第88話:宴の前(中編)
「最推しかぁ。しいて言うならポウムかな?」
クリスは何も気にせず返した。ジュリアのまなざしが険しくなる。彼は彼女には目を向けず続けた。
「だけど僕は、箱推しでもあるからね。1番を決めることに、価値を感じないんだ」
「……箱推し」
その言葉の意味は知っている。けれど彼女は、目線を下に向けて聞いた。
「でも、心の中では1番が決まっているのでは?」
「そうかな。1番ってなんだろう。……思い出に残ってるって意味だと、僕にとっては最初に通ったシナリオかな」
「それは?」
「僕自身の……クリスティアンのシナリオだよ。でも、ゲームではポウムの視点で見てたし、今は自分自身だし。そのルートどおりにはいかないことは、分かっているから」
彼が悲しげな声をだす。ジュリアはそっと、横を見た。
(……何してんだ、俺)
寂しそうな横顔が、彼女の心に突き刺さる。
(好きな相手に、こんな顔をさせちまって……。これじゃあ、原作のジュリアと変わらねえじゃん)
そう思って、ジュリアは落ちこむ。一方で、クリスはすぐに立ち直った。
「だけど今は、意識して考えないようにしてるよ。側にいてくれる君にも悪いし」
穏やかな笑みを向けられて、彼女は更に落ちこんだ。馬車が整備されていない道に入る。車輪が石に引っかかって、車体が大きく揺れた。
「あ……」
とっさのことで対応できず、ジュリアはクリスのほうに倒れこむ。彼は手を伸ばして、彼女の体を抱きとめた。
「……大丈夫?」
整った顔が近づく。けれど、その瞬間に彼女は悟った。
(……そうじゃねえ。俺が好きになったのは……)
取りつくろわない、彼の姿。キャラクターの内側にいる転生者。男でもそちらの方がいい。そんな思いが、彼女の口を動かした。
「せめて2人きりのときだけは、ロールプレイをやめてもらえませんか?」
クリスが目を見開く。そして彼は、迷った様子で視線をそらした。
「……いいのかな」
「私は……俺はそうしてほしいんだ。素のお前が好きだから」
車内に沈黙が流れる。しばらくしてから、彼は少し恥ずかしそうに、目を細めた。
「……じゃあ、そうするね。ありがとう」
そう言って微笑んだ、彼の表情が愛らしくて。ジュリアは顔を近づけて、彼にそっと口づけた。
「……愛してる」
初めて言葉にした気持ち。クリスはそれに、笑みを深めて答えを返す。
「……私も好き。あなたのことを、愛してる」
そして今度は、彼の方から唇を重ねて。目的地につくまで、2人はずっと見つめあっていた。




