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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第七十五話

 箱根の山々に抱かれた老舗旅館。

 三神家の一同が通されたのは、窓から雄大な自然を一望できる、広々とした和室だった。

 道中のサービスエリアで重箱いっぱいの弁当を平らげたばかりだというのに、温泉旅行における最大のイベントである『夕食』の時間がやってくると、姉の澪と妹の玲奈は歓声を上げて食卓へと飛びついた。


「うわぁぁっ! すごい、豪華すぎる!」


「お刺身がキラキラしてるよ! このお肉も、焼く前から絶対美味しいってわかるやつだ!」


 テーブルいっぱいに並べられたのは、相模湾で水揚げされた新鮮な魚介の舟盛り、箱根西麓で採れたみずみずしい夏野菜の天ぷら、そしてメインディッシュである国産黒毛和牛の陶板焼きなど、目にも鮮やかな懐石料理の数々だった。

 魔法少女の適性試験を突破し、訓練校で日々過酷な特訓に励んでいる姉妹にとって、これほどの贅沢なご馳走は最高の疲労回復剤である。二人は箸を休めることなく、次から次へと料理を口へと運んでいく。

 一方、三神家の台所を預かる『料理番』の二人——母の奈々美と息子の零は、少し違った視点で料理を楽しんでいた。


「……ねえ零。このお吸い物、すっごく上品な味ね。お出汁は一番出汁の鰹昆布ベースだと思うけど、少しだけ干し椎茸の旨味も感じるわ」


「うん、俺もそう思う。それに、この塩加減が絶妙だ。素材の味をギリギリまで引き立てる最小限の調味に留めてる。……流石はプロの仕事だな。俺が作ると、どうしてもご飯が進むように少し濃いめの味付けになっちゃうから、この引き算の美学は勉強になる」


「ふふっ、今度お家でも真似して作ってみましょうか。柚子の皮を少し散らしても美味しいかもしれないわね」


 高級旅館の懐石料理を前にして、ガチの料理人目線で味付けの分析を始める主婦と主夫。

 そんな二人を見て、父の五郎は苦笑いしながら瓶ビールをグラスに注いだ。


「お前ら、せっかくの旅行なんだから分析ばっかりしてないで、純粋に味わって食べなさい。ほら澪、玲奈、お肉が焼けたぞ」


「「わーい! いただきまーす!」」


 家族五人で囲む、賑やかで温かい食卓。

 世界から『未知の災害指定クラス(特S級)』として恐れられ、各国の諜報機関から血眼で捜索されている最強の亡霊——ゴーストとしての顔を持つ零だが、今この瞬間だけは、ただの平凡な男子高校生として、家族との幸せな時間を噛み締めていた。

 夕食後、満腹になったお腹を抱えながら、五郎と零は連れ立って男湯へと向かった。

 木々の間を吹き抜ける夏の夜風が心地よい、広々とした岩造りの露天風呂。立ち上る湯けむりの向こうには、箱根の山々の稜線が月明かりに照らされて浮かび上がっている。

 貸し切り状態の露天風呂で、二人は肩までお湯に浸かり、ほうっと深い息を吐いた。


「いやー、極楽極楽。……澪と玲奈の初任給で、こんな立派な旅館に泊まらせてもらえる日が来るなんてなぁ。父さんと母さんにとっても、本当にいい骨休めになったよ」


「俺はついてきただけだけどな。でも、二人が楽しそうで良かったよ」


 零が苦笑いしながらお湯で顔を洗うと、五郎は優しく目を細めた。


「そんなことないさ。零、お前には本当に感謝してるんだ。母さんも俺も共働きで帰りが遅くなることが多いけど、お前が家のことを完璧にやってくれてるから、うちは回ってる。それに、あの二人の訓練の相手まで毎朝してくれてるんだろ?」

「まあ、俺が勝手に心配してやってるだけだから。護身術くらいは身につけておいて損はないし」


「……でもな、零。お前はまだ十六歳の高校生なんだ。家族のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、自分の時間もちゃんと大切にするんだぞ。テストで赤点取って補習になるくらいなら、家事は母さんや俺にもっと頼っていい。お前はお前で、普通の高校生活を思い切り楽しんでほしいんだ」


 父からの温かい言葉に、零は少しだけ胸がチクリと痛んだ。

 普通の高校生活。それは、彼が一番望んでいるものでありながら、特S級の力と責任を抱え込んでしまった今、最も遠い場所にあるものだった。

 しかし、だからといってこの家族に隠し事をしている罪悪感に押し潰されるつもりはない。


「……ありがとう、父さん。でも、俺は今の生活がすごく楽しいんだ。姉ちゃんや玲奈が美味そうに俺の飯を食ってくれて、父さんと母さんが笑ってる。俺にとっては、この家族と一緒に過ごす時間が『一番やりたいこと』だからさ」


「……そうか。お前がそう言うなら、父さんは何も言わないよ。ただ、無理だけはするなよ」


 ザバァ、と五郎がお湯から上がり、零の肩をポンと叩いた。

 零は夜空に浮かぶ星を見上げながら、ゴーストとしての秘密を誰にも明かさず、この家族の平穏な日常だけは何があっても守り抜くという決意を、温泉の熱気と共に新たにしていた。

 翌朝。

 豪華な朝食ビュッフェを限界まで堪能した三神家は旅館をチェックアウトし、箱根湯本駅前の商店街へとやってきた。

 旅行の締めくくりである、お土産選びの時間である。


「お父さん、職場の皆さんにはこの温泉饅頭の詰め合わせでいいかしら。無難で配りやすいし」


「そうだな。おっ、このアジの開き、肉厚ですごく美味そうだぞ。自宅用に買って帰ろう」


 五郎と奈々美が干物や箱菓子を物色している間、澪と玲奈も訓練校の友人たちへのお土産を真剣に選んでいた。 


「真奈ちゃんには、このキーホルダーがいいかな? あの子、可愛いもの好きだし」


「私は同じ班の子たちに、寄木細工のしおりを買っていこうっと。実用的だし綺麗だしね」


 伝統工芸品である箱根寄木細工の店には、幾何学模様が美しい小箱やコースター、アクセサリーなどが所狭しと並んでおり、見ているだけでも飽きない。

 零もまた、親友の狭間稔へのお土産を選ぼうと店内を見て回っていた。


(稔のやつには……まあ、この『箱根限定・美少女アニメキャラクターのコラボ饅頭』でいいか。あいつ、オタクだからこういうの喜ぶだろうし)


 適当なお土産を手に取り、レジへ向かおうとしたその時だった。

 背後から、姉の澪と妹の玲奈が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら忍び寄ってきた。


「ねえねえお兄ちゃん。稔くんのお土産だけでいいの?」


「一番大事な人へのプレゼント、忘れちゃダメだよー?」


 両脇から顔を覗き込んでくる姉妹に、零はギョッとして一歩後ずさった。


「い、一番大事な人? 誰のことだよ」


「もう、とぼけちゃって。大佐だよ、羽・衣・大・佐。あの『氷の女王』様」


 澪がからかうように小声で告げた名前に、零は慌てて周囲を見回した。


「ばっ……お前ら、こんな人が多いところでその名前出すな!」


「大佐ね、お兄ちゃんが今日箱根旅行に行くって知ってから、訓練校ですっごく寂しそうにしてたらしいよー? 『零くんの手料理が二日も食べられないなんて……私の栄養素が……』って、ずっとため息ついてたんだって」


「だから、この寄木細工の綺麗な小物入れでも買っていってあげたら? 『これを見て、君の美しい銀髪を思い出したんだ』とか言ってさ。絶対に喜ぶって!」


「言うか! そんな恥ずかしいセリフ!」


 零が顔を真っ赤にして姉妹にツッコミを入れた、まさにその瞬間だった。

 背後から、信じられないほどのスピードで接近してきた人影が一つ。


「……ん? 澪、玲奈。今、零の『一番大事な人』って言わなかった?」


 干物の袋を提げた母・奈々美が、まるで獲物を狙う鷹のような鋭い眼差しで、三人の背後に立っていた。

 さらに、その隣から五郎もひょっこりと顔を出す。


「大佐? 女王様? 零、お前……まさか、そういう趣味の店に通ってるのか……!?」 


「ち、違う! 父さん、変な勘違いしないで! そういう大人の店じゃないから!」


 五郎のトンデモない勘違いに全力で否定する零だが、奈々美の追及の矛先はそこではなかった。


「ちょっと零。お母さん、今の会話聞き捨てならないわね。『銀髪の可愛いお姉さん』? あなた、お母さんに内緒で、いつの間に彼女なんて作ってたの!」


「だから彼女じゃないって! ただの、姉ちゃんたちの訓練校の上官で、たまに家に……」


 必死に弁解しようとする零の言葉を遮るように、澪と玲奈がここぞとばかりに燃料を投下し始めた。


「えー? でもお母さん、お兄ちゃんがこの前風邪引いて一人で寝込んでた時、わざわざ家まで看病に来てくれたんだよ?」


「うんうん! しかもお兄ちゃん、その人に自分のダボダボのエプロン貸して、二人でキッチンで無限ピーマン作っててさー! もう完全に『新婚さん』だったんだから!」


「看病!? 手料理!? 男物のエプロン!!??」


 三つの強烈なキーワードに、奈々美の目の色が変わった。

 料理が苦手な可愛い銀髪のお姉さんに、料理上手な自慢の息子が手取り足取り料理を教える。そして、風邪の時には手厚く看病をしてくれる。

 恋愛ドラマのようなシチュエーションに、母親の妄想力は一瞬にして限界突破を果たした。


「まあっ! まあっ! 青春じゃないの! 私立の高校で補習ばっかり受けてるから心配してたけど、ちゃんと青春してるじゃない!」 


「息子よ……お前、やることはしっかりやってるんだな。父さん、同じ男として誇らしいぞ」


「誇るな! 違うから! あの人はちょっと料理の常識がアレで、スポーツドリンクでお粥を作ろうとするから、俺が命の危険を感じてキッチンから物理的に排除しただけで……!」


「ああもう、照れちゃって可愛いわね! ねえ零、今度ぜひそのお姉さんを家に連れてきなさい! お母さんが腕によりをかけて、最高のおもてなしをしてあげるから!」 


「よし、父さんも奮発して一番いいすき焼きの肉を買ってこよう。いや、お寿司の出前がいいか?」


「だーかーら! 話を聞けぇぇぇ!!」


 温泉街の中心で、真っ赤な顔をして叫ぶ零の声が虚しく響き渡る。

 日本支部が誇るトップエース・羽衣緋雪が、完全に『息子の可愛い彼女』として両親にインプットされてしまった絶望に苛まれた。


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