15ー1章 彷徨(さまよい)(1)
合格を知ったのは、あまりにもあっけない瞬間だった。
放課後、進路指導室に呼ばれただけだ。
いつもと同じ廊下。いつもと同じ扉。
ノックをして、中に入る。
「来たか、高松」
渋谷先生は、いつも通りの顔でそう言った。
机の上には一枚の紙が置かれている。
それを見た瞬間、心臓が一つ大きく跳ねた。
「……結果って家に来るんじゃないんですね」
「推薦入試だからな」
短い返事。
先生はその紙を指で軽く押し、俺の方に向けた。
そこには、簡潔にこう書かれていた。
――合格。
それだけだ。
拍子抜けするくらい、簡単だった。
何ヶ月も、何年も積み上げてきたものの結果が、たった二文字で終わる。
俺はしばらく、その紙を見ていた。
「……そうか」
口から出たのは、それだけだった。
嬉しいとか、安心とか、そういう感情がないわけじゃない。
でも、それより先に来たのは――妙な静けさだった。
「もう少し喜んで欲しかったな。こっちもがんばったんだから……」
岡田先生が苦笑する。
「いや……。その、実感がまだ……。高校三年間の努力が『合格』に二文字で終わりっていうのもちょっと軽いかなと」
「まあ、そういうもんかもな」
渋谷先生は椅子にもたれながら言った。
「推薦は特にな。終わりが急すぎる」
確かにそうだと思った。
昨日まで、まだ途中だったはずなのに。
今日、いきなり終わっている。
その感覚が、どうにも現実と噛み合わなかった。
「……おめでとう、高松」
少しだけ間を置いて、先生たちはそう言った。
「ありがとうございます」
頭を下げる。
その動作だけが、妙に現実的だった。
「これで、校内の雰囲気がガラッと変わる。不合格ならあんなにがんばったのにだし、合格なら俺たちもという雰囲気に変わる。推薦の時の約束を守ってくれてありがとう」
「先生方から要請された時、俺の合格程度でどうなるのかと思っていたんですが、クラスの雰囲気が変わっていたことを感じましたので貢献できてうれしいです」
「でも……」
「でも?」
「これで俺の高校時代にしてきたことは終わりになるんでしょうか?」
「これからの方が大変なんじゃないか?」
「大変?」
「君は高校時代を通じていろいろな人たちとかかわりを持った。そのまま持っていけるものもあれば、選択をしなくてはいけないこともある」
「夏村さんたちのことですね」
「全員そのままとはいかないだろう?」
「友達ならそのままでもいいと思います。でも『好き』と言われたらそれは別の意味を持ちます。友達なら付いた切ったは日常茶飯事ですけど、『好き』を言ってうまくいけば御の字ですし、断られれば傷つく。それが嫌でみんなとは関係を維持してたけど、それを伸ばしていることは逃げと別の人からも言われました」
「罪作りだよね、高松君は。それはどうして?」
「俺は何度も告白したけど一度もかなったことがなかった。その時の苦しみを知っていたからです」
「それを夏村たちに背負わせていいのか?」
「後伸ばしにしてきたツケは俺が必ず取ります。それはどうなろうと俺が負うべきことだと思っています」
「最悪の事態だけは招くなよ」
「合格取り消しにはなりたくないので最善を尽くします」
教室に戻ると、すぐに気づかれた。
「おい高松、呼び出されてたよな。筑波、どうだったんだ?」
最初に声をかけてきたのは鵜坂だった。
その声に、周りの視線が一斉に集まる。
逃げ場はない。
「……受かった」
一言だけ、そう言った。
一瞬の静寂。
それからの――。
「マジかよ!」
「おい、すげぇじゃん!」
「推薦ってもう決まるのかよ!」
歓声は勉強仲間から一気にクラス全体に広がった。
肩を叩くもの。背中を押すもの。
一気に教室内の色が変わった。
しかし、俺はというとその中心にいるはずなのに、少しだけ距離があった。
――ああ、これが『合格した側』の感覚なのか。
そんな他人事みたいな感想が浮かぶ。
「おめでとう」
静かな声。
振り向くと、多江がいた。
いつも通りの表情。
でも、ほんの少しだけ柔らかい。
「ありがとう」
それだけ返す。
「次は私の番だね」
多江はそれ以上何も言わなかった。
ただ、言った後小さく頷いただけだ。
その距離感が、妙にしっくりきた。
「超難関受かっちゃうところが高松君だよね。惚れるね~」
井上さんは腕を組んで立っていた。
「お先にって感じかな」
「ってことは私の合格を待っていると……。合格したら同居する?」
他の人だと深刻になるが、そこは井上さん。
場の雰囲気を支配し、悪い感じにはしない。
「やばっ! 大学も同じって可能性が出てきて、まじでやばい」
『やばい』とは何がやばいのだろう。
「……どういう意味」
「そのままの意味」
視線は逸らさない。
「逃がさないよってこと」
冗談でも挑発でもない。
ただ事実。
「……そうだな」
俺は頷いた。
井上さんは満足したように息を吐き、自分の席に座った。
「か~くん、さすがだねぇ! これで後は私が合格するまでは私の受験対策に注力かな?」
明るい声が飛んでくる。
那奈だ。
勢いよく近づいてきて、俺の腕を掴む。
「すごいじゃん! 早速、とうさんとかあさんに報告しなきゃ!」
「なんでお宅のご両親への報告が必要なんだよ」
「か~くんの受験が終わったから私の受験に集中でしょ?」
「あなたが集中してください」
「でも、やばい! なんか私まで嬉しいんだけど!」
そのまま笑う。
まっすぐな喜び方だった。
その無邪気さに、少しだけ救われる。
「これで安心して勉強できるね!」
「……いや、お前がするんだろ。娘さんが勉強に集中してくれませんってご両親に報告するぞ!」
「するよ! ちゃんとするって!」
胸を張る。
周りが少し笑った。
そして最後に。
「……おめでとう」
少し遅れて、夏村さんが声をかけてきた
いつもより少し低い声。
「ありがとう」
目が合う。
一瞬だけ、空気が止まる。
周りは騒がしいのに、そこだけ静かだった。
「……よかったな」
「うん」
「ほんとに」
それだけ言って、視線を外す。
そして――。
「……俺のこと置いてくなよ。足が止まったら引っ張り上げてくれ」
小さく呟いた。
「了解」
「なんだそれ」
すぐにいつもの顔に戻る。
「とりあえず今日は祝うか!」
空気がもとに戻ってきた。
教室のざわめきが、少しずつ落ち着いてきた頃だった。
ふと、視線を感じた。
教室の端。窓際の一番後ろ。
そこに、さよりがいた。
目が合う。
逸らされるかと思ったが――違った。
ほんの一瞬だけ見て、小さく頷く。
それだけ。
声もかけてこない。
……らしいな、と思った。
俺は立ち上がり、さよりの方向へ歩いた。
「……ありがとな」
小さく言う。
さよりは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「何のことですか」
いつも通りの声。
「面接のやつ。助かった」
あのメモ。あの一言。
さよりは少し間を置いてから言う。
「……別に。やることをやっただけです」
「それでもだよ」
そう言うと、少しだけ困ったような顔をする。
「……そういうの、いいです」
「は?」
「お礼とか」
視線は落ちたまま。
「私は……借りを返してるだけなので」
軽くない言葉。
「……まだ気にしてんのか」
「気にしてないです」
即答。
でも、それが答えだった。
「気にしてないですけど、やることはやります」
一瞬、こちらを見る。
「だから――」
少しだけ間。
「合格してくれて、よかったです」
それだけ。
それ以上は続かない。
「……そっか」
俺はそれだけ返した。
振り返らず、席に戻る。
(……あいつ、変わってねぇな)
心の中で、そう思った。
その日の帰り道。
いつも通り、バス停まで一緒に歩く。
「本当に……受かったんだな」
「はい」
「実感あるか?」
「正直、まだあまり」
「だろうな」
夏村さんは笑った。
でも少しだけ表情が暗い。
「これでさ。終わりじゃないんだよな」
「……はい」
「むしろ、ここからだよな」
その言葉に、少しだけ考える。
終わったんじゃない。
始まりだ。
「……そうですね。次は夏村さんの番です」
すると夏村さんは頷いた。
バスが来る。
「乗るな」
「はい」
いつも通り。
でも――どこか違う。
バスが走り出す。
夏村さんの背中を眺めながら、俺ははっきりと自覚した。
――ズレている。
何かが、少しだけ。
噛み合っていない。
合格したはずなのに。
終わったはずなのに。
むしろ距離ができた気がする。
俺だけが、少し先に進んでしまったような。
風が吹く。
少し冷たい。
その違和感は、まだ小さい。
でも確実に、そこにあった。
そしてそれは――これから、もっと大きくなる。
当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。
面白い・続きが気になる等思われた方は、評価ポイント(↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)を入れて頂けると作者の励みになります。
また、ブックマーク登録・お気に入りユーザー登録の方もよろしくお願いします。




