第九十六話
京都・奈良での二泊三日の修学旅行を終え、三神零は無事に東京の自宅へと帰還を果たした。
「ただいまー」
「あ、お兄ちゃんお帰り! 修学旅行どうだった!? お土産は!?」
「おかえりなさい、零。怪我とか事故はなかった?」
玄関のドアを開けると、妹の玲奈が弾かれたように飛び出してきて、奥からは母の奈々美がエプロン姿で出迎えてくれた。ちょうど訓練校から帰ってきたばかりの姉の澪も、リビングのソファから「おかえりー」と手を振っている。
「ああ、事故も何もなく平和な旅行だったよ(テロリストと理系ストーカーの怪獣大決戦はギリギリで回避したからな)。ほら、これがお土産だ」
零は、パンパンに膨れ上がった巨大なエコバッグをドンッと廊下に置いた。
「うわぁ、すっごいいっぱい! えーっと、なにこれ……『特選・利尻昆布』五袋? 『手作り乾燥湯葉』に、『無添加ちりめん山椒』の業務用パック……?」
「あと、母さんには西陣織の丈夫なエプロン。刃物屋で買った鋼の三徳包丁もある。いやぁ、錦市場は最高だったぞ。東京のスーパーじゃ絶対に出せない値段で、一級品の出汁素材が山のように買えたからな」
「……あんたの修学旅行、行き先は京都じゃなくて豊洲市場かどっかなの?」
渋すぎる戦利品の数々に、澪がジト目を向けてツッコミを入れる。
しかし、毎日の食卓を預かる主婦である奈々美は大喜びだ。
「まあまあ! こんな立派な昆布、普通に買ったらすごく高いのよ! さすが零、いい目利きしてるわねぇ。エプロンもすごく素敵な柄! ありがとう!」
「お兄ちゃん、私の甘いお土産はないの……!?」
「ちゃんとあるよ。はい、辻利の抹茶クッキーと、生八ツ橋の詰め合わせ」
「やったー!!」
別の紙袋からスイーツを取り出すと、玲奈はパァァッと顔を輝かせてリビングへと走っていった。
家族の喜ぶ顔を見ながら、零は「重かったけど、買ってきてよかった」と心底ホッとした息を吐く。あの殺伐とした京都の裏路地での出来事など、この温かい日常の前では些末なノイズに過ぎない。
——ピロリン。
一息ついたところで、ズボンのポケットのスマートフォンが鳴った。
画面を見ると、親友の狭間稔からのメッセージだった。
『零!明日、駅前のショッピングモールで『魔法少女クロニクル』の最新弾BOXの発売日だ!購入制限があるから、買い出し手伝ってくれ!ついでに新人魔法少女の握手会もあるから絶対来いよ!!』
「……また買い出しかよ。まあ、こいつには修学旅行で買い出しに付き合わせちまったし、付き合ってやるか」
週末の予定があっさりと決まり、零は修学旅行の荷解きに取り掛かる。
日常は、いつも通りに、しかし確実に騒がしく回り続けていた。
翌日、日曜日。
駅前にそびえ立つ大型ショッピングモールは、朝から凄まじい熱気に包まれていた。
四階にある大型カードショップの前に形成された、数百人規模の長蛇の列。その大半が、今日発売される『魔法少女クロニクル』の最新弾を求める熱狂的なファンたちである。
「うおおおおっ……! 今日こそは、今日こそは絶対に引き当てるぞ……!」
列の真ん中あたりで、稔が血走った目で呪文のようになにかをブツブツと唱えている。その後ろで、零はスーパーの特売チラシをスマホでチェックしながら、呆れたように息を吐いた。
「お前、気合入りすぎだろ。そんなに欲しいカードがあるのか?」
「当たり前だろ! 今回の最新弾には、トップエースの『羽衣緋雪(氷の女王)』のシークレットレアが収録されてるんだよ! しかも、俺の推しである『新堂鈴乃(炎の闘将)』のカードは、大人気イラストレーターの【フレイム・ストライク】先生が描き下ろした超絶美麗イラストの上に、箔押しサイン入りだ! 封入率は1カートン(数十箱)に一枚の極悪仕様! これを当てずして何がオタクか!」
鼻息を荒くして熱弁を振るう稔。
(フレイム・ストライク先生って、新堂鈴乃中佐の裏垢(同人活動)のことだよな……。自分で自分のイラスト描いてサインまでしてんのかあの人。たくましいな)と、事情を知っている零は内心でツッコミを入れた。
「一人1BOXまでの購入制限があるから、零にも並んでもらったんだ。代金は俺が払うから、頼むぞ!」
「はいはい。まあ、特売品の卵を一人一パック制限で買うために、妹を連れて行くようなもんか。任せとけ」
主夫としての完全な理解を示し、零は列の進行に合わせて歩みを進めた。
やがてレジに辿り着き、二人は無事に1BOXずつ、計2BOXの最新弾を手に入れることに成功した。
「よし、フードコートに移動して開封の儀だ!」
ショッピングモールの広いフードコートの端の席を確保し、稔は震える手で自分が買ったBOXのシュリンク(ビニール)を破った。
魔法少女のイラストが描かれたパックが、ズラリと並んでいる。
「神よ……フレイム・ストライク先生よ……俺に微笑んでくれ……!」
バリッ、ビリッ、と次々にパックを開封していく稔。
しかし、出てくるのはノーマルカードや、あまり人気のない魔法少女のレアカードばかり。
十パック、二十パックと開けていくうちに、稔の顔から徐々に生気が失われていく。
「……終わった。俺のBOX、一番当たりの枠が土属性の只野真奈ちゃんのSRだった……。いや、真奈ちゃんも可愛いけどさぁ……」
机に突っ伏して灰になる稔。
(真奈さんが聞いたら泣くぞ)と苦笑しつつ、零は自分の手元にある未開封のBOXに手を伸ばした。
「じゃあ、俺の方も開けるぞ。お前が金払ったんだから、中身は全部お前のものだしな」
「……頼むぞ零。お前のその『特売品を引き当てる右腕』に、俺の全財産がかかってるんだ……」
零は「大袈裟なやつだ」と呆れながら、最初のパックを手に取った。
「いいか稔。こういうランダム封入のものを引き当てるコツはな、スーパーでパック詰めされた肉を選ぶ時と同じだ。陳列された商品の中から『最も鮮度が良く、ドリップが出ていない、完璧な赤身の肉』を見極める。つまり、物欲センサーを完全に無にして、ただ純粋に『質の良いもの』を指先の感覚だけで探り当てるんだ」
全く参考にならない謎の主夫理論を展開しながら、零はパックの端をスーッと綺麗に破った。
中から五枚のカードを引き出し、一番後ろにあるレアカードの枠をペロッとめくる。
——ピカーンッ!!
フードコートの照明を反射し、そのカードが虹色の凄まじい輝きを放った。
「…………え?」
稔の目が、限界まで見開かれる。
そこに描かれていたのは、氷の結晶を背景に、抜身の日本刀を構える銀髪の美少女。
『羽衣緋雪』。
しかも、カード全体に特殊なレリーフ加工が施され、右下にはシークレットレアを示す星のマークが燦然と輝いていた。
「あ、あああああっ!? ひ、緋雪大佐のシクレ!? 封入率0.1%の超絶トップレアじゃないか!! 初動の買い取り価格で十万は超えるやつだぞ!?」
「へえ、すごいな。ただの厚紙なのに」
「ただの厚紙って言うな!! 神のカードだ!!」
発狂する稔をよそに、零は「なるほど、こういうのが当たりか」と涼しい顔で二パック目を手に取った。
「次行くぞ。……ふむ、このパック、他のやつより少しだけ重厚感があるな。大根を持った時の重みのような、確かな手応えを感じる」
「カードと大根を一緒にするな! ……って、えっ?」
ビリッ、と二パック目を開封し、レアカードの枠をめくる。
今度は、炎を纏う双剣を振るう、赤い髪の熱血魔法少女のイラスト。
そして、そのカードのド真ん中には、金色の箔押しで『Flame Strike』という達筆なサインが刻まれていた。
「…………」
稔は声も出ず、白目を剥いて硬直した。
『新堂鈴乃(フレイム・ストライク先生描き下ろし&サイン入り)』。稔が最も欲していた、この世の全てを投げ打っても手に入れたいと願っていた至高の一枚である。
「おっ、お前が欲しがってたやつ出たぞ。よかったな」
「……零!!お前、神か!? いや、大明神様と呼ばせてくれ!! どうやったら2パック連続でトップレアをブチ抜けるんだよ!!」
フードコートの床に土下座しそうな勢いで拝み倒してくる稔。周囲の客たちが「なんだあいつら」と奇異の目を向けている。
零は恥ずかしくなり、「わかった、わかったから頭上げろ! ほら、これ全部お前にやるから!」と、当たった神カード二枚を乱暴に稔に押し付けた。
「ほ、本当にいいのか!? これ、売ればお前の三ヶ月分のスーパーの食費になるぞ!?」
「いらねえよ。俺にとってはただの厚紙だし、お前が金出したんだからお前のモンだろ。それに、俺は自分の足で稼いだ特売品しか信用しない主義なんだ」
「零……!! お前、一生ついていくぜ……!!」
完全に物欲センサーを切り捨てた主夫の無欲な右腕が、オタクの親友に最高の歓喜をもたらした瞬間だった。
ちなみに、残りのパックからは大したカードは出なかったが、稔にとってはもはやどうでもいいことだった。
「よし、大勝利を収めたところで、次は握手会だ!」
カードを大事そうに硬質ケースにしまい込んだ稔が、意気揚々と立ち上がった。
時刻は午後一時。ショッピングモールの一階にある吹き抜けのイベントスペースでは、すでに大音量のアイドルソングが流れ、数百人のファンが集結していた。
「握手会って、誰が来るんだ? 緋雪大佐とかか?」
「大佐みたいなトップエースが、こんな地方のモールに来るわけないだろ。今日来るのは、魔法少女協会が猛プッシュしてる期待の新人、『星宮きらり』ちゃんだよ! 光属性で、アイドルデビューも同時に果たした超新星さ!」
稔の解説と共に、イベントスペースのステージに一人の少女が姿を現した。
フリフリの星柄の衣装を纏い、ツインテールの金髪を揺らす、元気いっぱいの美少女。彼女がマイクを握り「みんなー! きらりのこと、応援してねー!」と叫ぶと、会場から地鳴りのような歓声が上がった。
「うおおおおっ! きらりちゃーん!!」
親友もその熱狂の渦に飲まれ、全力でサイリウムを振り始めている。
零は少し離れた場所から、腕を組んでその光景を眺めていた。
(……魔法少女って、魔獣と戦うだけじゃなくて、ああいう広報活動みたいなこともやらなきゃならないのか。姉ちゃんたちも、いずれああやってステージに立たされるんだろうか……大変だな、公務員も)
完全に保護者(あるいは事務所の社長)のような目線で、新人の初々しいパフォーマンスを見守る零。
やがてミニライブが終わり、お待ちかねの『握手会』の時間がやってきた。
「零!お前も参加券あるんだから並ぶぞ!CD10枚買った甲斐があったぜ!」
「えっ、俺もやるのか? 別に推しでもなんでもないんだけど」
「いいから来い! 若い女の子の手を握れる機会なんて、俺たち非リア充にはそうそうないんだぞ!」
強引に列に並ばされ、ジリジリとステージへと近づいていく。
ステージの上では、星宮きらりが一人ひとりのファンに対し、満面の笑顔で両手を握り、丁寧に言葉を交わしていた。
やがて、稔の順番が来た。
「あ、あのっ、ずっと応援してます! 新曲、最高でした!」と限界オタク特有の早口で捲し立てる稔に対し、きらりは「わぁ、ありがとうございます! これからも頑張りますね!」と完璧なアイドルスマイルで応え、稔は昇天しそうな顔でスタッフに剥がされていった。
「次の方、どうぞー」
スタッフに促され、零がステージに上がる。
エコバッグを肩にかけ、少し気怠げな目をしている男子高校生。熱狂的なファンたちの中にあって、彼の漂わせる『圧倒的な生活感(主夫オーラ)』は、ひどく浮いていた。
「こんにちは! 応援ありがとうございます!」
星宮きらりが、キラキラとした笑顔で零の両手をギュッと握りしめた。
その瞬間。
——ピクッ。
きらりの動きが、完全に止まった。
(……えっ?)
きらりは、希少な光属性の魔法少女である。彼女には、他人の持つ『オーラ(魔力や感情の揺らぎ)』を微かな光や色として感じ取る特異な才能があった。
熱狂的なファンからは赤い光が、緊張している人からは青い光が、それぞれ無意識のうちに漏れ出ている。魔法少女同士であれば、さらに強烈な魔力の波長を感じるものだ。
しかし。
目の前にいるこの少年からは、何もない。
本当に、チリ一つ、光の一粒すら感じられないのだ。
それはまるで、全ての光を吸い込む絶対的な『暗闇』。彼女の魔力感知能力が、この少年の前では完全に無効化されているかのような、異常な感覚。
——怖い。
本能がそう警鐘を鳴らすほどの、底知れぬ無の空間。
だが、それと同時に。その「何もない」暗闇の奥底から、なぜかひどく温かく、包み込まれるような『実家のような安心感』がじんわりと伝わってきたのである。
(な、なんだろう、このお兄さん……。オーラが全然見えないのに、手を握ってると、すごく……ホッとする……?)
きらりは、混乱と安堵が入り混じった不思議な感覚に陥り、アイドルの営業スマイルを忘れて、ポカンと零の顔を見つめてしまった。
「あ、あの……お兄さん、なんかすごく……落ち着くというか……」
無意識のうちに、彼女の口からそんな言葉が漏れる。
対する零は、「ん?」と首を傾げた。
(落ち着く? ああ、もしかして俺のエコバッグから、今朝仕込んだ『ちりめん山椒』の匂いでも漏れてるのか? 若いのに渋い匂いが好きな子だな)
完全に明後日の方向の解釈をした零は、苦笑しながら片手を離し、エコバッグの中から小さな紙袋を取り出した。
「アイドルと魔法少女の両立、大変だろうけど頑張れよ。これ、修学旅行の余りだけど、休憩時間にでも食べてくれ。糖分摂らないとバテるからな」
零が差し出したのは、昨日京都で買った『辻利の抹茶クッキー(個包装)』だった。
ファンからの高価なプレゼントが山積みにされる中、あまりにも庶民的で、しかし確実に疲れた身体を癒やす『主夫の気遣い』。
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
「お時間でーす」
スタッフに肩を叩かれ、零は「じゃあな」と軽く手を振ってステージを降りていった。
残された星宮きらりは、手の中の抹茶クッキーを見つめながら、バクバクと鳴る心臓を押さえていた。
(あのお兄さん……絶対に、ただ者じゃない。もしかして、協会の偉い人のお忍び……? それとも、伝説の凄腕プロデューサー……!?)
新人魔法少女の心に、強烈なインパクトと盛大な勘違いを植え付けたまま、零は親友の元へと戻っていった。
「どうだった零! きらりちゃんの手、柔らかかっただろ!」
「ああ、プロ意識が高くていい子だったよ。さて、買い出しも終わったし、俺は帰って夕飯の支度だ。今日は京都の湯葉を使った湯豆腐と、ちりめん山椒ご飯だからな」
「お前、本当に高校生かよ……」
カードの神引きに始まり、新人魔法少女との奇妙な接触に終わった休日。
特S級の亡霊は、自らが振り撒いた『無自覚な規格外のオーラ』が、また新たな波乱の種を蒔いたことなど露知らず、今夜の完璧な献立に思いを馳せながら夕暮れの街を歩いていくのだった。
同じ頃。
東京・魔法少女協会本部の特別医療病棟。
全身を分厚い包帯でぐるぐる巻きにされ、点滴の管に繋がれた情報班トップ・新実由鶴は、タブレット端末を睨みつけながらギリィ……と奥歯を噛み鳴らしていた。
「三神くん……京都ではまんまと逃げられましたが、私の執念を甘く見ないでくださいよ。あなたのその特異体質、次こそは必ず……この手で……っ!」
ピピッ、ピピッ、と心電図のアラームが警告音を鳴らすのも無視して、白衣の悪魔は次の『接触計画』を練り続ける。
零の守る平和な日常は、四方八方から侵食してくる変人たちの包囲網によって、まだまだ休まることはなさそうであった。




