第八十一話
夏休みを目前に控えた、ある日の昼休み。
高校の教室で、三神零の親友であるオタク少年・狭間稔が、興奮冷めやらぬ様子でスマートフォンの画面を突きつけてきた。
「おい零! 今週末、横田基地に隣接する魔法少女協会の特設演習場で、とんでもないイベントがあるぞ! 知ってるか!?」
「ん? なんだよ、また新しい美少女アニメのコラボカフェか? 俺は週末、隣町のスーパーの特売に行かないといけないから忙しいんだけど」
手作りのそぼろ弁当を頬張りながら素っ気なく返す零に、稔はバンバンと机を叩いた。
「違うって! 『四カ国合同・魔法少女親善演習』だよ! 日本、アメリカ、イギリス、ドイツのトップクラスの魔法少女が一堂に会して、公開訓練や模擬戦をやるんだ! 名目は『同盟関係の強化と協力体制の確立』らしいけど、要するに各国のバチバチの戦力アピール大会だぜ! 一般公開エリアから見学できるんだ、一緒に行こうぜ!」
「海外の魔法少女か……」
零は箸を止め、少し考える素振りを見せた。
海外の魔法少女にオタク的な興味はないが、『ゴースト』としては少しだけ関心が湧いた。
それに、姉の澪や妹の玲奈が将来エース級に昇格した場合、他国の魔法少女たちと共同戦線を張る日が来るかもしれない。その時のために、海外のトップ層がどれほどの実力を持っているのか、どんな戦い方をするのかを事前に把握しておくのは、保護者として悪くない判断だ。
「……まあ、いいか。ちょうどその演習場の近くに、新鮮な野菜を安く売ってるファーマーズマーケットがあったはずだし。買い物ついでなら付き合ってやるよ」
「よっしゃ! そうと決まれば、カメラのバッテリー充電しとかねえと!」
推しの魔法少女の勇姿を一眼レフに収める気満々の親友を横目に、零は「大根と長ネギ、どっちが安いかな」と、完全に主夫の思考で週末の予定を組んでいた。
そして日曜日。
広大な横田特設演習場のフェンス沿いには、大砲のような望遠レンズを構えたミリタリーオタクや魔法少女ファンたちがずらりと並んでいた。
その熱気渦巻く集団の端っこに、稔と零の姿もあった。稔はプロ顔負けのカメラを構え、零の右手には、ファーマーズマーケットで戦利品として獲得した『長ネギが飛び出たスーパーのレジ袋』が握られている。
「おおおっ……! 見ろ零! アメリカ代表の『ステラ・ブレイズ』だ! あのでっかいガトリング砲みたいな魔装、ロマンの塊じゃねえか!」
「へぇ。派手だな」
フェンスの向こう側、広大な演習エリアでは、国ごとの代表チームが次々とデモンストレーションを行っていた。
アメリカの魔法少女は、圧倒的な火力と物量でターゲットの岩山を粉砕している。
イギリスの魔法少女たちは、まるで中世の騎士のように統率の取れたフォーメーションで、水の細剣を優雅に振るっている。
ドイツの魔法少女は、分厚い魔力の盾を連結させ、戦車のような鉄壁の防御陣形を構築していた。
各国の特徴が色濃く出た素晴らしい訓練風景に、観客からは大きな歓声が上がっている。
しかし、その中でただ一人——エコバッグを下げた特S級の亡霊(主夫)だけは、極めて冷ややかで現実的な目でその光景を分析していた。
(アメリカのあの子、火力が高いのはいいけど、魔力の放出に無駄が多すぎる。あんな大味な撃ち方してたら、すぐにガス欠になるぞ。……ドイツの盾は硬いけど、上空と足元の死角がガラ空きだ。俺がゴーストなら、下から影魔法で足を掬って、上から氷を落とせば三秒で終わるな)
完全な『強者の視点(ダメ出し)』である。
ゴーストとして戦っている時の戦闘記憶と感覚があるため、世界トップクラスの魔法少女たちの戦術すら、隙だらけの児戯に見えてしまっていたのだ。
「で、次が我が日本のエース部隊だ! うおおおおっ、羽衣大佐ーーーっ!!」
稔が狂ったようにシャッターを切り始めた。
演習場の中央に、日本支部を代表するエース部隊の面々——羽衣緋雪、只野真奈、新堂鈴乃、弓飛鳥、新実由鶴の五人が姿を現した。
緋雪がすっと日本刀型の魔装を抜くと、周囲の空気が一瞬にして凍りつき、巨大な氷の結晶が咲き乱れた。無駄のない洗練された動きと、圧倒的な氷の魔力。先ほどの海外勢とは一線を画すその強さに、他国の魔法少女たちも息を呑んでいるのが遠目にもわかった。
(おお、大佐たちはやっぱり別格だな。大振りな海外勢と違って、魔力のコントロールが緻密だ。……まあ、俺の包丁捌き(家事スキル)には及ばないけど)
なぜか戦闘力を家事スキルに変換して謎のマウントを取る零。
そんな中、演習のクライマックスとして、各国の代表が入り乱れての『合同模擬戦』が開始された。
「行くわよ、日本のエース! 私たちの火力、見せてあげる!」
アメリカのステラが、ガトリング型の魔装から巨大な炎の魔弾を連射する。
迎え撃つ緋雪は、冷静に氷の盾を展開してそれを弾き返した。
「甘いわ。その程度の温度では、私の氷は溶かせない」
「くっ……なら、出力最大よ!」
意地になったステラが、魔装のリミッターを解除し、規格外の巨大な爆炎の塊を放った。
しかし、焦って放ったその一撃は大きく狙いを外し——あろうことか、演習場の防護結界を掠めて、零や稔たちがいる『見学者のフェンス』へと一直線に飛んできたのだ。
「「「うわあああぁぁぁっ!?」」」
見学者たちがパニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑う。
直撃すれば、ただのフェンスなど一溜まりもなく吹き飛び、大惨事になることは明白だった。
「しまった……!」
演習場の中で緋雪が顔を青ざめさせ、手を伸ばす。
一方、群衆の中にいた零は、舌打ちをしながらも冷や汗を流していた。
(ばっ……あのアホ! 魔力制御もできないくせに大技なんか撃つな!)
三神零という少年は、変身アイテムであるペンダントを使って『ゴースト』の姿にならなければ、魔法を使うことは一切できない。飛んでくる炎を相殺するような便利な力も持たない、文字通りの『ただの一般人』なのだ。
このままでは直撃する。だが、こんな大勢の前で変身して正体を明かすわけには絶対にいかない。
零が咄嗟に取った行動は、逃げることではなく、エコバッグを抱え込むようにして背を向け、身を挺して『特売の卵』を守るという主夫としての究極の自己犠牲だった。
(せめて卵だけは……今日の夕飯のカニ玉だけは守る!!)
——ピキィィィィンッ!!!
爆発音が響く直前、極低温の冷気がフェンスの目の前を駆け抜けた。
日本最強のトップエース・羽衣緋雪が、神速の踏み込みでフェンスと炎の間に割り込み、巨大な【氷の城壁】を展開して、アメリカの魔弾を完全に受け止めたのだ。
「きゃあああっ!」
「うわあっ!」
炎と氷が衝突した凄まじい衝撃波によって、見学者たちや稔が尻餅をつき、悲鳴を上げる。
土煙と冷気が晴れた後。
分厚い氷の壁の向こう側で、息を切らした緋雪が、一般市民に被害が出ていないかと焦って振り返った。
すると、そこには。
パニックになって逃げ惑う人々や腰を抜かすオタクたちの中で、ただ一人、逃げもせずに凛と(実際は卵をかばって屈んでいただけだが)立ち尽くし、スーパーの袋を提げている男子高校生の姿があった。
「あ、危なかった……。割れてない、卵は無事だ……!」
ホッと胸を撫で下ろし、エコバッグの中身を確認する零。
しかし、その光景を見た緋雪の瞳は、信じられないものを見るように大きく見開かれていた。
(零くん……!? もしかして、私を見に来てくれたの!? それに、あんな巨大な魔法が迫っていたのに、一歩も逃げずに……)
普通の人間なら恐怖で逃げ出すか、腰を抜かす場面である。
だが、彼は逃げなかった。情報班の由鶴が言っていた「あらゆる魔法の干渉を受け付けない特異体質」という情報を思い出しつつも、緋雪の乙女回路は別の解釈を導き出していた。
(もしかして……私が絶対に守り切ると、信じてくれていたから……逃げなかったの……?)
緋雪の心臓が、早鐘のように高鳴る。
彼女の中で、零に対する好感度と妄想がまた一つ、取り返しのつかない限界を突破してしまった瞬間だった。
「だ、大丈夫ですか、皆さん!」
「おおおっ……! 大佐! 大佐が守ってくれたぞ!!」
見学者たちから割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
緋雪は群衆に手を振りながらも、その視線はずっと、長ネギを背負った『愛しの少年』の姿を熱っぽく追いかけていた。
「いやー、マジで死ぬかと思ったけど最高だったな! 大佐のあの氷の壁、痺れたぜ!」
帰り道。興奮冷めやらぬ稔の横で、零は夕飯の献立を考えながら適当に相槌を打っていた。
「ああ、大佐はすごかったな。でも俺は、やっぱり海外勢のあの大味な攻撃はどうかと思うよ。姉ちゃんたちがあんなのに巻き込まれたら危なくてしょうがない」
「お前、なんでそんな保護者みたいな目線なんだよ。まあ、怪我がなくて良かったけどな」
国際親善という名目で集まった各国の魔法少女たち。
彼女たちの心の中には、「日本のエース部隊は手強いが、それ以上に『特S級の亡霊』という制御不能の怪物がいるらしい」という警戒心が強く根付いていた。
その怪物の正体が、今まさに長ネギの安さに一喜一憂し、魔法が使えないからと己の身を挺して卵を守っていた男子高校生であることなど、各国の諜報機関が何百年調査しても辿り着けない真実である。
「よし。今日の夕飯は、無事だった卵で最高のカニ玉を作ってやるか」
世界を巻き込む暗闘と、増長するアンチ派閥の思惑が渦巻く中。
三神家の絶対的な守護神は、ただ家族の笑顔を思い浮かべながら、夕日に照らされた帰り道を歩いていくのだった。




