第八話
深夜の廃工場地帯。
シンディー・クラネルを闇のロープで縛り上げたゴーストが、その場を立ち去ろうと足元の影に沈みかけた瞬間だった。
「——待ちなさい、ゴースト!」
上空から幾筋もの魔力の光が降り注ぎ、ゴーストの周囲を囲むように着地した。
日本支部が誇るエース部隊。羽衣緋雪、新堂鈴乃、新実由鶴、新飛鳥、そして只野真奈の五名だ。彼女たちの表情は一様に硬く、悲痛な決意に満ちていた。
「彼女の暴走を止めてくれたことには、心から感謝するわ。……でも、あなたは魔法少女協会に未登録のまま、数々の戦闘を行ってきた」
緋雪が、切っ先を震わせながら日本刀型の魔装を構える。
「魔法少女同士の許可なき戦闘行為、および未登録での武力行使は、協会の法において重大な違法行為にあたる。……私たちは日本支部を預かるエースとして、法に則り、ここであなたを拘束しなければならない!」
それは、彼女たちが背負う「組織の看板」としての逃れられない義務だった。
個人的にはゴーストに恩義を感じていても、法を破る存在を見逃せば、今度は日本支部そのものが世界の協会から糾弾されかねない。緋雪たちは苦渋の決断の末、ゴーストの捕獲作戦を決行したのだ。
ゴーストは無言のまま、静かに紫の瞳を細めた。
大剣は抜かない。それが、零なりの「あなたたちを傷つけたくない」という意思表示だった。
「ごめんね、ゴースト……! 手加減はしないよ!」
最初に動いたのは、真奈だった。
土属性の魔力を込めた巨大なハンマーを振りかぶり、ゴーストの頭上から全力で叩き下ろす。コンクリートの地面をクレーターのように粉砕する一撃。
しかし、ハンマーがゴーストを捉える直前、その姿はフッと陽炎のようにブレて消失した。
「えっ……?」
真奈が声を漏らした瞬間、すでにゴーストは彼女の背後に立っていた。
大剣の柄で、真奈のうなじを正確かつ最小限の力でトンッと打つ。
「あ……」
真奈は悲鳴を上げる間もなく白目を剥き、ハンマーを取り落としてその場に崩れ落ちた。初撃での、完全な気絶。
それはゴーストなりの優しさだった。これ以上戦わせれば、彼女を本気で傷つけてしまうかもしれないという配慮。
「真奈っ! ……飛鳥、行くぞ!」
「了解!」
仲間を一瞬で無力化された鈴乃が、怒号と共に双剣に炎を纏わせて突進する。飛鳥もまた、風の魔力で自身の速度を極限まで引き上げ、死角から槍を突き出した。
炎と風の複合攻撃。エース二人の連携は完璧だった。
だが——次元が違いすぎた。
「……ッ!」
ゴーストが指先で虚空を弾くと、そこに圧縮された闇の防壁が出現した。
鈴乃の炎が闇に触れた瞬間、反発した魔力が大爆発を起こす。ゴーストは無傷だったが、鈴乃はその爆風と自身の炎のバックファイアをまともに食らい、全身の皮膚を無数に切り裂かれた。
「かはっ……!」
鮮血を撒き散らしながら、鈴乃が吹き飛ぶ。
そこに後方から、由鶴の操る雷属性のドローン群が一斉射撃を浴びせた。
「逃がしません! 雷霆の檻!」
高圧電流の網がゴーストを包み込もうとする。しかし、ゴーストは空間そのものを闇で「切断」し、電撃の軌道を捻じ曲げた。
そして、瞬間移動で由鶴の目の前へと跳躍する。
「なっ——シールド!」
由鶴は咄嗟に最大出力の魔力障壁を展開したが、ゴーストが放ったただの「蹴り」の衝撃が、障壁ごと彼女の身体を吹き飛ばした。
「ああっ……!」
廃工場の壁に激突した由鶴は、激痛に顔を歪めた。防御の上からの物理的な衝撃だけで、右腕の骨が完全にへし折られていた。ドローンたちも主の魔力乱れにより、次々と墜落していく。
戦闘開始から、わずか数十秒。
残されたのは、氷の魔力を極限まで高め、周囲の雨粒ごと空間を凍結させている緋雪ただ一人となっていた。
「あああああっ!!」
緋雪の銀髪が吹雪に舞う。
彼女のすべてを懸けた絶対零度の斬撃。それはゴーストの闇の空間移動の出鼻をわずかに遅らせ、大剣を抜かざるを得ない状況まで追い込んだ。
ギィィィンッ!!
氷の刀と、漆黒の大剣が激突する。
その瞬間、緋雪の刃がゴーストの頬をわずかに掠り、一筋の赤い血が滲んだ。
(届いた……!)
そう思った直後、ゴーストの大剣から爆発的に噴き出した「黒炎」が、緋雪の氷を根こそぎ飲み込んだ。
熱も冷たさも感じない、ただすべてを無に帰すような漆黒の魔力。
「きゃあああっ……!」
黒炎の衝撃波をまともに受け、緋雪は紙屑のように吹き飛ばされた。
彼女の纏っていた白と水色の美しい魔装は、大半が焼け焦げて砕け散り、元の制服の残骸のような無残な姿を晒している。刀もへし折れ、緋雪はアスファルトの上にどうと倒れ伏した。
——完全なる、敗北。
雨が降りしきる中、立ち上がれる者は誰もいなかった。
真奈は気絶し、鈴乃は血塗れで呻き、由鶴は折れた腕を押さえてうずくまり、緋雪もまた、全身の痛みに顔を歪めながら、折れた刀を握りしめている。
満身創痍のエースたち。
それに対し、ゴーストの身に刻まれたダメージは、緋雪が奇跡的に与えた頬の小さな切り傷、ただ一つのみだった。豪奢な魔装に汚れ一つなく、息すら乱れていない。
「どうして……」
緋雪が、血の混じった咳を吐きながら、ゴーストを見上げて掠れた声を出した。
「どうして、私たちを……殺さないの……?」
違法な存在である自分を捕らえようとした敵。本来なら、反撃で命を奪われてもおかしくない。しかし、ゴーストの攻撃には明確な「殺意」が欠けており、絶妙に急所を外されていた。
ゴーストは、大剣をカチャリと鞘に収めた。
紫の瞳が、倒れ伏すエースたちを静かに見下ろす。そこには怒りや嘲りはなく、ただ深い悲哀だけが漂っていた。
「……私は、誰も奪いたくないの」
雨音に紛れるほどの、静かで透き通るような声だった。
変身に伴って女性のものへと変化したその声の響きは、これまでの冷酷な亡霊のイメージとは程遠い。どこか不器用で、ひどく純粋な色を帯びていた。
(ごめんな、お前たちをこんなに傷つけるつもりはなかったんだ)
内心の零としての思考を押し殺し、ゴーストはそれ以上何も語らず、足元の影へとゆっくりと沈み込んでいく。
闇が完全に彼女の姿を飲み込むまで、緋雪たちはただ、その圧倒的で絶対的な力の差に、絶望と微かな安堵を抱きながら見送ることしかできなかった。




