第92話:船上の宴(後編)
「腹芸もできないような人が、なぜ王妃になりたがるのでしょうね」
船べりの手すりから身を乗り出しながら、ジュリアは小声で問いかける。クリスは困ったように眉根を寄せた。
「王妃の役割を軽く見ているからじゃない?」
「ですよねえ……」
2人は並んで海を見つめる。波うつ水面は太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。足元はずっと揺れている。
「……船酔いとか、大丈夫ですか?」
「今のところは平気だよ。気分が悪くなったら、下で寝かせてもらうけど」
クリスはそう言いながら、ポウムに目を向けた。彼が手招きすると、彼女はカゴを持ったまま近づいてくる。
「何かご用でしょうか」
「うん。もう1つ、サンドイッチをもらおうと思って」
そう言って彼は、カゴの中からパンを取る。ポウムは彼を見上げて聞いた。
「お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「……大丈夫」
そう言って、彼はパットの方を見た。カゴの中にあったグラスは、もうほとんど空になっている。その中に、彼は自分のグラスを戻した。ジュリアも飲みほしたグラスを置く。
「……飲みすぎると、船酔いになったときに辛いしね」
クリスがジュリアにだけ聞こえるように呟く。彼女は小さくうなずいた。
「そうですね。ほどほどにしておくべきでしょう」
2人は再び甲板を見渡す。以前に見たときよりも人が少なくなっているのは、けして気のせいではないだろう。キャサリンの姿も見当たらない。もう、客室に行ったのだろうか。そう思ったときだった。
「良き日ですね」
1人の令嬢が、婚約者を伴って声をかけてくる。ジュリアは笑顔でそれに応じた。
「ええ、本当に。海が荒れてしまっては、パーティーもできませんから」
笑いあう2人の影で、パットがカゴを持ちなおす。彼はグラスが全て戻されたのを確認して、それを調理場に持っていった。
足元が揺れる船の上では、気をつけないとコケそうになる。何度も立ち止まりながら、彼は調理場の戸を開けた。
「すいません。これはどこに……」
「そこに置いてくれ」
シェフは片づけの手を止めず、目線だけで机を指した。パットは言われたとおりにする。そして彼は、シェフを置いて甲板に戻ろうとした。
「待ちなさい」
その足を止めたのは、厳しい態度の女性……甲板から姿を消した、キャサリンだった。彼女は怒りに燃えるまなざしを、使用人に向ける。
「あなた、いくらで公爵家に雇われているの?」
「……と、申しますと……?」
話が掴めず、彼は戸惑ったような様子で返した。彼女は片足を、かかとを床につけたまま動かして、苛立ちを示す。




