第73話:足りないもの(前編)
(やっぱりな)
前を歩くフィリクスの背を見ながら、ジュリアは薄い笑みを浮かべた。
(こいつはクリスになろうとしてる)
一目瞭然。観察していれば分かることだ。けれどクリスティアンの強みを、彼は理解していない。
(それじゃあ無理だ)
1列になって階段を上る。その間も、彼女はフィリクスから目を離さなかった。
「この部屋だ」
シリルが用意していたのは、前と同じ、2階の1番奥の部屋。そのドアを開けて、彼は他の3人を招く。
「ありがとう」
中に入って、クリスは用意されたイスに座る。他の2人も、それにならった。
「いいお店だろ? ここ、大好きなんだ」
「……そうですね」
フィリクスが冷ややかな声をだす。彼はまったく、心を動かされた様子がない。
「お待たせしました!」
階段を上る軽い足音が聞こえてきて、酒と人数分のコップを持った娘が入ってくる。彼女は気まずい空気にも怯まずに、注文された品を置いていった。
「それではどうぞ、ごゆっくり」
扉が閉められる。少ししてから、フィリクスが酒に口をつけた。
「これは麦酒か」
「お貴族様には、ワインの方がいいか? あいにくと、ここにはそんな高価なもんは置いてねえ」
シリルがジト目で彼をにらむ。フィリクスは目を細めて返した。
「いや、久しぶりだ。悪くはない」
そう言いながら、彼は一気に酒を飲みほす。その横で、クリスは困った顔をしていた。
「……ねえ、フィリクス。僕の何が、気に入らないの?」
耐えきれず、彼は震えた声で聞く。何も話さず、酒を飲んでいたフィリクスは、顔を上げて彼を見た。
「気に入らないのではありません。……その逆ですよ。あなたの素晴らしさは理解している」
酒の力だろうか。彼は混じりけのない本音を口にした。
「私は、あなたのようになりたいのです。誰にも文句がつけられない力を得て、父を……」
そこで彼は言葉を切った。そのまなざしが、少し和らぐ。
「父を安心させてやりたい。私は唯一の跡取りですから」
それはもう、彼の本音ではなかった。そのことに気づきながらも、クリスは笑ってうなずく。
「なら、まずは僕の好きなものを知ってくれ。この店はその1つだよ」
「……分かりました」
フィリクスが首を縦に振る。シリルはその姿を見て、下に追加の注文をしに行った。彼が出ていって、ジュリアはようやくひと息つく。
(油断できねえ……。フィリクスが最後まで言ってたら、どうするつもりだったんだ)
横を見る。クリスティアンは知らん顔で、酒をチビチビと飲んでいた。




