第74話:足りないもの(後編)
「なあ、このあとはどうするんだ?」
ジュリアが小声で話しかけてくる。クリスは横目で彼女を見た。
「……このイベントは、僕が知らないものなんだ」
不安そうに、彼は言う。
「どうすればいいか、わからない」
「なら堂々としてろ。……それにしても。知らないのに、さっきは止めなくてよかったのか? シリルがフィリクスの事情を知るのは、秋なんだろ」
お互いにだけ聞こえるように、気をつけて話しながら。ジュリアはフィリクスのほうに視線を向けた。クリスは笑って、コップの中に満たされている液体を覗きこむ。薄茶色の湖面には、彼の顔が映っていた。
「大丈夫だよ。彼はこの程度の酒では酔わない」
陶器のコップに入れられているエールは、度数の高いものではない。いくら一気飲みしたと言っても、それだけでフィリクスが酔うとは、クリスには思えなかった。
「多分、演技だ。こちらを油断させるための」
その言葉は、ジュリアの耳元でささやかれた。階段の下から足音が聞こえてくる。シリルが戻ってきたのだと気づいて、クリスは立ち上がって出迎えた。
「やあ、おかえり」
「……なんだ、お前か。あいつはどうしてる?」
男は両手に、鳥の丸焼きが乗った皿を抱えている。その目がフィリクスに向けられた。酒を手にして、遠い目をしている彼に。
「下手な演技はやめろ」
持ってきた料理を机の真ん中に置いて、シリルは彼をにらみつける。彼は目を細めて返した。
「……見抜いていたのか」
スッと表情を引きしめて、背筋を伸ばしながらフィリクスはつぶやく。シリルの後から、酒場の娘が入ってきた。彼女はその手に、料理を取り分けるためのナイフと小皿を持っている。
「ごめんなさいね。店で1番大きな机を用意してたんだけど、それでも足りなかったみたいで」
そう言って、彼女は持ってきた物を置いていく。ドアが閉められてから、クリスはようやくフードを取った。
「当たり前だろう。……僕たちは君を知っている」
「……そうでしたね」
彼の言葉に、フィリクスはそれだけ返してナイフを取った。鳥肉を切り分ける男の目は、鋭いままだ。
「……味が濃いですね。安い肉を使っているせいでしょう。こんなものを、あなたは好んで食べているのですか?」
「確かに貴族が食べる物とは違うかもしれない。でも、彼らはできる範囲で精いっぱい、美味しくしようとしているんだ。その努力には、他の物にはない価値があるよ」
冷ややかな視線を見返して、クリスは胸を張って告げる。にらみあったまま、彼らはどちらも引かなかった。




