第78話:シリルの心(後編)
「…………兄さん」
しばらくしてから、小さな声でつぶやいて。シリルはゆっくりと両手を下ろした。ジュリアは無言で、彼の腕を掴んでいた手を離す。
「いい子だ、シリル」
彼の頭に手を伸ばして、クリスは優しくなでた。シリルは目を閉じて、されるがままになっている。
(……大丈夫か?)
ジュリアは彼を見つめていた。クリスが困ったような顔をして、シリルから手を離す。
「落ち着いた?」
「……はい、兄さん」
シリルは夢見るような目で、クリスを見上げた。ジュリアの目線は、まだ厳しい。
「何を考えているんですか」
彼女はクリスに向かって言った。彼はシリルの体を抱き寄せて、その頭を抱えこむ。
「……僕は、シリルのことを大事にしたいんだよ。それだけだ」
「それで本当に殺されたら、取り返しがつかないでしょう」
「信じていたから大丈夫だよ。……きっとシリルは、そうしてほしいだろうと思っていたから」
「……っ、兄さん……!」
抱き寄せられたシリルは、感極まって泣きだした。ジュリアはそれを見てため息をつく。
「……あなたは学習していないんですか?」
「……そう言わないでくれ。僕にはこれしかないんだよ」
ジュリアも本当は分かっている。クリスはゲームのシナリオどおりに進めて、シリルを味方につけようとしているのだと。そしてそれは、成功した。
クリスにすがりついて、子供のように泣いているシリルは、決して彼を裏切らないだろう。その上で、彼女は警戒を続けている。
(けどそれは、シリルに執着されるってことだ。今は大人しくしてるが、こいつだってヤバいヤツであることは変わらねえだろ)
鋭い視線を向けられて、クリスは苦笑を浮かべる。ジュリアの考えは、彼にも分かった。
(君は正しい。シリルは孤独を恐れているから)
シリルの背中に手をやって、優しい手つきで撫でながら。目を細めて、クリスは思った。
(だけど、ごめんね。僕は彼に、愛を教えてあげたいんだ)
腕の中にいる男は、もう泣きやんでいる。だが、その体はまだ震えていた。
「……兄さん」
シリルの口から音がもれる。ジュリアはもう1度、深いため息をついた。
「……覚えておきなさい、シリル。クリス様の弟になるということは、私の義理の弟にもなるのよ。そのかたは私の婚約者なのだから」
それが、彼女の精いっぱいだった。厳しい声を耳にして、シリルの肩がビクリと動く。
「……はい」
掠れた声で、彼は言った。
「忘れません、絶対に。オレはお2人のために働きます。だからどうか、見捨てないで……」
「もちろんだとも。可愛いシリル。僕たちは君を、愛しているよ」
クリスの穏やかな声が室内に響く。それはシリルの心を、永遠に縛る鎖となった。




