第六話
深夜の東京港。一般車両の立ち入りが禁止されたコンテナヤードの片隅で、黒塗りの輸送トラックがひっそりとエンジンを下ろしていた。
「……バイタル異常。対象の魔力係数が規定値を突破しました。鎮静剤の追加投与、急げ!」
コンテナの周囲を取り囲む、米国支部から持ち込まれた白衣の職員たちが慌ただしくタブレットを叩く。
だが、遅かった。
鋼鉄製の分厚いコンテナの内側から、ドゴォッ! と巨大な質量が叩きつけられる音が響き、次いで扉が飴細工のように内側から引き裂かれた。
「ヒッ……! 逃げ——」
職員の悲鳴は、瞬時に途切れた。
コンテナの中から這い出たのは、銀色の異質な装甲に覆われた、体長五メートルを超える人型の異形だった。背中からは無数の触手が蠢き、周囲の空気に含まれる微弱な魔力すらも貪欲に吸い上げている。
シンディー・クラネルが非合法なルートで密輸した、対魔法少女用・魔力捕食型人工キメラ『アンチ・マギア』。
制御が不完全なその怪物は、本能のままにより強大な魔力を求めて、ネオンが瞬く市街地の方角へと醜悪な首を向けた。
同時刻、魔法少女協会・日本支部。
作戦会議室を、けたたましい警報音が切り裂いた。
「湾岸の第七コンテナヤードにて、特級クラスの魔力反応を検知!」
新実由鶴少佐が、モニターを激しく叩きながら叫ぶ。
「ですが、波形が異常です! 既存の魔獣データベースのどれとも一致しません。それに、周囲の空間から魔力が急速に吸い上げられています……まるで、ブラックホールのように!」
「魔力を吸い上げる……?」
姫嶋結衣大将は目を見張った。自然界の魔獣にそのような特性を持つ個体は確認されていない。
「まさか、米国支部が持ち込んだという……。由鶴少佐、直ちに大佐以下のエース部隊に出撃命令を! 対象を市街地へ一歩も入れてはなりません!」
「了解!」
ただならぬ事態に、日本支部の中枢がかつてない緊張感に包まれる。
一方、自室でベッドに横たわっていた三神零は、机の上のスマートフォンが発した警告音に飛び起きた。
自身で組み上げた非公式の魔力探知アプリが、画面いっぱいに赤いアラートを表示している。
(なんだ、この異常な数値は……特級クラスを遥かに超えてる。それに、この嫌な気配は)
零は窓を勢いよく開け放った。湾岸の方向から、肌を刺すような冷たい瘴気が漂ってくるのが分かる。
胸のペンダントを強く握りしめ、零は深く息を吸い込んだ。
「——変身」
少年の身体を漆黒の魔力が包み込む。紫がかった黒髪が風に舞い、豪奢な白と黒の魔装が身を包む。大剣を背に負った美しい魔法少女『ゴースト』の姿へと変わった零は、迷うことなく夜の街へと跳躍した。
「はああぁっ!」
湾岸のコンテナヤード。新堂鈴乃中佐の放った紅蓮の炎を纏う双剣が、銀色の異形の腕に深々と叩き込まれる。
しかし、鈴乃が驚愕に目を見開いた。
「炎が……吸い取られている!?」
斬り裂いたはずの装甲の断面から、鈴乃の炎の魔力がシュルシュルと音を立てて異形の体内へと吸収されていく。傷口は瞬く間に塞がり、逆に魔力を得た異形の動きがさらに加速した。
「鈴乃ちゃん、下がって!」
上空から、新飛鳥大尉が風を纏った槍を急降下と共に突き立てる。しかし、物理的な衝撃すらも軟体動物のような銀色の装甲に吸収され、飛鳥は弾き飛ばされた。
「ちょっと、どうなってんのコイツ! 私のハンマーも全然効かないんだけど!」
只野真奈大尉が、巨大なハンマーを構え直しながら叫ぶ。
氷属性の魔法で後方から支援を行っていた羽衣緋雪大佐は、冷や汗を流しながら異形を見据えた。
「こちらの魔力を吸収して、自身の再生と強化に使っているのよ。……ただの魔獣じゃない。誰かが意図的に造り出した、魔法少女を殺すための兵器だわ!」
『その通り。よく分かりましたね、大佐』
突如、エースたちのインカムに、聞き覚えのある冷酷な声が割り込んできた。
謹慎中のはずの、シンディー・クラネルだ。
『それは私が用意した、極上の鳥籠です。魔法少女の魔力を無限に喰らい続ける可愛いペット。あなたたちの魔力を餌にして、対象をおびき寄せるためのね』
「あなた、正気なの!? こんな制御できない怪物を放ったら、街がどうなるか……!」
『私の知ったことではありません。……さあ、来るなら来なさい、ゴースト。お前の持つ未知の闇属性を、この子がどう消化するか見物です』
通信が切れる。
異形——アンチ・マギアが、背中の触手を四方に展開した。触手の先端から、鈴乃から奪った炎と、緋雪から奪った氷の魔力が混ざり合った、破壊的な光線が放たれる。
「シールド展開!」
緋雪が咄嗟に氷の障壁を張るが、魔力を吸収され弱体化していたシールドは容易く砕け散る。
爆発の衝撃で、四人のエースたちは吹き飛ばされ、アスファルトの上を転がった。
「くっ……!」
倒れ伏す真奈と緋雪に、アンチ・マギアの鋭い触手が、とどめを刺すべく襲い掛かる。
もう、回避は間に合わない。
緋雪が覚悟を決めて目を閉じた、その瞬間だった。
「——空間断絶」
低く、凛とした声が響いた。
触手と緋雪たちの間に、空間を切り裂くような漆黒の亀裂が走る。
異形の触手は、亀裂に吸い込まれるように切断され、地面にボトボトと落ちて黒い灰となって消えた。
「え……」
真奈が顔を上げる。
そこに立っていたのは、紫の瞳に静かな怒りを宿し、黒い大剣を構えた美しい少女——ゴーストだった。
顔を隠さず、その素顔を真っ直ぐに敵へと向けている。彼女が助けに来てくれたことに、真奈と緋雪の心に安堵が広がった。
『来ましたね! さあ、やりなさい!』
どこかで見ているであろうシンディーの歓喜の声。
アンチ・マギアは、ゴーストが放つ莫大な魔力に反応し、標的を完全に彼女へと切り替えた。すべての触手が、ゴーストの魔力を吸い尽くそうと一斉に殺到する。
「ダメっ、ゴースト! そいつに魔力攻撃は効かない! 全部吸い取られちゃう!」
真奈が悲痛な叫びを上げる。
しかし、ゴーストは逃げなかった。大剣の刀身に、これまで以上の濃密な「闇」を纏わせる。
光を飲み込み、結界の理すら喰い破る、規格外の闇。
(魔力を喰う魔獣か。……なら、喰らい尽くせないほどの「絶望」を叩き込むまでだ)
ゴーストは、殺到する触手の群れに真正面から突っ込んだ。
「——深淵の顎」
大剣が一閃される。
アンチ・マギアの装甲が、ゴーストの闇の魔力を吸収しようと蠢いた。しかし、次の瞬間、異形の体から「ギシャアアアアッ!」という苦痛に満ちた絶叫が上がった。
吸収しようとした闇の密度と質量が、人工キメラの処理能力の限界を遥かに超えていたのだ。
まるで、小さなバケツで海水を飲み込もうとしたかのように。
アンチ・マギアの銀色の装甲が、内側からボロボロと崩壊し始める。
「な、なんだと……!? 魔力捕食器官が、逆に侵食されている……!?」
遠隔でモニターを見ていたシンディーが、驚愕に声を震わせる。
ゴーストは立ち止まらない。崩壊しつつある異形の懐へと闇の瞬間移動で潜り込み、大剣に漆黒の炎を纏わせた。
「終わりだ」
下段から跳ね上げるような、渾身の一撃。
凛音の剣技を受け継いだ『黒炎の断頭台』が、アンチ・マギアの巨体を真っ二つに両断する。
異形は最後に断末魔の叫びを上げると、ゴーストの闇に完全に飲み込まれ、爆発することすら許されずに虚無へと還元された。
静寂が、夜の港に降り下りた。
圧倒的な力。どんな魔法も通じなかったはずの怪物を、力業でねじ伏せてしまった。
緋雪たちは、ただ呆然とその美しい背中を見つめることしかできなかった。
大剣をゆっくりと鞘に収めたゴーストは、振り返ることなく、再び足元の影へと沈み込もうとする。
だがその時、真奈がふらつく足で立ち上がり、声を絞り出した。
「待って……っ!」
ゴーストの動きが止まる。
真奈は、傷だらけの顔に無理やり笑顔を浮かべた。
「……助けてくれて、ありがとう」
その言葉に、ゴーストはわずかに肩を揺らし——そして、紫の瞳を伏せて、小さく一度だけ頷いた。
次の瞬間、空間の歪みと共に、彼女の姿は夜の闇へと完全に消え去った。
後に残されたのは、シンディーの野望の残骸と、ゴーストへのさらなる信頼を胸に刻んだエースたちだけであった。




