第72話:蓮だけの確信
八十階層手前の、休息の間。
四人で、泉のそばに座り込んでいた。
翔が、天井を見上げながら、ぽつりと言った。
「なあ、あの銀髪の奴、最近出てこないな」
「そうですね」
葵が、頷く。
「最後に会ったのが、65階層の休息の間。それ以来、姿を見ていません」
美咲が、静かに口を開いた。
「一度だけ、前の周回で見た気はするけど」
美咲は、ループのことを、俺から聞いて知っている。
だから、こういう言い回しができる。
だが——美咲が言った「前の周回」は、四周目のこと。
あの時、男は俺たちを「試した」。
四周目と五周目は、別の時間軸にいる。
「あいつ、結局、何者なんだ?」
翔が、俺の方を向いた。
「強い先輩挑戦者、ってことでいいのか?」
「でも、傷一つないのはおかしいですよね」
葵が、首を傾げる。
「素性が分からない」
美咲が、弓の弦を弾いた。
俺は、何も言わなかった。
仲間が、俺の答えを待っている。
だが、俺は——。
答えられなかった。
頭の中では、答えは、ある。
剣の柄の模様。
二十五階層の碑。
記憶の廻廊で何も見えなかった姿。
「覚えていない」という言葉。
「帰ろうとは思わない」という沈黙。
「試させてもらう」という全滅。
そして、何度も現れる、絶妙なタイミング。
全てが、一本の線に、繋がっていた。
——あの男は、塔の、番人だ。
何百年もの間、この塔に縛られている存在。
過去の挑戦者の記録を、自ら碑に刻んだ者。
塔の中を歩き、試し、時には助け、時には全滅させる。
それが、俺の確信だった。
だが——仲間には、言えない。
言葉にしたら、仲間の見る目が、変わってしまう。
男が現れるたびに、四人の表情に恐怖が走る。
戦いの空気が、壊れる。
今、必要なのは、頂上まで登る意志だ。
あの男への恐怖で、足が止まるわけには、いかない。
「蓮」
翔が、俺の顔を見た。
「お前、何か知ってるんじゃないか?」
俺は、少し黙った。
翔の、まっすぐな目。
嘘は、つきたくなかった。
だが、今は——。
「まだ、確信が持てない」
そう、答えた。
嘘ではない。
確信はある。
でも、直接あいつ本人から確認したわけじゃない。
厳密には「最終確認がまだ」というだけ。
翔は、しばらく俺を見ていた。
それから、短く頷いた。
「そうか」
深くは、聞いてこない。
「お前が、確信を持った時に、教えてくれればいい」
翔が、笑った。
「でも、一人で抱え込むなよ」
胸が、少しだけ、熱くなった。
翔は、二十八話で俺のループを受け止めた。
そして、五十四話で俺の「強くなりすぎる恐怖」を受け止めた。
今回は、まだ俺が話していない。
でも、翔は、それでも「抱え込むな」と言ってくれる。
——こいつは、本当に。
俺は、少し、黙った。
ありがとう、と言いたかった。
でも、口には出さなかった。
代わりに、短く頷いた。
美咲が、俺の顔を、じっと見ていた。
何かを、察しているような目。
でも、美咲もまた、言葉にしない。
葵が、気を遣って、話題を変えた。
「そういえば、次の階層、どうなるんでしょう」
「行ってみれば分かる」
翔が、いつもの答えを返す。
俺は、立ち上がった。
剣を、背負う。
「行こう」
四人で、次の階段へ向かう。
登り始める前に、俺は、一度だけ振り返った。
休息の間の、壁。
黒い血管のような模様。
脈動する石。
塔が、静かに、俺たちを送り出していた。
あの男は、塔の番人。
そして——俺たちは、塔の心臓へ、近づいている。
「いつか」
声にはしなかった。
「あいつに、直接、訊く時が来る」
胸の奥で、そう確認した。
階段を、登り始めた。
八十階層の先で、塔は——また、姿を変えるのかもしれない。
翔が、隣を歩きながら、ふと言った。
「なあ蓮、お前、最近、剣に話しかけてるよな」
「……え」
「戦闘前に、剣の柄を一度握りしめて、何か呟いてる」
俺は、自分では気づいていなかった。
「無意識だった」
「そうか」
翔が、笑った。
「まあ、好きな癖だ」




