第百十話 最後の一人に届くまで
山の十四人から、正式な返事が届いた。
『出生の届け出は受理されました。
土地のことはまだ審査中です。
食料は今週も届いています』
ロウの字だった。
最後に小さく、『ニノが毎日、次便の時刻を確かめています』とある。
俺は紙を畳み、共同倉庫の壁に掛かった地図を見た。
新しい印が増えている。
だが、空白はまだ残っていた。
「全部、見つけられたと思う?」
ミリが尋ねた。
「いや。見つけていない人は、見つけていないとしか言えない」
「じゃあ、終わらないね」
「終わらない。でも、続けられる」
新しい食糧便の会議には、各地の代表が集まった。
救援を受けた村、買い物便を利用する集落、医師、御者、役所の担当者。
全員が同じ意見ではない。
「登録のない届け先を増やしすぎれば、横流しが起きる」
監査官が言った。
「だからといって、書類がそろうまで飢えさせられない」
ロウが返した。
カイトは二人の間に地図を置いた。
「届け先を確かめる仕事と、食料を急いで運ぶ仕事を分けましょう。どちらの記録も残す。食い違いがあれば調べる。でも、調べるために食事を止めない」
それは王宮で始まった試行を、もっと小さな場所にも使えるようにする提案だった。
会議では、失敗した例も隠さず出した。
無人の小屋へ便を出しかけたこと。
袋の数だけ見て重量の違いを疑ったこと。
危ない道を通ろうとして引き返したこと。
トトが言った。
「助けるつもりで間違えることもあります。だから、間違いを知らせる道が必要です」
ミリは地図の隅に、連絡先と確認日を書く欄を作った。
「届かなかったときも、何があったか書こう。受け取れなかった人が、理由を知れるように」
監査官は頷いた。
「数字を隠さないなら、試行を続けられる」
ロウは言った。
「名前を守ることも、忘れるな」
「もちろんです」
会議が終わる前、一人の女性が手を挙げた。
北の谷から来た炊事係だった。
「救援を受けるだけじゃなく、うちの村にも余ったものがあります。冬に使う乾燥野菜です。次は、山の人たちへ売れませんか」
ロウが目を丸くした。
「俺たちにも買える仕事があるのか?」
「炭焼きの道具を直せる人がいると聞きました。うちの竈も直してほしい」
誰かを助ける側と助けられる側に、ずっと分けておく必要はない。
俺は二人の話を聞きながら、最初に香草を売った日のことを思い出した。
売るものがある。
買う人がいる。
間をつなぐ道があれば、明日の食事は一度きりの施しではなくなる。
その日の夕方、ラトナ村へ戻ると、トトが荷車の前に立っていた。
「タクト、これを見て」
荷札には山の暫定救援地点の名が書かれていた。
食料のほかに、修理用の金具が積まれている。
「ロウさんたちが、今度は道具を直してくれるんだ」
「いい取引だな」
「うん。値段も、向こうと相談して決めた」
俺は受領簿を確かめた。
救援物資と売買の荷は別に記録されている。
どちらも必要で、混ぜてはいけない。
翌朝、ミリが倉庫の前で俺を呼んだ。
「タクト、今日は何をする?」
「まず、昨日届いた手紙を読む」
「配達は?」
「カイトたちが決める。俺は頼まれたら手伝う」
ミリは満足そうに頷いた。
昔なら俺は、真っ先に倉庫を開いていたかもしれない。
今は違う。
どこに何が足りないかを聞き、誰が安全に届けられるかを確かめる。
俺の能力は、その選択肢の一つになった。
昼過ぎ、山から荷車が戻った。
ロウの作った小さな木箱が積まれていた。
中には、ニノが描いた地図が入っている。
山の小屋が四つ描かれ、その間に細い道がある。
隅には赤ん坊を抱いたセラと、丸い太陽。
裏に字が書かれていた。
『ここに、ぼくたちがいます』
俺はしばらくその紙を見つめた。
地図に名前がないからといって、人がいないわけではない。
名前を書いたからといって、すべての問題が消えるわけでもない。
それでも、誰かがそこにいると分かれば、道を探すことができる。
会議の後、フェルトが俺のところへ来た。
「山の土地の審査は、まだ結論が出ません。隣の領地との境界が古い地図と合わないのです」
「いつまでかかりますか」
「分かりません。ですが、次の審査日と担当者は決まりました。ロウさんたちにも直接伝えます」
俺は頷いた。
「食料の便は続けられますか」
「緊急救援地点としての登録は継続できます。土地の争いとは分けて扱います」
全部が解決したわけではない。
それでも、解決していないことを隠さず、食事を止めずに待てる。
最初に山へ行った日のロウに、聞かせたい返事だった。
トトは新しい御者の訓練を始めていた。
荷札の読み方、道の危険を知らせる方法、帰着時刻の記録。
「一番大事なのは?」
若い御者が尋ねる。
「届けること」
と別の御者が答えた。
トトは首を振った。
「届けられないとき、黙って消えないこと。危ないなら引き返して、待つ人へ知らせること」
俺は遠くから聞いていた。
昔の俺なら、まず最短の道を教えただろう。
今のトトは、帰ってくる道から教えている。
ミリは小さな箱を持ってきた。
中には、山の人々が送ってきた修理用の木札が入っている。
「これ、配達の記録に使えるかな」
「どう使う?」
「荷が着いたら一枚、届かなかったら別の色。字が読めない人でも分かるように」
俺はすぐに褒めようとして、手を止めた。
「色が見分けにくい人は?」
ミリは考えた。
「形も変えよう。丸と三角にする」
「いいな。使う人にも確かめよう」
彼女は箱を抱えて走っていった。
俺の答えを待たず、現場へ聞きに行くために。
山の地図を見せに来たニノは、後日こんな言葉を添えていた。
『ここにいるって言ったら、だれかがきいてくれた』
俺はその紙を、最初のラトナ村の帳面と一緒にしまった。
四十七人から始まった道は、百の村を通り、名前のない十三人のところへつながった。
だが数が増えたことだけが成果ではない。
誰かが困ったとき、助けてと言える。
助けられないときは、理由を知らせられる。
受け取った人が、次は別の人へ手を伸ばせる。
その一つずつが、俺の倉庫には入らないものだった。
夕方、トトが鐘を鳴らした。
新しい便が出発する合図だ。
御者たちは荷を数え、道の状態を確かめ、遅れたときの連絡先を確認した。
ミリは荷札を渡し、カイトは若い御者に言った。
「危ないと思ったら、引き返していい」
「はい。帰って報告します」
荷車が動き出す。
俺は見送るだけだった。
荷車の音が遠ざかると、トトが小さな紙包みを差し出した。
「覚えてる? 最初に俺が村へ案内した日」
中には、乾いた木の実が一つ入っていた。
「腹が減ってたのに、半分こしてくれた。あの日、俺は食べ物だけじゃなくて、明日もあるって思えたんだ」
トトは木の実を指で転がした。
「今度、山のルカが大きくなって誰かに食べ物を分ける日が来たら、きっと同じことを思うよ」
ミリが笑った。
「今度は私たちが、まだ知らない子に届ける番だね」
俺は木の実を手のひらに乗せた。
五百キロの倉庫に入れるほどのものではない。
けれど、最初の一日から今日まで、ずっと運んできたものがそこにある気がした。
「俺の仕事、なくなりそうだな」
「なくならないよ」
トトは首を振った。
「次に誰かが困ったら、今度は俺たちが一緒に考えるんだ」
俺は木の実を包み直し、共同倉庫の棚に置いた。
トトは棚の前でしばらく動かなかった。
「これ、最初の便で渡したものと同じ木から拾ったんだ」
「そうだったのか」
「その木、今年は実がたくさんなった。みんなで分けても、まだ残ったよ」
俺は包みの小さな重さを確かめた。
かつて一つの食事を待っていた子が、今は誰かに分けられる実りを持っている。
大きな倉庫を満たすより、そのことが嬉しかった。
誰かがまた出発するとき、持っていけるように。
ミリはその横に小さな札を立てた。
『最初の便から、次の便へ』
俺の名前は書かなかった。
それが少しだけ誇らしかった。
そのとき、別の村から小さな伝令が駆けてきた。
「地図にない家があるんです。見に来てもらえますか」
俺は伝令に水を渡した。
「まず座って、何を見たのか教えてくれ」
倉庫の表示は閉じたまま。
俺の前には、まだ知らない誰かの話がある。
最後の一人に届くまで、俺たちの仕事は続いていく。




