第九十八話
東京・魔法少女協会 日本支部本部の最深部。厳重なセキュリティで守られた『特別医療病棟』の個室には、重苦しい沈黙……ではなく、けたたましい電子音と呆れ声が響いていた。
「由鶴さーん、お見舞いに来ましたよー! って、うわっ! 見事なミイラ男……じゃなくてミイラ女になってる!」
土属性のエース・只野真奈が、フルーツの盛り合わせが入った籠を抱えながら、病室のドアを開けるなり遠慮のない声を上げた。
ベッドの上に横たわっているのは、情報班トップの新実由鶴少佐。京都で『福音の鐘』の教祖ルディアと交戦し、手痛い返り討ちに遭った彼女は、首から下を分厚い包帯とギプスでガチガチに固められた、まさにミイラのような痛々しい姿であった。
「真奈、上官に向かって失礼よ。……少佐、お体の具合はいかがですか」
風属性のエース・弓飛鳥が、真奈の頭を軽く小突いてから丁寧に頭を下げる。その後ろでは、炎属性のエース・新堂鈴乃が「全身包帯の女幹部……これは新刊のニッチな属性ネタに使えるかも」と、スマホのメモ帳にこっそりと何かを打ち込んでいた。
「あら、エース部隊の皆さんが揃いも揃って。お見舞い痛み入ります」
由鶴は、点滴の管が繋がれた右腕だけをどうにか動かし、ベッド備え付けのアームスタンドに固定したタブレット端末をスワイプしながら、全く悪びれる様子もなく微笑んだ。
「で? 絶対安静って言われてるのに、そのタブレットで何を見てるのよ、由鶴」
氷属性のトップエース・羽衣緋雪が、ジト目を向けながら腕を組んだ。
由鶴の視線の先にあるモニターを覗き込むと、そこには複雑な魔力波長のグラフと、見覚えのある男子高校生——三神零の顔写真がデカデカと表示されていた。
「また三神くんのこと調べてるの!? あなた、京都で彼を追いかけ回して、テロリストと鉢合わせてボコボコにされたんでしょう!? 少しは反省しなさいよ!」
「あれは不幸な事故です。テロリストの親玉が、なぜか彼と一緒に足湯ベンチで寛いでいるなど、私の完璧な計算にも組み込めるはずがありません」
由鶴は眼鏡をクイッと押し上げ(ることもできないので首を傾けて位置を直し)、不敵に笑った。
「ですが、収穫はありました。交戦の際、ルディアの放つ高密度の魔力波長データをこの身を呈して採取することに成功したのです。これと、三神くんが持つ『特異体質』の理論を掛け合わせれば、広域ジャマーを無効化する新兵器の開発が一気に進みます。……ああ、早く退院して、三神くんの細胞を採取したい……っ!」
「ブレないわね、この人……」
飛鳥がドン引きしたように呟き、真奈が「由鶴さん、それ以上やると緋雪ちゃんに病室ごと凍らされますよー」と茶化す。
「いいこと由鶴。三神くんは一般人よ。絶対に手を出させないって言ったわよね」
緋雪が、周囲の気温を数度下げながら冷酷な声で釘を刺した。
「もし次、彼を無理やり検体にしようとしたら……その包帯の下の傷口に、絶対零度の氷柱をねじ込むから」
「……緋雪の彼氏くんへの過保護っぷりも、たいがいですね。分かりました、強行手段は控えますよ。……『表向きは』、ですがね」
小声でボソリと付け加えた由鶴の狂気的な探求心は、全身打撲と骨折程度で折れるほど柔なものではなかった。
病室の窓の外では、秋の深まる東京の空が広がっている。エースたちの騒がしいお見舞いは、しばらくの間続くのだった。
同じ頃。
魔法少女協会 日本支部本部の最上階。東京の街を一望できる広大なガラス窓に面した『会長室』では、日本支部の頂点に立つ二人の女性が、深刻な面持ちでホログラムモニターを睨んでいた。
「……以上が、新実少佐が京都から持ち帰ったルディア・ロンディニウムの魔力データ、および先日回収されたロシア製ジャマーの解析進捗です」
タブレットを手に冷静な声で報告を読み上げるのは、日本支部副会長・湯野麗香。
ダークブラウンのロングヘアを美しくまとめ、琥珀色の瞳の奥に知性を光らせる彼女は、銀縁眼鏡を指で押し上げながら、ホログラムのグラフを切り替えた。
「ジャマーの構造自体は解明されつつありますが、これを完全に無力化する『アンチジャマー』の量産には、理論構築のピースが一つ足りていません。新実少佐が主張するように、特異体質を持つという一般人・三神零の生体データがあれば、飛躍的に開発は進むと推測されますが」
「それは却下よ、麗香」
重厚な執務机の奥で、腕を組んで座っていた女性——日本支部会長、姫嶋結衣が、凛とした声で即答した。
美しい黒髪をポニーテールに結い上げ、深い青の瞳に強い責任感を宿す彼女は、特注の白い指揮官制服を身に纏い、真っ直ぐに副会長を見つめた。
「市民を守るための力を作るために、市民である一般人を無理やりモルモットにする。そんな本末転倒なやり方を、私は絶対に認めない。それに、彼を不当に扱えば、彼に好意を寄せている羽衣大佐たちエース部隊との信頼関係に致命的な亀裂が入るわ」
「……実利よりも、大義と組織の融和を取る。相変わらず、結衣らしい甘くも正しい判断ね」
麗香は薄く微笑み、タブレットの画面を閉じた。彼女は結衣のそういう実直な司令官としての気質を深く理解し、サポートするために副会長の座にいるのだ。
「ジャマーの解析は、正攻法で進めさせなさい。時間はかかるかもしれないけれど、情報班と研究班の底力に期待しましょう。……それよりも、もう一つの懸案事項について聞かせて頂戴。数日前の、駅前モールでの特A級魔獣の件よ」
結衣の言葉に、麗香は表情を引き締め、新たなデータを空中に投影した。
そこには、防犯カメラが捉えた、巨大な氷の彫像と化したアルマジロ魔獣と、漆黒のドレスを纏った少女の後ろ姿が映し出されていた。
「未登録の特S級魔法少女、『ゴースト』。今回も、パトロール中だった新人の星宮と、たまたま居合わせた訓練生の三神姉妹、そして市民を救い、特A級をたった一撃の氷結魔法で葬り去りました」
「ええ。羽衣大佐が駆けつけた時には、すでに討伐を終えて姿を消していたそうね。……圧倒的すぎるわ。彼女の力は、我々エース部隊の総力すら上回っているかもしれない」
結衣は深い青の瞳を細め、防犯カメラに映る黒髪の美少女の姿を凝視した。
「ジャマーが展開された空間でも一切の制限を受けず、Sランクのテロリストを物理で圧倒し、特A級の魔獣を息をするように粉砕する。……現状、彼女は市民を守り、協会の敵を排除してくれている『益獣』のような存在になっているわ。でも、それが一番恐ろしいのよ」
「ええ。我々の『管理下』にない、規格外の核兵器が街を自由に歩き回っているのと同じですからね。もし彼女が協会や人類に牙を剥けば、日本は一夜にして壊滅します」
麗香が淡々と事実を述べる。
協会トップとしての結衣の最大の懸念はそこだった。正義であれ悪であれ、制御不能な強大な力は、組織にとって脅威以外の何物でもないのだ。
「新人の星宮からの報告書には、何かゴーストの正体に繋がるような情報はあったかしら?」
「それが……少々、要領を得ません」
麗香は困ったように眉をひそめた。
「星宮の持つオーラ視認能力【星眼】によれば、ゴーストの魔力は『とても恐ろしい闇』だったそうです。ですが、戦闘が終わった直後、なぜか『ぽかぽかとした、実家のような安心感』を感じたと。挙句の果てには、『ショッピングモールで抹茶クッキーをくれたお兄さんかもしれない』などという、支離滅裂な疑問を書き残しています。ゴーストは外見上、完全に少女であるにも関わらず、です」
「……実家のような安心感? 抹茶クッキーのお兄さん?」
結衣はポカンと口を開け、数秒間その言葉の意味を理解しようと思考を巡らせたが、すぐに「……新人はまだ極限状況のストレスで混乱しているようね。カウンセリングを受けさせてあげてちょうだい」と結論づけた。
まさか、その『抹茶クッキーのお兄さん』こそが、情報班が血眼になって生体データを探している『三神零』であり、特S級の化け物の正体であるなどと、この時のトップ二人は夢にも思っていなかったのである。
「とにかく、ゴーストへの対応は慎重を期す必要があるわ。当面は敵対行動を取らず、彼女が現れた場合はエース部隊を中心に観察と情報収集を継続。……市民の安全と、福音の鐘のジャマー対策。私たちのやるべきことは山積みよ、麗香」
「了解しました、会長。情報班には通常ルートでの研究を急がせ、各部隊のパトロールを強化します」
麗香がタブレットを抱え、深々と一礼する。
日本の魔法少女を統べる二人の女傑は、未知の脅威と未知の守護者という二つの難題を前に、決意を新たに東京の街を見下ろしていた。
——その頃。
協会の上層部が「実家のような安心感」というパワーワードに頭を抱え、制御不能な核兵器として恐れおののいている当の『ゴースト』こと三神零は。
「うーん……明日の夕飯は、特売の豚バラ肉を使ったミルフィーユ鍋にするか。白菜も安くなってきたしな」
自宅のリビングで、スーパーのチラシを片手に、極めて平和で家庭的な思索にふけっていた。
世界の裏側の深刻な議論と、最強の主夫の日常。二つの歯車は、交わりそうで交わらないまま、今日もカオスな音を立てて回り続けているのだった。




