第40話 トイレの神様のご利益?(中原)
赤坂がコンビニの制服から着替えを終えて、事務室から出てくる。
「えーと、本当に、わたし帰ってしまっていいんですか?」
赤坂が、しきりにトイレの方を見ている。
「いいよ、いいよ、あとはあたし達がやっておくから」
と佐々木が言う。
「うう、佐々木先輩~、ありがとうございます~」
次に、赤坂が私の方を向く。
「中原パイセンも、いいんですか……」
赤坂がわたしにも声をかけてきたのは意外だった。いつもは佐々木に媚びて、わたしのことをパイセン、なんてからかっているのに。
「いいっていいって。したっけね、赤坂」
「あの、中原パイセン、ありがとうございます」
そう言って、赤坂はお辞儀をして、コンビニを出ていった。
「赤坂さん、礼儀正しいね」
「うん。ああしていればいい子なのにね。まったく、それでもわたしのこと、パイセンとか言って」
「それだけ、中原に懐いているんだろ」
「そうなのかなぁ。絡んできているだけじゃないのかなぁ」
そんな話も束の間、トイレから、
「ウォエエエェェェー」
と、声がした。
「うっわー……」
「おい中原、お客さんなんだから、そんなこと言うなよ……」
ようやく、青ざめた顔のおやじがトイレから出てきた。
そのおやじは、何を買うでもなく、わたしと佐々木の立つレジの前を通り過ぎて、外へ出ていった。
通り過ぎると、プーンと甘ったるいにおいがする。
「うっわ、酒くさっ!」
「だから、お客さんなんだから、そんなこと言うなよ」
「だってぇ~、今の人、何も買わずに出て行ったよ。ただトイレで吐いていっただけじゃん」
「今日はそうだけど、他の日に買い物してくれてるかもしれないだろ」
「それはそうだけどさぁ~」
ただ、あとにはトイレ掃除が残っている。
あれだけ盛大に吐くおやじだ。さぞかし汚していったに違いない。
「はあ。特別手当なんて、出ないのかなぁ……」
「そんなの出るわけないだろ。さて、じゃあ、どっちが掃除する?」
「…………じゃあ、ここは公平に、コイントスで」
「コイントスって、じゃんけんじゃないのかよ」
「いいじゃんか。わたし、じゃんけん弱いし」
「まあ、公平だからいいけど」
わたしは、レジから10円玉を出す。
「おい、レジから勝手にお金を出すなよ」
「まあ、使ったらすぐに戻すし。じゃあ、表と裏どっち?」
「じゃあ、表」
「よし、じゃあ投げるよ」
「いやちょっと待った」
「なに?」
「中原、実は投げた後、10円って書いてある方が出たら、実はお金は数字の書いてない方が表なんですーなんて言うつもりだろ」
「いや、そんなことないし……」
「目が泳いでるぞー」
「わたしを見くびらないでほしい! そんなに卑怯じゃないよ」
「じゃあ、あたしは、平等院鳳凰堂の描いてある方で」
「わ、わかったよ。じゃあ、投げるよ」
まったく、佐々木ときたら疑い深い。まあ、これも、佐々木なりのジョークなのだろう。
わたしは、コインを親指でピンとはじいた。
コインが宙をくるくる舞う。
わたしは手の甲でコインを受け、すかさずもう片方の手でコインを隠した。
「どう、わたしのコイントステクニック」
「あー、うまいうまい」
「なんだよぉ、そのどうでも良さそうな反応は」
「それよりも、どっちが出たんだ」
「じゃあ、開けるよ」
わたしは、手の甲をおおった片手をゆっくりと離した。
「…………」
「中原、ご愁傷様……」
平等院鳳凰堂が煌びやかに顔をのぞかせていた。
わたしは、ゴム手袋とマスクを着用。トイレに入った。
「うっわー……」
想像の通り、トイレの床まで……。もう、これ以上は考えたくない……。無心だ……。
「中原、お疲れ……」
「佐々木……疲れたよぉ……」
「お、おう……」
「はあ、なんか、精神すり減った……」
「なんか、悪いな」
「いや、いいんだよ。コイントスの結果だよ。これは、トイレの神様がわたしに何か恵みを与えてくれる、啓示なのだよ」
わたしは、ゴム手袋とマスクを捨て、入念に手を洗った。
そこへ、お客が入ってきた。
「漏れそう漏れそう~」
とか言って、トイレに駆け込んでいく。
「おうおう、わたしの掃除したての、さわやかなトイレを使うがいいさ」
わたしは、はあ、とため息をついた。
佐々木は、レジのまわりの整頓をしている。
「コンビニのバイトってさ、ただレジに立つだけじゃないんだよな。ゴミの処理、店の中や外の掃き掃除。そして、トイレ掃除……。やることはたくさんなのに……。みんなそんなこと考えないんだよな」
「そうだよね。辛いよね」
「中原、よく頑張りました。めんこい、めんこい」
そういって、佐々木は、わたしの頭にポンと手をのせて、なでなでする。
「うっ、佐々木!?」
とっさのことだったので、わたしは驚いた。
「ん? あっ、いや、その」
佐々木も焦っている。
「いや、いつも弟を褒める時に頭なでるから……。つい……」
「ううん。いいよ……」
なんだか、恥ずかしい。
「ねえ、佐々木」
「なんだ、中原……」
「わたしの精神力ゲージを回復させるために、もうちょっと、頭なでなでしてくれない?」
「ううっ……。別に、いいけど……」
佐々木は、わたしの頭をなでてくれる。佐々木の手、温かい。ぽかぽかする。
わたしは、そっと上目遣いで、佐々木の顔を見る。
佐々木は、目をそらしながら、恥ずかしそうにわたしの頭の上の手を動かしている。なんだか、そんな恥ずかしそうにしている佐々木は、かわいい。
「あの~……」
突然呼びかけられて、我に返った。
「すみません、これ~」
さっき、トイレに入った人が、商品をレジに持ってきていた。
「あっ、すみません!!」
すぐに名札をスキャンして、お客さんの商品をレジに打ち込む。
「ありがとうございましたー!」
お客さんは、チラチラとわたし達の方を見ながら、コンビニを出て行った。
「見られちゃった……」
「ああ、見られたな……」
恥ずかしい。
だけど、思いがけず、佐々木のぬくもりを感じることができた。 もしかしたら、トイレの神様のご利益かもしれない。




