第六十一話
「……逃げ足の速い人ですね」
ネギの入ったエコバッグを抱え、文字通り脱兎のごとく夕暮れの街へと消えていく三神零の背中を、新実由鶴はタブレットを片手に興味深げに見送っていた。
「由鶴ー! 終わったわよー!」
そこへ、戦闘と事後処理を終えたトップエースたちが、上空から次々と舞い降りてきた。
『氷』の羽衣緋雪、『炎』の新堂鈴乃、『土』の只野真奈、そして遊撃と周囲の警戒に当たっていた『風』の弓飛鳥の四人である。
「お疲れ様です、皆さん。事後処理班の手配は済んでいます」
「あーあ、本当に疲れた! というか、ゴーストのあいつ、いつもいつも美味しいところだけ持っていって! あんなデタラメな魔力量を見せつけられたら、こっちが自信なくすわよ!」
鈴乃が双剣をしまいながら、忌々しげに髪を掻き乱す。
「あれだけ厄介だったAランクの変異種を、力技の魔力注入で破裂させるなんて……。相変わらず、次元が違うわね」
飛鳥も、呆れたように肩をすくめた。
「あれ? そういえば由鶴!」
真奈がキョロキョロと周囲を見回し、ツインテールを揺らしながら由鶴に詰め寄った。
「れーお兄ちゃんは!? ここで一緒に待っててって言ったのに、いないよ!」
「ああ、三神さんなら先ほど帰られましたよ。『急いで豚の生姜焼きを作らなければならない』と、それはもう必死な形相で」
由鶴が淡々と事実を告げると、真奈の横にいた緋雪が、ピタッと固まった。
「えっ……零くん、帰っちゃったの……?」
「はい」
「そんな……せっかく、こんな近くにいたのに……」
先ほどまで「氷の女王」として戦場を凍てつかせていた緋雪の表情が、一瞬にして捨てられた子犬のようにしょんぼりとしたものに変わる。
「顔だけでも見たかった……お買い物してたなら、荷物持ちしてあげて、あわよくばそのまま三神家にお呼ばれして生姜焼きをご馳走になるチャンスだったのに……っ」
「職務中の大佐が一般人の荷物持ちなんてしてどうするのよ!?」
本気で悔しがる緋雪に、鈴乃が頭を抱えながらツッコミを入れた。
「っていうか、なんで三神がこんな最前線の近くにいたのよ? ここ、由鶴の『認識阻害フィールド』の内側でしょ? 一般人は本能的に避けて通るはずじゃない」
飛鳥が、もっともな疑問を口にする。
その問いに、由鶴はクイッと眼鏡を押し上げ、レンズの奥で怪しい光を瞬かせた。
「ええ。それが非常に興味深いのです」
「興味深い?」
「彼は、ただの一般人でありながら、私の結界を無意識に(本人は歩きスマホをしていて気づかなかったと言い張っていましたが)突破しました。さらに、あれほど間近でAランク変異種のプレッシャーを浴びていたにも関わらず、彼のバイタルサインには一切の『恐怖』や『乱れ』が見られなかったのです」
由鶴は、タブレットに保存された零のバイタルデータをモニターに表示し、皆に見せた。
「魔法少女は女性にしか発現しません。これは絶対の真理です。……しかし、過去の文献には、男性でありながら極めて高い『魔力耐性』を持ち、結界や魔力のプレッシャーを自然に弾き返す特異体質の者が存在したという記録があります。……三神零という少年は、ほぼ間違いなくそのレアケースに該当します」
理知的な情報班トップの顔に、研究者特有の『狂気』に近い探求心が浮かび上がっていた。
「考えてもみてください。現在、協会は『対魔力ジャマー』への対抗策を急務としています。もし、彼のその『魔力に干渉されない細胞』を徹底的に解析できれば……ジャマーを無効化する新装備や、全く新しい防壁技術のブレイクスルーに繋がるかもしれないのです」
由鶴の熱弁に、飛鳥と鈴乃は「なるほど」と納得の表情を浮かべた。
「つまり、三神は魔法は使えなくても、防衛技術の要になるかもしれないってことね」
「あのボケッとした顔して、意外とすごい体質持ってたのね、あいつ……」
「はい。したがって、三神零という一般人は、我々情報班にとって最重要の『研究対象』となりました。次回接触した際は、有無を言わさず協会の地下研究室に連行し、細胞レベルで隅々まで調べ上げます」
由鶴が冷徹に宣言した、その時だった。
「——ちょっと待ちなさい、由鶴」
地を這うような、絶対零度の声。
見れば、緋雪がスッと目を細め、日本刀の柄に手をかけて由鶴を睨みつけていた。
「零くんをモルモットにするですって? ただでさえ彼は平穏な日常を愛するデリケートな男の子なのよ。そんな無理やり研究室に連れ込むような真似、私が絶対に許さないわ」
「……これは協会の未来、ひいては人類の防衛力向上のための正当な研究です。羽衣大佐の個人的な感情で邪魔をされる筋合いは……」
「研究が必要なのは理解したわ。なら、せめて彼が安心できるように……採血から細胞採取、全身の隅々までの触診に至るまで、全てこの私が『直接』行うわ!!」
「いやアンタの職権濫用と欲望が混ざってるだけじゃない!!」
息を巻く緋雪に、鈴乃がすかさず激しいツッコミを入れる。
「ずーるーいー! 私もれーお兄ちゃんの検査するー! 聴診器とか当てたいー!」
「真奈まで便乗しないの! ていうか由鶴も、一般人を巻き込むのは最終手段にしなさいよね!」
わちゃわちゃと騒ぎ始める日本最強のエース部隊。
ゴーストの正体捜索網からは見事に外れた三神零であったが、「魔力耐性を持つレアな特異体質」という、由鶴の完璧な(だが根本的に間違っている)論理によって、別ベクトルからの包囲網が形成されつつあった。
同じ頃。
自宅のキッチンで豚肉を焼いていた零は、本日何度目か分からない特大の悪寒を感じて身を震わせていた。
「どうしたのお兄ちゃん? 」
「わからないけど、なんか、寒気が……」
フライパンを振りながら、零は平穏とは程遠い自身の未来を予感し、深く、深くため息をつくのだった。




