最も疲弊した状態だった。
翔の槍は、刃こぼれだらけ。
葵の魔法杖の宝石には、亀裂が入っていた。
美咲の矢筒は、半分に減っている。
俺の剣にも、無数の細かい傷があった。
四人で、泉のそばに座り込んだ。
誰も、喋らなかった。
ただ、疲労が、深かった。
しばらくして——翔が、俺の隣に、静かに座った。
何も言わずに、壁を見ていた。
数分の、沈黙。
やがて、翔が口を開いた。
「なあ、蓮」
「ん?」
「俺、ここが最後になるかもしれないと思って、戦ってる」
翔の声は、静かだった。
いつもの、冗談めかした声じゃない。
俺は、黙って聞いた。
「八十階層まで来た。あと二十階層で頂上だ。でも、この先に何があるか、誰も知らない。もしかしたら、破壊神より強い奴が、待ってるかもしれない」
翔が、続ける。
「俺、死ぬかもしれないって、初めてちゃんと思ったんだ」
俺は、翔の顔を見た。
翔は、壁を見つめたまま、笑った。
「でも、後悔はない」
少しだけ、声に力がこもった。
「お前と戦えて、良かった」
——胸が、一瞬、詰まった。
俺は、少し黙ってから、答えた。
「ありがとう」
翔が、首を横に振る。
「お礼言うことじゃない。本音だ」
そして、少し笑った。
「元の世界で会ったら、俺たち、こんな話しなかっただろうな」
「だろうな」
「工場勤務の兄ちゃんと、大学生じゃ、接点ないし」
翔が、苦笑する。
「お前、年上だし」
「三歳くらいだ」
「十分、接点ないだろ」
俺は、少し、息を吐いた。
翔の言う通りだった。
日本で、普通に暮らしていたら。
俺と翔が、話す機会なんて、なかっただろう。
工場で働く俺と、大学で友達とつるんでいる翔。
住む世界が、違う。
それが、今——。
こうして、命を預け合う関係になっている。
不思議だった。
「帰ったら」
俺が、口を開いた。
「接点を、作ればいい」
翔が、振り返る。
「工場のラインに入って来いとは言わないけど、たまに飯でも食おう」
翔が、少し目を見開いた。
何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
少し、間があった。
それから、ゆっくりと、笑った。
「……そうだな」
嬉しそうな、でも、どこか安堵した顔。
翔にとっても、不安だったのかもしれない。
塔の外で、俺たちの関係が続くかどうか。
塔の中でしか通じない絆、というのも、ありうる。
でも、俺は——塔の外でも、こいつといたいと思った。
嬉しそうな声だった。
「じゃあ、約束な」
「ああ」
「遥斗にも、会わせろよ」
「約束した」
翔が、頷く。
「よし」
少しの沈黙。
遠くで、葵と美咲が、何かを話している声がする。
二人のやりとりは、低くて、聞き取れない。
でも、静かで、温かい空気が流れていた。
翔が、泉の水を掬った。
「この水、うまいな」
「ああ」
「塔の中にしてはな」
俺が、少し笑う。
翔も、笑った。
「俺、帰ったら、普通の水をゴクゴク飲みたい」
「コンビニで売ってるやつか」
「ああ、あれが一番だ」
「確かに」
俺たちは、しばらく、二人で泉の水を飲みながら、黙っていた。
言葉はなかった。
でも、それで、良かった。
翔という人間は、こういう沈黙に強かった。
俺にとって、こんなに楽な沈黙を、他の誰とも共有したことがない。
「……行くか」
翔が、立ち上がった。
「もう少し、休んでていいんじゃないか」
「お前と話して、元気出た」
翔が、笑った。
「ありがとな」
俺は、短く頷いた。
葵と美咲も、こちらを向いた。
「準備、できたんですか」
葵が、聞く。
「ああ」
翔が、槍を担いだ。
「行こう」
四人で、次の階段を登り始めた。
足取りは、少し軽かった。
翔の約束が、胸のどこかに、静かに残っていた。
帰ったら、飯を食う。
遥斗に、翔を会わせる。
当たり前みたいな、ささやかな約束。
でも、今の俺には、それが、前に進む理由だった。




