第七話
魔法少女協会・日本支部の最深部に位置する国際通信会議室。
円卓を囲むように展開された巨大なホログラムモニターには、世界各国の支部を束ねるトップたちの顔が映し出されていた。
「——以上が、シンディー・クラネル中佐が独断で日本国内に密輸し、市街地で起動させた対魔法少女用キメラ『アンチ・マギア』に関する報告のすべてです」
日本支部総司令官、姫嶋結衣大将が凛とした声で締めくくると、円卓を重苦しい沈黙が支配した。提出された映像データには、魔法少女の魔力を際限なく喰らい尽くす異形の姿と、それを強引にねじ伏せた未登録の魔法少女・ゴーストの戦闘記録が克明に記されている。
「言語道断だな、アメリカ支部」
沈黙を破ったのは、分厚い軍服風のコートを羽織ったロシア支部の代表、イリーナだった。彼女は氷のような鋭い視線を、ホログラム越しにアメリカ支部の代表へと突き刺す。
「我がロシア支部も、半年前の合同演習という名目の『実験』で、彼女に貴重な資源を台無しにされた。クラネル中佐が持ち込んだ未完成の魔力増幅器の暴走により、将来有望だった所属魔法少女三名が再起不能の重傷を負わされたのだ。あの時は事故として処理されたが、今回の件でハッキリした。彼女は他支部の魔法少女を、使い捨ての実験動物としか思っていない」
「全く同感ですね。我々も多大な被害を受けています」
イリーナの言葉に同調したのは、中国支部の代表であるシャオだった。美しい絹の衣服に身を包んだ彼女は、手にした扇子をパチンと閉じ、冷ややかに目を細めた。
「昨年、中国支部の第一研究施設が半壊した事件。クラネル中佐が『視察』と称して訪れた直後のことでした。私たちの研究資源と魔力結晶の備蓄を不当に消耗させ、あまつさえその責任を現地の魔獣のせいにした。……アメリカ支部は、このような危険人物を『優秀な調査官』として放し飼いにしていたのですね」
ロシアと中国、二つの大国支部からの苛烈な非難。
それに加え、日本支部が提示した動かぬ証拠を前にしては、さしものアメリカ支部代表も沈黙せざるを得なかった。
『……弁解の余地はない。クラネル中佐の行動は、本部が許可した権限を大きく逸脱している。現在をもって彼女の特命調査官の身分を剥奪、大尉への降格処分とし、本国の軍事法廷へ引き渡すことを約束しよう』
「当然です。彼女は身柄の引き渡しまで、我々日本支部の地下特別監獄にて厳重に拘束します」
結衣が毅然と通告し、国際会議は終了した。
通信が切れた後、傍らに立つ湯野麗香中将が小さく息を吐く。
「これで、アメリカ支部の横暴にも歯止めがかかりますね」
「ええ。ですが、クラネル元中佐がこのまま大人しく引き下がるとは思えません。拘束エリアの警備をさらに強化してください」
しかし、結衣の悪い予感は、最悪の形で的中することになる。
日本支部の地下深く、魔力封じの結界が何重にも施された特別監獄。
その冷たい床の上で、シンディー・クラネルは自身の端末から漏れ聞こえた処分決定の通知に、ギリッと奥歯を鳴らした。
「私を……この私を、トカゲの尻尾切りにするというのですか……!」
血走ったエメラルドグリーンの瞳には、もはや知性やプライドの欠片もなく、純粋な狂気と憎悪だけが煮えたぎっていた。
ロシアや中国での非人道的な実験も、今回のア
ンチ・マギア密輸も、元を正せば本部の暗黙の了解のもとに行ってきたことだ。成果さえ出せばすべて許されるはずだった。
それなのに、あの忌々しい『ゴースト』のせいで、自分の輝かしいキャリアはすべて水泡に帰した。
「許さない……許しませんよ、ゴースト。お前の首を手土産にして、私を捨てた老害どもに土下座させてやる……!」
シンディーは震える指で、自らの奥歯の一つに触れた。
ガリッ、と硬いものを噛み砕く音が響く。それは、彼女がいざという時のために体内に隠し持っていた、超高濃度の『魔力炸裂カプセル』だった。
ドゴォォォォンッ!!
監獄の分厚い防爆扉が、内側からの凄まじい魔力爆発によって吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める煙の中から、口の端から血を流し、衣服をボロボロにしながらも狂気の笑みを浮かべるシンディーが姿を現した。彼女は警備の職員たちが駆けつけるよりも早く、混乱に乗じて地下施設からの逃走を図った。
「緊急事態発生! 対象・クラネル、地下監獄を突破!」
施設内にけたたましいサイレンが鳴り響く。
しかし、シンディーは追手を撒くための妨害工作をあらかじめ施設内のシステムに仕込んでいた。彼女は日本の裏社会ルートで手配しておいた偽造パスを使い、まんまと協会の包囲網を抜け、夜の市街地へと姿を消した。
深夜の廃工場地帯。
冷たい雨が降りしきる中、三神零はゴーストの姿で鉄骨の上に佇んでいた。
(……この異常な魔力の残滓、間違いない)
ゴーストの紫色の瞳が、雨の向こう側を鋭く見据える。
探知アプリが告げていたのは、魔獣の反応ではない。人間から発せられる、極度に歪壊し、暴走寸前の魔力だった。
「見つけましたよ……私の、私の獲物……ッ!」
錆びたドラム缶の陰から、泥と雨にまみれたシンディーが這い出るように姿を現した。
彼女の右手には、アメリカ支部から持ち出した試作型の魔力収束砲が握られている。そして彼女自身の体には、無理やり魔力を引き出すための禁忌の薬物が何本も注射されていた。血管が不気味に青黒く浮かび上がり、その命を削りながら強引に力を生み出している。
「お前のせいで、私はすべてを失った! 死ね、死んで私の解剖台に乗れえええっ!」
絶叫と共に、シンディーが魔力収束砲の引き金を引く。
周囲の雨粒を一瞬で蒸発させるほどの、高熱と破壊力を伴った極太のレーザーがゴーストに向かって放たれた。直撃すれば、特級魔獣すら消し飛ぶ威力。
だが、ゴーストは逃げなかった。
大剣を抜くことすらしない。ただ静かに右手を前にかざした。
「……愚かな」
中性的な、ひどく冷たい声。
ゴーストの掌から、底なしの「闇」が展開された。光のレーザーが闇に触れた瞬間、爆発すら起こさず、まるでブラックホールに吸い込まれるように完全に消失していく。
「な、ぜ……!? 私の、私の最高傑作の兵器が……!」
シンディーが愕然と目を見開いた次の瞬間、ゴーストは『瞬間移動』で彼女の背後に立っていた。
結界も物理法則も無視する、神出鬼没の闇。
「ヒッ——!」
シンディーが振り返るよりも早く、ゴーストの手刀が彼女の首筋に正確に叩き込まれる。
人を殺さない。それが零の絶対のルールだ。どれほど憎悪に塗れた悪人であろうと、命を奪うことだけはしない。
パタリ、と。魔力収束砲を取り落とし、シンディーは白目を剥いて泥水の中へと崩れ落ちた。
「……あんたの野心に、これ以上この街を巻き込ませはしない」
ゴーストは気を失ったシンディーを見下ろし、小さく呟いた。
遠くから、彼女を追ってきたであろう日本支部のヘリのローター音が近づいてくる。真奈や緋雪たちが、すぐそこまで来ている気配があった。
(これで、本当に終わりだ)
ゴーストは拘束用の闇のロープでシンディーを厳重に縛り上げ、目立つ場所に放置すると、再び影の中に溶け込んだ。
大国からの追及、そして自滅による完全な敗北。
アメリカ支部の傲慢な調査官が引き起こした一連の騒動は、名もなき未登録の魔法少女の手によって、静かに幕を下ろしたのだった。




