表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

199/201

15ー3章 彷徨(さまよい)(3)

「なあ」


 那奈が、机へ頬杖をついたまま言った。


「ん?」

「お前さ」

「なんだよ」

「なんでそこまで出来んの?」


 外では、風が電線を鳴らしていた。

 冬の夕方特有の、乾いた音。

 俺はシャーペンを止める。


「なにが」

「いや全部」


 那奈は少し笑う。


「勉強とか」

「人の面倒見るとか」

「途中で投げないとか」


 窓の外を見る。

 薄曇りの空。

 夕方なのに、もう夜みたいな色だった。


「普通、途中で嫌になるじゃん」

「……まあ」

「なのにお前さ」


 那奈は少しだけ真面目な顔になる。


「最後までやるじゃん」


 その言葉に、俺は少し黙った。

 答えようとして。

 でも、うまく言葉にならない。

 代わりに思い出したのは、中学時代だった。

 何かを途中で投げた瞬間。

 人は、簡単に壊れる。

 自分も、周りも。

 だから、せめて、自分が関わったことだけは最後までやろうと思った。

 それだけだった。


「……性格」

「なにそれ」


 那奈は吹き出した。


「絶対違うでしょ」

「知らん」

「うわ、雑」


 笑いながら、でも那奈は少し安心したような顔をしていた。

 その顔を見て、俺は思う。

 ああ、最初に会った頃とは、だいぶ違う。

 転校してきたばかりの那奈は、もっと危うかった。

 表面上明るく振る舞ってはいたけど、中身が空っぽだった。

 アイドルをしていたころのギラギラ感がなかった。

 アイドルを辞めたあと、“自分が何者なのか”を見失っていた。

 それが今は違う。

 ちゃんと悩んで、ちゃんと未来を考えている。

 それだけで十分だった。

 夏休み、那奈のご両親とお会いする前とは全然違う那奈になっていることを感じた。


 

 ◇◇◇


 二月。

 受験日が近づく。

 朝の空気はさらに冷たくなっていた。

 浦和駅前のロータリーには、マフラーを巻いた受験生たち。

 コンビニ前では、親に「頑張れ」と言われている高校生。

 駅構内のガラス窓には、白い息がぼんやり映っている。


 冬の終わり。

 でも春はまだ遠い。

 そんな中で、那奈は少しずつ静かになっていった。

 勉強中、余計な雑談をしなくなる。

 分からない問題を前にすると、以前なら「むりー」と言っていたのに、今は黙って考える。

 その変化が、逆に怖かった。

 受験を“現実”として受け止め始めたからだ。


 そして受験前日。

 那奈は、俺の部屋で問題集を閉じたあと、急に言った。


「……こわ」


 俺は顔を上げる。


「なにが」

「全部」


 小さな声だった。


「落ちたらどうしようとか」

「受かったあとどうしようとか」

「大学でちゃんとやれんのかなとか」


 窓の外では、風が鳴っている。

 その音だけが、部屋へ静かに流れ込んでいた。


「……今さらだけどさ」


 那奈は笑う。


「私、本当に大学生になれるんだろうか」


 俺は少しだけ目を細める。


「なるよ」

「なんでそんな普通に言えんの」

「なるから」

「いや怖いって」


 でも、その“怖い”は、前とは違う。

 以前の那奈は、“何もない怖さ”だった。

 今の那奈は、“未来がある怖さ”だ。

 それは前へ進む人間の恐怖だった。


 俺は少しだけ笑う。


「大丈夫だよ」

「根拠なくない?」

「ある」

「なに」

「お前、もう逃げないだろ」


 那奈は、一瞬だけ黙る。

 それから、少しだけ目を逸らして笑った。


「……うるさい」


 でも、否定はしなかった。


 

 ◇◇◇


 受験当日の朝。


 空は綺麗な冬晴れだった。


 青い。

 痛いくらい青い。

 大学へ向かう電車の中。

 那奈は、ずっと参考書を開いていた。

 でもページはほとんど進んでいない。

 文字を読んでいないことが分かる。

 緊張しているのだ。


 らしくない。

 数千人が見守るステージでも緊張をほとんどみせることはなかった。

 窓の外では、冬の景色が流れていく。


 灰色のマンション。

 白い川面。

 朝日を反射するビル。


 世界だけは、何事もないみたいに普通だった。

 那奈はスマホを握った。

 

「……かずや」

「ん?」

「……逃げたい」


 本音だった。

 声が震えている。

 でも。


「でも逃げない」


 俺は少し笑った。


「知ってる」


 それだけだった。

 那奈は、しばらく黙っていた。

 それから、小さく笑う。


「ほんとさ」

「ん?」

「かーくんは本当にズルいんだよね」

「なにが」

「なんか、かーくんの声を聴くと、かーくんの姿を見ると大丈夫な気になっちゃう。それってアイドルの時から変わらない……」


 俺は何も言わなかった。


 那奈はただ窓の外を見る。

 冬の光が、静かに車内へ差し込んでいた。


 

 ◇◇◇


 試験会場。


 大学構内には、受験生が溢れていた。

 参考書を読むやつ。

 親と話してるやつ。

 無表情で歩いてるやつ。

 みんな不安そうで、でも、誰も立ち止まらない。


 那奈は、少しだけ大学構内に入るのを躊躇した。


「……人多すぎ」


 一歩、構内に立ち入ると顔を下げこう言う。


「帰りたい。無理」


 すると手に握ったスマホが震える。

 

『逃げるのか? だっせぇ~ww』


 俺のメールを見て少し笑う。

 でも顔は引きつっている。


 そんな那奈は構内を見回し、ふと思い出していた。


 夏。

 進路もなく、未来もなく、ただ笑っていた私。

 そんな私が今、受験票を握ってここへ立っている。

 それだけで、十分すごいことだった。


 スマホが再び震えた。


『ここまで来た時点で、もう勝ってるよ』


「……」


『だから、あとはやるだけ』


 那奈は少しだけ黙って。

 それから、小さく頷いた。


「……うん」


 その返事は、最初に相談を受けた頃よりずっと強かった。


 

 ◇◇◇


 試験終了後。


 夕方。

 空は少しだけ春の色になっていた。

 冬の終わり特有の、柔らかいオレンジ色。

 大学から駅へ向かう道。


 那奈は、ぼーっと歩いていた。


「……終わった」

『お疲れ』

「なんか実感ない」

『まあそんなもんだろうよ』


 風が吹く。

 マフラーが揺れる。


「なあ」

『ん?』

「私さ」


 那奈は前を向いたまま言う。


「もし受かったらさ」

『うん』

「ちゃんと先生になる」


 俺は少しだけ驚く。


『……急だな』

「急じゃない」


 那奈は笑った。


「だってさ」


 冬空を見上げる。


「ここまで来たら、ちゃんと最後までやりたいじゃん」


 その語気を感じて俺は少しだけ思った。


 ああ、この子、本当に変わったな、と。

 もう、応援されるだけじゃない。“守られるだけの子”じゃない。

 ちゃんと、自分で未来を掴みに行っている。

 夕方の風は冷たい。


 でも、その中に少しだけ春の匂いが混じっていた。

当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。

面白い・続きが気になる等思われた方は、評価ポイント(↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)を入れて頂けると作者の励みになります。

また、ブックマーク登録・お気に入りユーザー登録の方もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
所詮、夢を掴むのは自分の力でしかありませんからね。 他人の意見なんて関係ないのです(笑) ただまぁ、他人の意見って言うのは【背中押し】にだけはなるので、此処を上手く活用するのは非常に良い事だと思います…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ