第70話:初夏(前編)
ジュリアとクリスが見つめあって、少し時間が経ってから。部屋のドアが、外から軽く叩かれた。
「……どうぞ」
クリスが答えて、立ち上がろうとする。ただ、その前に。外からドアが開かれた。
「邪魔するぞ」
そう言いながら、部屋の外にいた人物が入ってくる。それは見慣れた使用人姿のシリルと、冷たい目をしたフィリクスだった。声をだしたのはシリルのほうだ。
「コイツが、どうしてもクロスリーの店に行きたいと言いだしてな。それなら、お前たちにも来てもらおうと思ったんだ」
「それはどうして?」
「お前たちは、何度も店に来ているからな。もう慣れているだろう」
クリスの問いに、シリルが真顔で言葉を返す。そして彼は、チラリとクリスの胸元を見た。
「さすがに常にはつけられないか」
クリスの側まで歩み寄って、シリルはほとんど消えそうな声でつぶやく。その言葉を耳にして、クリスはポケットの中に片手を入れた。布を通して、金属がこすれる音がする。
「誰かに見とがめられたら困るからね。肌身離さず、持つだけにしている。……返してほしい?」
「いや、必要ない」
淡々とした声で、シリルは言いきる。
「それはオレが持っていても、役に立たない物だ」
それだけ言って、彼はクリスから離れた。ジュリアは目を細めて、席を立つ。
「行くなら早くしましょうか」
彼女はこれ以上、この話を続けたくなかった。だから無理やり打ち切って、シリルが持ってきた服を受け取り、部屋のすみで隠れて着替える。
(……あれが何なのかは、俺にはもう分かってる。クリスが渡してきた資料にあった)
手を動かしながら、ジュリアは唇を引きしめた。
(あれは、今の国王の肖像画が入ったロケットだ。シリルにとっては、ただ1つの親の手がかりでもある。だけど……)
少し考えれば分かることだ。国王の肖像画は、金さえ払えば手に入る。それを持っているからといって、実の子である証明にはならない。ましてシリルは、母親にすら捨てられている。
(もし本当に王との子なら。どう考えても、捨てるより手元で育てるべきだ)
そんなことは、彼も当然理解している。だから彼は、決して口には出さない。
(だけどそれでも、もしかしたらとは思っている……)
それはシリルの、ただ1つの願いだ。ペンダントは何の証明にもならないが、祈りにも似たその思いで、シリルの宝物になっている。
(それを渡したってことは、自分の心を預けたってことだ)
フードを被りながら、ジュリアはクリスの隣に戻った。シリルは黙って、彼の近くにひかえている。
「準備はできたね。それじゃあ、行こうか」
その本当の思いを、どこまで汲みとれているのか。クリスは相変わらず、柔らかな笑みを浮かべていた。
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