第58話 入試勉強がんばらなくっちゃ(中原)
高校生くらいの客がやってくる。
「このチョコレート食べると、頭が冴えるんだよー」
「今日の塾、めんどくさいなー」
そんな話題が、耳に入ってしまう。
そう、今日は、先週佐々木を誘った、予備校の無料体験の日だ。
無料体験といっても、まだ通っていない人を対象にするだけのものではなく、すでに入校している人たちと一緒の教室で授業を受けるという本格的なものだ。
普通の女子高生なら、めんどくさくもなるのだろうけれど、佐々木と一緒だと思うと、なんだか楽しみでもある。
いやいや、佐々木は北海道学院大学を受験するつもりだ。佐々木は大真面目なんだ。わたしだけうかれてはいけない……。と思ったのだけど……。
「なあ中原」
「なに、佐々木……」
「やっぱり今日の服、変じゃないよな」
「予備校なんて、みんなあまり、周りを気にしてないんじゃないの」
「そうだけどさ」
「勉強しやすい格好なら、どんなでもいいと思うけど」
佐々木は、Tシャツと寒さ対策にジャケットを羽織り、ジーパン姿でコンビニにやってきた。そして、コンビニの制服に着替えてバイトをはじめたわけだが、バイトの時間中ずっとそんなことを言っていた。
佐々木も、うかれているようで、ちょっと安心した。
ようやく午前のシフトが終わった。
「さあ佐々木、いつまでもクヨクヨ言ってないで、急いでいくよ」
「本当に、変だと思われないかなー」
月寒中央駅から地下鉄に乗り込む。休みの日の地下鉄は、大通に近づくにつれ、人が乗ってくる。おしゃれをした女子高生も多い。
「中原ー。やっぱり場違いじゃないかな」
「佐々木、気にしすぎだよ……」
大通駅で降りて、予備校に向かう。
近づくと、予備校に通っていると思われる人が多くなってくる。
スウェットを来た人、サンダル履きの人など、みんな動きやすい格好だ。
でも中には、着飾っている人もいる。
「人によって、だね」
「ああ……。でも、ちょっと気が楽になってきた……」
授業を受ける大教室に入る。みんな静かに、単語帳を見たり、参考書を黙々と読んだりしている。
空気がピンと張りつめている、とはこのことを言うのだろうか。
佐々木と隣の席にすわるが、ここでおしゃべりするのは、気がひける。
佐々木は、最初の授業の国語用の参考書を出す。かなり使い込まれている。
わたしも、辞典や参考書を出すが……。ちょっときれいだ。
他の人のものものぞき込むと、やはり使い込まれている。
なんだか、本の使用感だけでも、恥ずかしくなってきた……。
先生がやってくる。
ホワイトボードの前で一礼すると、すっと大きく息を吸い……!!
早口で、怒涛のように話し出す。
「そもそも万葉詩人は柿本人麻呂が一番優秀です。赤人も黒人も到底及ばない。大伴家持は人麻呂を踏襲しているにすぎない。有名になったのは家持が自分で編纂して自分の歌を入れたからにすぎない。そこのところを理解しないと、万葉関連の古典読解などは論外である!!」
ええっ!? そんなことまで知ってないといけないのっ!?
「人麻呂が旅をしていたという生涯を知れば、羈旅歌がどうして詠まれたのかが分かります」
人麻呂の生涯なんて、知らないよぉ……。
「挽歌は、当時の儀式として、死者の鎮魂を意味しているのです。人麻呂は貴族の鎮魂を行なっていたのです。そもそも万葉の歌は、今のように楽しく俳句を詠む感覚ではなかった。神社などで行なわれる祝詞と同じで、祭祀的意味をもっていたのです」
挽歌? 鎮魂?? 祝詞???
アニメやラノベでよく出てくる単語なんだけれど、まったく意味が分からない。もっと分かるように説明してくれっての。
……って……。
「みなさんなら、私の言っていること、理解できますよね。理解できない人は、危ういと思った方がよろしい!」
ううっ!
もう、スナイパーに狙撃された心持だ……。
ようやく、授業が終わった。
周りの声に耳を傾けると、
「危ないところだった。当時の歌人の背景も勉強しておかないとな」
「当時の風俗も勉強しておこう」
先生のところには、質問に行く生徒も見える。
「先生、山上憶良の話がありませんでしたけど、山柿の門とは……」
レベル、高すぎだろ……。
隣の佐々木を見る。
えっ、目を輝かせている。
「なあ、中原! 中原!」
「な、なに、佐々木?」
「すごかったな、今の話。そうか、万葉集を理解するためには、歌人同士がどう影響を与えあったのかも理解しないといけないんだな」
「佐々木、今の話、理解できたの?」
「ううん。理解できなかったからこそ、課題が見つかったんだよ!」
さすが、佐々木だ。これが、分からないことが分かった、というやつなのだろうか。
次は、日本史だ。
暗記科目なら、まだついていけるのではないだろうか……。
「触穢思想は仏教伝来とともに伝わりました。死者が穢れている、恐ろしい存在というのは、もともと日本の思想にはなかったのです。天皇が崩御した時に殯に安置して儀式を行なうのは復活を願っている。しかし『令集解』には殯宮に安置された雄略天皇の髭がはえ、胸元まで伸びるまで暴れて仕方が無かったと書いている。暴れる、すなわち復活することは嬉しいことのはずなのに、そうではないことが読み取れる。『令集解』の成立した段階では、すでに死者の復活を願う思想が忘れられ、死者が穢れをまとった恐ろしい存在だという考え方が定着していたことが分かるのです」
…………。
雄略天皇って、倭の五王ってやつだよね……。それくらいは知っているけど……。暗記だけじゃ、だめなの?
そもそも触穢思想ってなんだよ? 穢れなんて、ホラー映画の中でしか聞かないよ……。
日本史の授業も終わった。
「中原! 中原!」
また隣で、佐々木が目をキラキラさせている。
「日本史って、ただの暗記科目だと思っていたけど、いろんな思想を複合的に見ないと分からないんだな! 目からうろこだよー!」
「そ、それは良かったね……」
予備校が終わった。
大通公園に夕日が差し込む。赤いテレビ塔が、夕焼けに染まって、さらに赤々としている。
佐々木は、来るときの服装を心配していたことなど忘れたようで、足取り軽そうだ。
しかしわたしはと言うと、焼きとうきびの香ばしいにおいにも、あまり食欲をそそられない。ちょっと、どんより、だ。
それはそうだ。わたしは、なんとなく、入れる大学に行ければ、などと思っていた。
でも、本気の人は、違うんだ。
今日の授業だって、本気で上位の大学を狙う人は、知っておかないといけないことなんだ。
実際、佐々木は目を輝かせている。
「ねえ、佐々木」
「なんだ、中原」
佐々木は、ウキウキして、わたしの顔を見る。
「わたし、北海道学院大学、受けるの、やめるよ……」
そう。受けたって、受かりっこない。
「……ふーん」
佐々木は、それだけ言う。
「そうだよ。佐々木は、頑張っているから、きっとなんとかなるよ。でも、わたしの学力じゃ、今日の話に全然ついていけなかったし、ちょっと無理だなって」
「別にいいけど、中原の覚悟なんて、そんなもんだったんだな」
うっ。
なんだよ、そのトゲのある言い方。
この前も、佐々木から喧嘩をふっかけてきたんだぞ。先週仲直りしたばっかりなのに、また喧嘩する気かよ。
いやいや、でも、ここは、がまんだ。
「あはは~。そうだよ。わたしは単に、大学ならどけでもいいって思ってるし」
「中原、前に、北海道学院目指すって言ったよな」
「うん。言ったけど」
「中原って、言ったこと、コロコロ変える、そういう子だったんだ」
「いや、別に、そういうわけじゃないけど」
「あたしは!」
急に佐々木が大声を出して立ち止まる。
「中原って、芯のある子だって思ってたけど、そうじゃないって思って、ちょっと残念だ」
「うっ!」
なんか、はっきりと言われた。
それを言われると、返す言葉がない。
でも、わたしも、ヘラヘラ生きてきたわけじゃない……。って、そうだっけ?
円山女子高では、周りのお嬢様に合わせられるよう、同化することに気をまわしてきた。
海外旅行の話や、晩餐会の話など、わたしが到底体験できないような話題が出たときは、後ろでニコニコしながら相槌を打っているだけだった……。
「中原、ちょっと今日の授業聞いて、気弱になっているだけなんだって、一緒に頑張ろう」
そうか、佐々木、落として上げてくる言い方をして、わたしのこと、励ましてくれようとしたんだ。
佐々木には弟がいる。こうして、一瞬不安にさせて考える時間を与えて、その後に寄り添う。きっと、よいやり方なのだろう。
実際に、心がほっとする。
佐々木、やっぱり、お姉ちゃんなんだなぁ。
でも……。
「ごめん、佐々木。やっぱり、わたしには、無理だよ」
「中原……」
「佐々木の言う通りだよ。わたし、芯なんて、ないんだよ。学校でも、いつも他人の顔色をうかがって。必死で、話題に食いついていこうとして」
「いや、そんなこと、あたし言ったわけじゃ」
「ううん。目が覚めたよ。わたし、そういう子。人前では、常に演じてるだけなんだよ」
佐々木が、おどおどしているのが分かった。
「ごめんね、佐々木。わたしに対して、幻滅したよね。でも、これがわたしなんだよ。情けないよね。コロコロ、自分の都合のいいように、主張を変えて」
「ごめん、中原。あたし、言い過ぎたなら謝るから。本当は、そんなこと、思っていないし」
「ううん。佐々木は、わたしのこと、とってもよくわかってくれているよ……。ありがと。わたしがどういう人間なのか、わたし自身、把握することができたよ。したっけ、もう、帰るね」
「ちょ、中原!?」
わたしは、近くの地下構内への入り口から、さっさと地下街に入った。佐々木が追いかけてくるのが分かった。
地下街は、夕食時ということもあり、大勢の人でにぎわっている。一度地下街の人混みに混ざると、もう、探せないだろう。
わたしは、宮の沢行きの地下鉄に乗るために、東西線の乗り場を急いで目指した。
一刻も早く、遠くへ行きたい。
なにやってるのかな、わたし。
せっかく、佐々木と仲直りできたばかりなのに。
自分で佐々木を予備校の無料体験に誘っておいて、自分で自分の学力のないことを思い知って、自爆して……。
わたし、本当に、バカだな。学力もないし、そもそも頭も悪いし……。
自分が、嫌になるなぁ。
そこへ、どっと人にぶつかった。
相手が後ろ向きに倒れる。
「いっ、ててて」
相手がしりもちをついている。
「す、すみません」
これは、完全にわたしが悪い。地下鉄のホームに急ぐあまり、人のことを見ていなかった。
相手を起こそうとする。
「って、赤坂?」
「あれ、中原パイセン?」
「うわー。カツカレー!」
赤坂が、出てきたカレーをスマホで撮っている。
チカホの札幌駅側の喫茶店街。
地下なのに一階と二階に分かれているという特殊な作りになっている場所の、カレー屋さん。
なんだか、赤坂を誘ってしまった。
「じゃあ、中原パイセン、ごちになりますね」
「うん。今日は遠慮なく食べて。それにしても、本当にゴメン」
「まったくですよ。ぶつかったのがわたしだから良かったものを。あれは怒られるパターンでしたよ……」
もちろん、謝罪の意味もある。さっきは、一刻も早く、大通から遠くに離れたかった。
でも、知り合いの赤坂の顔を見た途端、ちょっと人が恋しくなってしまった。
やっぱりわたし、ころころ考えを変えちゃうなぁ。
赤坂は、フォークにカツを刺したまま、あたしの顔を見る。
「佐々木先輩と、またなんかあったんですか?」
「ううっ」
赤坂は、やっぱり良く気づくやつだ。
「まったく、喧嘩するほど仲がいいって言いますけど、夫婦喧嘩は犬も食わないんですよー」
赤坂は、パクっとルーのかかったカツをほおばる。
「あのさ、赤坂」
わたしは、赤坂に、先ほどの予備校からの帰り道であったことを、話してしまった。
「ふーん。中原パイセン、おバカさんですね」
「おバカって……。ちょ、赤坂ー」
赤坂の頭を、クシャっとやってやろうとしたけれど、
「あっ、そういうの、今日はいいんで」
赤坂は、手を広げて、わたしの行動を制した。
「ちょっと待ってくださいね。ここの店、ルーのお替わりできるみたいですよ。すみませーん。ルー追加でー」
なんだよ、赤坂。ちゃっかりしてるな。
赤坂は、アツアツのルーのかかったカレーを、もう一度ほうばる。
「まあ、バカなのは、分かってるよ……」
「そうじゃないですよ」
「そうじゃないって?」
「中原パイセン、まだ入試まで一年以上もあるんですよ」
「そりゃ、そうだけど」
「わたしも、まだこんな時期に、あきらめるなんてって思います。正直、さぼりたい、って言っているように聞こえますよ」
「ううっ」
ぐうの音もでない。
さぼりたい、とは思っていない。でも、努力したって無駄だ。無駄な努力はしたくないとは、少し思ってしまったかもしれない。まあ、それは裏をかえせば、さぼりたい、ということなのだろうか。
「このまえ、佐々木先輩と喧嘩してましたよね。佐々木先輩の言いたかったこと、わたしはなんとなくわかります」
「えっ?」
わたしは、赤坂の目をじっと見た。
「中原パイセンだって、なんとなくわかってるんじゃないですか。佐々木先輩は、中原パイセンが、人と仲良くなるのなんて、簡単にできる人だ。だから、自分とも簡単に仲良くなった。そんな中の一人だったって思って、寂しくなったんですよ」
「うん。それは、なんとなく、分かったけど」
「だから今日も、佐々木先輩、中原パイセンが諦めるって簡単に態度を決めちゃったんで、自分と仲良くなるのは、とっても簡単なこととしか思ってなかった。努力も何もしていかなかったって思ったんじゃないですかね」
「どういうこと?」
「中原パイセン、努力しない子だ。佐々木先輩と仲良くなるのは、何の努力もしてこなかった。佐々木先輩は、中原パイセンと仲良くなるのに、努力したのに……って思ったんじゃないですか」
なんとなくだが、意味は分かる。
佐々木は、人とかかわるのが、奥手な方だ。
だから、きっとわたしとはじめに仲良くなるのも、そうとうに努力したのかもしれない。
「だから、そんな佐々木先輩からすると、中原先輩がすぐに諦める人だって思ったら、残念な気持ちになったんじゃないですかね。自分なんて、しょせん、簡単にお付き合いできるようになった、軽い女だって思われたって」
「軽い女って。言い方……。でも、もし、佐々木がそう思ったんだったら、それは佐々木の勝手だよ」
「はい、佐々木先輩の勝手です」
「なっ!」
「だけど」
わたしと赤坂の前に、アイスが置かれる。
ここのカレー喫茶は、食べ終わると、アイスのサービスがあるのだ。
赤坂は、アイスのスプーンをわたしに向けた。
「中原パイセンは、そんな佐々木先輩の勝手に、どう向き合うんですか? ここからは、中原パイセンの問題です」
赤坂は、そのままスプーンでアイスをすくって、パクっと食べる。
佐々木、そんな気持ち、抱いていたのかな。
わたしも、お嬢様学校で、人の気持ちを察する能力は養ってきた。
うん。なんとなく、佐々木がそんなふうに思っていたのも、分かっていた。
赤坂に言われて、はっきりと分かった。
でも、どうしろというのか……。
「中原パイセン、早く食べないと、アイス溶けじゃいますよ」
わたしのアイスが、汗のように溶けてきている。
「そう、だね……」
わたしは、一口アイスを食べる。辛くなっていた口の中に、甘さが広がる。
「えーと、中原パイセン」
「なに、赤坂」
「わたし、児童養護施設で、いろんな子を見てきました。もちろん、わたしもそうですけど、中には、人に助けられないと、自分じゃどうしようもできない子もいるんです」
「うん」
「中原パイセンは、幸運なことに、自分でなんとかできるじゃないですか」
「…………」
「あとは、中原パイセンの問題ですよ」
「…………」
そこから赤坂は、何も言わなかった。
なんだよ、赤坂。達観してるじゃないか。
レジで、赤坂の分も支払う。
「中原パイセン! ごちそうさまでしたー」
「まったく、かわいくない後輩に奢ることになるとはなー」
「ひどいですねー。まあ、わたしとしては、犬も歩けば棒にあたるってやつでしたよー」
「ねえ、赤坂」
「はい」
「ありがと。今日、逢えてよかったよ」
「それは何よりです。まったく、わたしも人がいいですよねー。敵に塩を送るなんてー」
「赤坂。カレー奢ったんだから、貸し借りはなしだからね」
「分かってますよ。したっけ、そろそろわたし、帰らないと」
「うん」
赤坂が、地下街の人波の中に消えていく。
なんだかんだ、赤坂、いいやつだよな。
まったく、わたしも、後輩に諭されるなんて……。
近くの、JRタワーの中には、本屋がある。
頑張って、みようかな。
赤坂の言うように、自分でなんとかできる、のかな?
なんとかならないかもしれないけれど、自分の力で、もがくことはできそうだ。
どこまでできるかは分からない。だけど、まだ、分からないことも分かっていない。
もう少し、あらがってみても、良い時期だ。
入試勉強、がんばらなくっちゃ。
うん。このまま、佐々木に言われっぱなしなのも、シャクだしね。




