第八十四話
数学の悪夢(補習地獄)から解放された、金曜日の放課後。
三神零は、親友である狭間稔と共に、賑わう駅前の商店街をのんびりと歩いていた。
二人の手には、商店街の入り口にある肉屋で買ったばかりの、揚げたてのジャンボメンチカツが握られている。
「はっふ、ほっふ……! やっぱ金曜の放課後は、肉屋のメンチカツに限るぜ! このジャンクな油の匂いがたまんねえ!」
「……うーん。確かに美味いけど、ちょっと衣が厚すぎるな。それに、挽肉の比率に対して玉ねぎの水分が多くて、下味のナツメグも少し弱い。俺なら、パン粉は生パン粉を使って、揚げ油に少しラードを混ぜてコクを出すところだ」
メンチカツを一口かじり、真顔で味の分析と改善点を述べ始める零に、稔は呆れたようにジト目を向けた。
「お前なぁ……せっかくの買い食いなんだから、素直に『美味ぇ!』でいいじゃんか。なんで毎回、ミシュランの審査員みたいな辛口コメント残すんだよ。お前の家事スキルが異常に高いのは知ってるけどさ」
「いや、美味いよ? 美味いんだけど、どうせならもっと最適化できるんじゃないかって考えちゃうんだよ。……主夫の性ってやつだな」
「高校二年の男子がドヤ顔で言うセリフじゃねえよ」
軽口を叩き合いながら、二人は商店街を抜け、駅前の大型書店へと足を踏み入れた。
稔の目的は、今日発売されるお気に入りのライトノベルの新刊と、漫画雑誌の購入である。彼は真っ直ぐにライトノベルの平積みコーナーへと向かい、目当ての本を見つけてホクホク顔になっていた。
一方の零は、稔に付き合いながら店内をぶらぶらと歩いていたが、ふと雑誌コーナーの前で足を止めた。
平台に平積みされていたのは、魔法少女や魔獣に関する情報を扱う週刊誌『マジカル・ジャーナル』の最新号だった。
表紙を飾っているのは、先日、横田基地で行われた『四カ国合同・魔法少女親善演習』の様子だ。アメリカのステラ、イギリスのハミルトン、ドイツのツェツィーリエ、そして日本代表である羽衣緋雪大佐の四人が、勇ましく並んでいる写真がデカデカと掲載されている。
「お、零もそれ気になってたか」
ラノベを抱えた稔が、零の隣にやってきて雑誌の表紙を指差した。
「いや、別に。ただ、大佐たちが表紙になってるなーって思っただけ」
「この前の演習、マジで凄かったからな! 大佐の氷の壁、思い出すだけで鳥肌立つぜ。……でもさ、ネットの掲示板じゃ、今その海外エースたちよりも盛り上がってる話題があるんだよ」
「盛り上がってる話題?」
稔は周囲を少し気にしながら、声を潜めて言った。
「『特S級の亡霊』の話だよ。ほら、非合法の魔法少女。……どうやら数日前に東京郊外で出た特A級の魔獣を、あの四カ国のエースたちが束になっても倒せなかったのに、ゴーストが乱入してきて『一撃』で蒸発させたらしいんだよ!」
「へえ……(あ、やべ。あの時の山間部の討伐、結構目撃情報上がってたのか。虚無の清掃で証拠は消したはずだけど、上空から協会のドローンでも見てたか?)」
自分のしでかした事案に内心冷や汗を流す零をよそに、稔は興奮気味に語り続ける。
「ネットじゃ『ゴースト最強説』で持ちきりだぜ! あの大剣から放たれる氷と炎の魔法、マジで規格外らしい。それに、戦った後の痕跡すら一切残さないっていうプロの暗殺者みたいな手口! ……なぁ零、お前はどう思う? ゴーストって、一体何者なんだろうな」
「さあな。ただの無駄に大剣振り回す、大味なヤツなんじゃないか? そんなにチヤホヤするような存在でもないだろ」
完全に自己評価が低いゆえの適当な返答だったが、ゴースト本人が自分自身を「大味なヤツ」と評しているという構図は、横で聞いている人間からすれば非常にシュールである。
「お前、ゴーストアンチ派か? まあいいや。俺は会計済ませてくるから、ちょっと待っててくれ」
稔がレジへ向かった後、零は実用書コーナーへと移動し、『絶対に焦げ付かない! 魔法のテフロンフライパン活用術・100選』という主夫力全開のムック本を真剣に立ち読みし始めた。
(なるほど、火加減の基本はやっぱり弱火か。大佐や海外勢みたいに、何でもかんでも最大火力でぶっ放せばいいってもんじゃないんだよな……)と、魔法少女たちの戦闘を料理本で全否定しながら。
「お邪魔しまーす」
「おう、適当に座っててくれ。コーラとポテチ持ってくるから」
買い物を終えた二人は、商店街からほど近い稔の家へとやってきた。
稔の両親は共働きでまだ帰宅しておらず、家には彼ら二人だけだ。稔の部屋は、壁一面にアニメのポスターが貼られ、フィギュアが所狭しと並ぶ、典型的なオタク男子の城であった。
「よし、久々にアレやろうぜ。先月発売された格ゲーの新作『マジカル・ストライカーズ』!」
稔がモニターの電源を入れ、ゲーム機にコントローラーを二つ繋いだ。
実在の魔法少女たちをモデルにしたキャラクターが戦う対戦格闘ゲームだ。グラフィックは美麗で、キャラクターごとに属性や魔装の特徴が細かく再現されている。
「いいけど、俺こういうのあんまり得意じゃないぞ。コマンドとか覚えられないし」
「大丈夫だって! 俺がハンデとして、操作の簡単なキャラにしてやるからさ。俺は当然、推しの『炎の魔女』を使うぜ!」
稔が選んだのは、炎属性の大魔法を扱う遠距離・高火力タイプのキャラクター。
一方、零に適当に割り当てられたのは、初期装備のままのオーソドックスな『無属性の近接剣士』だった。
「ROUND 1……FIGHT!!」
画面に開始の合図が表示された瞬間、稔のキャラクターが後方にステップし、炎の魔法弾を連射してきた。
弾幕のような飛び道具が画面を覆い尽くし、零のキャラクターに迫る。
「はははっ! 近接キャラは近づけなきゃ意味ないぜ! そのまま削り殺してやる!」
意気揚々とコントローラーを叩く稔。
しかし。
——ピキィィン! ピキィィン! ピキィィン!
零のキャラクターは一歩も退かず、迫り来る炎の弾幕を、その場で剣を振るって『全てジャストガード(パリィ)』で弾き落としたのだ。
「……は!?」
「ん? このゲーム、相手の攻撃が当たる瞬間にガードボタン押すと、ノーダメージで弾けるんだな。便利じゃん」
ポテトチップスをかじりながら、平然と言う零。
格闘ゲームにおいて『全弾ジャストガード』など、プロゲーマーでも至難の業である。しかし零にとっては、そんなことは造作もなかった。
彼は変身アイテムを使わなければ魔法が一切使えない、正真正銘の一般人である。
だが、裏で『ゴースト』として特A級魔獣や海外トップエースたちの規格外の魔法を間近で観察し、何度も死線を潜り抜けてきた彼の【特S級の動体視力】と【反射神経】は、一般人の肉体のままでも健在だった。
(ゲームの攻撃モーションなんて、ステラのガトリング乱射や、アース・ベヒモスの突進に比べたら、スローモーションみたいなもんだろ。キャラが魔法を撃つ前に、肩のドットが数ピクセル沈み込む『起こり』のモーションが見え見えだし)
完全に現実の戦闘経験(しかも世界最高峰レベル)をゲームに持ち込んでいるのだ。
「嘘だろ!? ま、まぐれだ! なら、これでどうだ! 超必殺技・【クリムゾン・メテオ】!!」
稔がゲージを全消費し、画面全体を覆うような巨大な隕石を落とす大技を発動した。
回避不能の全体攻撃。普通ならガードの上からでも体力を削り切られる大技だ。
「大振りすぎるな。モーションが無駄に長いから、発動前に懐に潜り込めば……ここだ」
——ズバァァァンッ!!
隕石が落ちてくる直前。
零の操作する無属性剣士は、一瞬の隙を突いて前方にステップし、無防備になっている稔のキャラクターの懐に潜り込むと、ただの『通常攻撃(弱パンチ)』から始まる基本コンボを寸分の狂いもなく叩き込んだ。
『K.O.!!』
画面には、大技を潰されて為す術もなく沈んだ稔のキャラクターが映し出されていた。
「…………え?」
コントローラーを持ったまま、稔は石化したように固まった。
「ふう、勝った勝った。格闘ゲームは大味な大技に頼るより、基本の通常攻撃をしっかり叩き込むのが一番効率いいな」
「お前……なんでそんなに反応速度おかしいんだよ!? エスパーか!? 全弾ジャストガードからの、超必殺技の発生前(数フレーム)を潰すとか、人間の反射神経じゃねえよ!!」
「いや、大振りの攻撃は、キャラクターの動きをよく見てればいつ来るかわかるだろ。ほら、もう一戦やるか?」
その後も、稔はキャラを変え、戦術を変え、泣きの一回を何度も挑んだが、結果は全て零のパーフェクト勝利に終わった。
現実の魔法少女の戦術にすら辛口レビューを下す特S級の亡霊にとって、ゲームのアルゴリズムなど、止まって見えるに等しかったのである。
「……はぁ。まさかゲームで零にボコボコにされるとは思わなかった。俺のゲーマーとしてのプライドがズタボロだよ……」
すっかり意気消沈した稔は、ベッドに寝転がってコーラをあおった。
零は申し訳なさそうに頭を掻きながら、残っていたポテトチップスを口に運ぶ。
「わりぃ、ちょっと手加減の仕方がわからなくて」
「お前、絶対格ゲーの才能あるから大会出ろよ……。あーあ、なんかもう疲れたわ。そういやさ、零」
ふと、稔が思い出したように寝返りを打ち、ニヤニヤとした笑みを浮かべて零を見た。
「こないだ、うちの母ちゃんがスーパーの特売でお前の母ちゃんと会って、立ち話してたらしいんだけどさ」
「……ん? 母さんが?」
「ああ。なんか、奈々美さん、めちゃくちゃテンション高かったらしくてさ。『うちの零の彼女、実はすっごい大物なのよ! この前も家に来てくれて、手料理食べて大喜びしてくれたの! あの子たち、もう完全に新婚さんみたいで……』って、近所の奥さん連中に言いふらしてたらしいぜ」
——ブゥーッ!!
零は、飲んでいたコーラを盛大に空中に吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ……! な、なんだって……!?」
「きったねえな! いや、だから、お前彼女できたんだろ? しかも奈々美さんがそこまで自慢する『大物』って……まさか、お前んちの姉ちゃんのコネで、どっかの有名私立のお嬢様とでも付き合い始めたのか?」
「ち、違う! 誤解だ!! 母さんが完全に一人で勘違いしてるだけで、俺に彼女なんかいない!!」
零は顔面を蒼白にさせ、全力で否定した。
(終わった……! 母さん、あの日の大佐の訪問を完全に『彼女の挨拶』と勘違いしたまま、ご近所ネットワークで拡散しやがった……! 大佐の正体(日本のトップエース)までバレたら、俺の平穏な日常が社会的な意味で消し飛ぶぞ!!)
日本の防衛を担う英雄が、一般人の男子高校生の彼女。
そんなスキャンダルが週刊誌(さっき本屋で見たマジカル・ジャーナルなど)にすっぱ抜かれでもしたら、零の家事と特売に捧げる平和な時間は永遠に失われてしまう。
「いやいや、照れんなって。俺たち親友だろ? で、誰なんだよ。写真見せろよ」
「だからいないって言ってるだろ! ただの、その……料理の弟子みたいなもんだ! ちょっとキャベツの千切りが壊滅的に下手な知り合いにご飯をご馳走しただけだ!」
「ふーん? まあ、そういうことにしておいてやるよ」
全く信じていない様子の稔に、零は胃の痛みを覚えながら頭を抱えた。
その時。
ズボンのポケットに入れていた零のスマートフォンが、微かに『ブルッ』と振動した。
自作アプリの通知だ。こっそり画面を見ると、『【魔力波長:Bランク相当】発生源:千葉県〇〇市』と表示されていた。
それから数秒後、稔のスマホにも協会公式アプリの広域警報が鳴り響いた。
「おっ、魔獣の警報だ。千葉の方か……まあ、俺たちには関係ないな。エース部隊か、現地の魔法少女がすぐ片付けてくれるだろ」
稔はスマホを一瞥すると、すぐにゲームの画面に視線を戻した。
零もまた、ポケットの中でスマホを握りしめ、小さく息を吐いた。
(千葉か……。東京じゃないし、姉ちゃんたちの行動範囲からも外れてる。……今日は、俺の出番じゃないな。協会の連中にお任せしよう)
いつもなら「夕飯の邪魔をされる前に片付ける」と飛び出していく彼だが、今日は魔獣が家族の脅威にならない距離であることを確認し、完全にスルーを決め込んだ。
世界平和よりも、親友の部屋でコーラを飲みながら過ごすこの放課後の時間の方が、今の零にとっては遥かに価値のあるものなのだ。
「おい零、さっきは負けたけど、次はレースゲームで勝負だ! これならお前の異常な反射神経も関係ないだろ!」
「いいよ。でも言っとくけど、俺、スーパーのタイムセールのカート捌きで培ったコーナリング技術には自信あるからな」
「だからなんで家事基準なんだよ!」
笑い合う二人の声が、夕暮れの部屋に響く。
世界の裏側で暗躍する組織や、増長するアンチ派閥、そして母親の暴走によるスキャンダルの危機。
数々の火種がくすぶっていることなど一旦忘れて、特S級の亡霊は、ただの男子高校生としての平和で尊い時間を、心ゆくまで満喫するのだった。




