第65話:去り際の一言
六十五階層、クリア後の休息の間。
広い石造りの部屋。
中央の泉は、これまでの休息の間より、わずかに大きい。
四人で、傷を癒していた。
——そして、気づいた。
部屋の奥に、男がいた。
今回は、壁に背を預けていない。
ただ、部屋の中央に、静かに立っている。
泉の水は、飲んでいない。
「あ」
葵が、声を漏らした。
翔が、顔を上げる。
「お前も、休まないのか?」
男は、答えない。
美咲は、弓の手入れを始めた。
警戒は、解いていない。
俺は、立ち上がった。
剣を、脇に置いたまま、男の方へ歩いていく。
男は、俺を見ない。
広間の壁の、一点を見ている。
「あなたは」
俺が、口を開いた。
「戦闘のたびに、俺たちを助けてくれますね」
男は、答えない。
「ありがとうございます」
短く、礼を言った。
男の肩が、わずかに動いた気がした。
だが、言葉はない。
俺は、続けた。
「あなたの剣の柄に、模様が刻まれていますね」
男の目が、こちらに向いた。
初めて、俺を正面から見た。
「二十五階層の、隠し部屋の碑」
俺は、静かに言った。
「そこにも、同じ模様が刻まれていました」
男の目が——ほんの少し、細くなった。
俺は、それ以上、踏み込まなかった。
「いつか」
そう言った。
「あなた自身から、話が聞けたらと思います」
男は、何も言わない。
ただ、静かに目を逸らした。
俺は、仲間の方へ戻ろうとした。
——そのとき。
男が、動いた。
扉の方へ、歩いていく。
扉に手をかけた瞬間——振り返らないまま、口を開いた。
「お前たちは」
静かな声。
「頂上を、目指すか」
俺が、立ち止まる。
翔も、葵も、美咲も、顔を上げた。
「当たり前だろ」
翔が、立ち上がろうとする。
だが——男は、答えを待たなかった。
扉を開け、向こうへ消えていく。
足音は、しない。
扉が、静かに閉まった。
四人が、沈黙した。
翔が、眉をひそめる。
「なんで、答えを待たなかったんだ」
葵が、静かに呟いた。
「……聞きたかったんじゃ、ないのかもしれません」
「え?」
「ただ、確認したかった。そんな感じでした」
美咲が、頷いた。
「葵の言う通りね」
「何を、確認したかったんだ」
翔が、問う。
美咲は、首を振った。
「分からない」
翔が、ため息をつく。
「あいつ、結局、ちゃんと喋ったの、数回だけだよな」
「そうね」
「『生き残ったか』『覚えていない』『お前たちは頂上を目指すか』」
翔が、指を折って数える。
「三回か四回だけだ。あとは、ただ立ってるか、戦ってるか」
葵が、首を傾げる。
「何かを、伝えたいんでしょうか」
「伝えたいなら、もっと喋るだろ」
「伝えたいけど、伝えられない、のかもしれません」
葵の言葉に、空気が、一瞬、止まった。
俺は——扉を、見つめていた。
男が消えた、扉。
確認したかった、何か。
その何かが、俺たちの「頂上を目指す意志」だとしたら——。
それは、何のための確認だったのか。
祝福か。
警告か。
あるいは——先導か。
「お前たちは、頂上を目指すか」。
あの問いの意味を、考える。
男は、俺たちが頂上に行くことを、望んでいるのか。
それとも——止めたいのか。
柊は、死ぬ直前に言った。
「頂上には、あいつがいる。あいつには勝てない」。
「あいつ」は、誰なのか。
あの男か。
それとも、別の存在か。
俺は、剣を背負った。
仲間の方を、振り返る。
「行こう」
「どこへだ」
翔が、聞く。
「頂上に」
短く、答えた。
翔が、ニヤリと笑った。
「当たり前だろ」
葵が、杖を握る。
美咲が、弓を構える。
四人で、休息の間を出た。
階段が、上に伸びていた。
男は、どこかにいる。
答えは、まだない。
でも。
俺たちの道は、決まっている。
頂上まで、登る。
それだけだった。
道のりは、まだ、遠い。




