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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第七十六話

 時間を少し遡る。

 三神家の一同が、小田急ロマンスカーならぬ父・五郎の運転するファミリーカーで、平和な箱根旅行へと向かっていた土曜日の昼下がり。

 東京・霞が関の地下深くに位置する魔法少女協会 日本支部の本部。

 その一角にある、特S級対応部隊(通称・エース部隊)の専用待機室では、日本が誇るトップエースである羽衣緋雪が、テーブルの前に座って深く、ひときわ重いため息をついていた。


「……はぁ」


 彼女の目の前に置かれているのは、協会から支給されている『戦闘用レーション(携帯糧食)』である。

 パサパサの栄養ビスケットに、冷たいままのツナ缶。そして無機質なゼリー飲料。過酷な任務の最中でも手軽にカロリーと栄養を摂取できるように作られた、機能性だけを追求した食事だ。

 緋雪は、プラスチックのフォークでツナ缶の中身をすくい、口に運んだ。


「…………味が、しないわ」


 咀嚼しながら、再びため息が漏れる。

 決して腐っているわけでも、味付けがされていないわけでもない。むしろ、最高峰の科学技術で作られたレーションは、それなりに美味しく食べられるように工夫されているはずだった。

 しかし、今の緋雪の舌には、それがただの砂を噛んでいるかのように味気なく感じられて仕方がなかったのだ。


(……この前の、零くんと一緒に作った『無限ピーマン』……すごく美味しかったな)


 緋雪の脳裏に、数日前の情景がフラッシュバックする。

 スーパーで出会った三神零に連れられ、三神家のキッチンに立ったあの夜。

 彼から借りた、少しサイズが大きくて自分の身体にはダボダボの男物のエプロン。

 零の優しい指導のもと、火も包丁も魔力も使わず、ただツナ缶とピーマンを丁寧に混ぜ合わせて作った、あの温かくて香ばしい手料理。

 あの時食べたツナ缶の旨味と比べると、今目の前にある冷たいツナ缶は、まるで別次元の食べ物のように思えた。


(零くんの作ってくれた冷しゃぶ、柔らかかったな……。あの人が作ってくれたお粥、ネギと卵がふんわりしてて、体に染み渡るくらい優しかったな……)


 完全に三神零の『主夫力』によって胃袋を掌握されてしまった氷の女王は、頬杖をつきながら、恋する乙女のようなトロンとした目で虚空を見つめ始めた。


「あっ! 緋雪ちゃんから、雪雲が出てる!」


 その異変に一番最初に気がついたのは、土属性の大尉・只野真奈だった。

 彼女の指差す先、緋雪の頭上には、どんよりとした憂鬱な感情が漏れ出したことによる『氷の魔力』の冷気が、小さな雪雲のように渦巻いていた。


「おいおい、どうしたんだ緋雪。そんなに死んだ魚みたいな目をして。魔獣討伐の疲労でも溜まってるのか?」


 ソファでコーヒーを飲んでいた炎属性の中佐・新堂鈴乃が、マグカップを置いて呆れたように声をかける。彼女が神絵師として同人活動をしていることは、エース部隊の誰にも明かしていない絶対の秘密である。


「……緋雪。あなた、また三神くんのことでしょ」


 鈴乃の横で、作戦報告書に目を通していた風属性の大尉・弓飛鳥が、すべてを察したようなジト目を緋雪に向けた。

 飛鳥はつい先日、風邪で寝込んだ零の看病に緋雪と共に駆けつけ、彼女がスポーツドリンクでプロテイン入りのお粥を作ろうとして零を殺しかけた(そして飛鳥自身がまともな料理を作って事なきを得た)現場に居合わせている。緋雪がどれほどあの少年にベタ惚れしているか、骨の髄まで理解していた。


「あ、飛鳥! 違うわ! 私はただ、この缶詰が冷たいなって……日本の防衛を担う私たちには、もっと温かくて栄養のある食事が提供されるべきではないかと、組織の福利厚生について真剣に考えていただけよ!」


 図星を突かれた緋雪は、顔を真っ赤にして早口で弁解した。


「嘘おっしゃい。顔に『零くんのご飯が食べたい』って書いてあるわよ」


「ううっ……だってぇ! 零くん、今頃ご家族で箱根旅行に行ってるのよ!? きっと温泉旅館で、豪華なお刺身とか、温かい天ぷらとか、美味しいものをたくさん食べてるんだわ……! それに比べて、私のこのお昼ご飯は……!」


 ついに本音を爆発させ、机に突っ伏してジタバタと暴れ始めるトップエース。

 そんな氷の女王のポンコツっぷりを見下ろしながら、待機室に集まっていたエース部隊のメンバーたちは、顔を見合わせた。


(三神って、夏コミの時に私と会ったあの高校生か。確かにあいつは、私の正体を知ってもビビらない妙な度胸があったし、料理も美味そうだが……まさか緋雪がここまで胃袋を掴まれるとはな)


「れーお兄ちゃんのご飯!? いいなぁ! 真奈も、れーお兄ちゃんの作ったハンバーグとかオムライス食べたーい!」


「真奈、あんたはまだ三神くんの手料理食べたことないでしょ……」


 鈴乃が顎に手を当てて納得し、真奈が無邪気に飛び跳ね、飛鳥がやれやれとため息をつく。

 そこへ、指令室から一人の少女がタブレットを片手に入室してきた。

 情報班トップ、雷属性の少佐・新実由鶴である。


「おや、皆さんお揃いで。……緋雪さん、相変わらずあの『三神零』に執心しているようですね」


「ゆ、由鶴ちゃん……」


 由鶴はクイッと眼鏡を押し上げ、タブレットの画面を指で弾いた。

 そこには、東名高速道路の監視カメラが捉えた、三神家のファミリーカーの映像が映し出されていた。


「私の愛しの特異体質モルモット……。彼のあの『あらゆる魔法の干渉を受け付けない』という謎の体質は、ジャマー技術を無効化する鍵となる至高の検体です。……ああ、今すぐ箱根に部隊を派遣して、彼を拉致して私の地下研究室の解剖台に縛り付けたい衝動に駆られます」


「ダメよ由鶴ちゃん!! 零くんは解剖しないで!!」


「冗談ですよ。ご両親も一緒のようですし、今は泳がせておきましょう。……ですが、彼が特S級のポテンシャルを秘めた『ただの一般人』ではないことだけは、私のこのデータが証明しています」


 エース部隊の五人のうち、四人までもが個人的に(あるいは研究対象として)接触し、強烈な関心を抱いている一般人・三神零。

 彼が実は『特S級の亡霊ゴースト』本人であるなどとは、誰も夢にも思っていない。

 彼らはそれぞれ、全く違ったベクトルで「三神零」という少年の姿を脳裏に思い描いていた。


「……はぁ。私、今日のパトロールが終わったら、スーパーで一番高いツナ缶買って帰ろう……」


 テーブルに置かれた冷たいツナ缶を見つめながら、緋雪は恨めしそうに呟く。

 どんなに高級なツナ缶を買ったところで、あの温かい三神家のキッチンで、零の小言を聞きながら食べる味には絶対に敵わないのだと分かってはいても。


「緋雪、公私混同が酷いわよ。さっさと食べて、午後の任務パトロールに行くわよ。最近、魔獣の発生頻度も上がってるんだから」


「わかってるわよ……。もぐもぐ……やっぱり、味がしないわ……」


 飛鳥に急かされ、緋雪は涙目でパサパサのビスケットをかじった。


 日本最強のトップエースであり、ゴーストと並び称される『氷の女王』のメランコリー。

 彼女の切実な願いは、世界平和でも魔獣の殲滅でもなく、ただ「愛しの少年の作った温かいご飯が食べたい」という、ひどくささやかで、それでいて今の彼女にとっては最も遠い場所にあるものなのだった。


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