第五十八話
日本魔法少女協会・本部。
地下深くに位置する情報班のメインコントロールルームは、重苦しい疲労感と、ピリピリとした焦燥感に包まれていた。
「……ダメです。該当者、ゼロ。防犯カメラの映像解析、過去十年分の戸籍データ、および全国の未登録魔力保持者のリストを全てクロスチェックしましたが、完全に空振りです」
目の下に濃い隈を作った情報班トップ・新実由鶴少佐が、血走った目でキーボードから手を離した。
その背後で腕を組んでいた姫嶋結衣総司令と、湯野麗香副会長は、忌々しげに舌打ちをした。
「どういうことなの、由鶴。これだけ頻繁に現れているのに、足取りすら掴めないなんて」
「物理的にあり得ないのです、総司令。ですが、事実としてデータが存在しません」
由鶴は、メインモニターにゴーストの姿と、その横に並べられた無数の分析グラフを投影した。
「先日の『百鬼夜行』をはじめ、ショッピングモールでのテロ、関東近郊での魔獣討伐……。ゴーストの出現ポイントと、事態発生からの『到着時間』を計算すれば、彼女の活動拠点は間違いなく**【東京都内、あるいはその近郊】**に絞られます」
由鶴がモニターの地図上の東京を赤くハイライトした。
「さらに、交戦時の映像から骨格、声紋、身体的プロポーションを逆算し、バイオメトリクス解析を行いました。……結果、対象の年齢は**【15歳から25歳までの女性】**です」
「東京在住、15歳〜25歳の女性。……ここまでは完璧なプロファイリングじゃない。それなら、ある程度の候補者は絞れるはずでしょう?」
湯野副会長の問いに、由鶴は深くため息を吐いた。
「はい。その条件に合致し、なおかつ『魔法少女としての適性(魔力因子)』を持つ民間人は、都内に約一万二千人存在しました。……しかし、その全員の『現在地のアリバイ』と『魔力波形』を極秘裏に照合した結果、ゴーストと一致する人間は一人も存在しなかったのです」
「……は?」
「文字通りのゼロです。かすりもしません。まるで、ゴーストという人間が、この世の戸籍や物理法則から完全に切り離された『本物の幽霊』であるかのように……!」
由鶴は、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
情報班のトップとしてのプライドが、ズタズタに引き裂かれている。
いくら強大な魔力を持っていようと、普段は人間として生活しているはずなのだ。学校に通い、あるいは働き、食事をして眠る。現代の監視社会で、これほど派手に動き回る人間が一切の痕跡を残さないなど、不可能だった。
「戸籍がない? まさか……どこかの地下研究施設で作られたホムンクルスとでも言うの?」
「分かりません。しかし、このままでは日本の守護者たる協会が、一人の未登録魔法少女に振り回されるだけの無能な組織になってしまいます……!」
進展の全くない状況に、結衣も由鶴も頭を抱えて歯噛みするしかなかった。
彼女たちの捜索網は、現代の科学と魔法を融合させた『完璧』なものだった。
——だが、その『完璧さ』こそが、最大の罠であった。
魔法少女は、女性にしか発現しない。
ゴーストの姿は、完璧な美少女である。
ゆえに、対象は**『女性』**である。
この、魔法少女の世界においてあまりにも当たり前すぎる『大前提』。
ペンダントの力によって骨格から声帯まで、細胞レベルで『絶世の美少女』へと完全に再構築されていることなど、由鶴たちに想像できるはずもなかったのだ。
「——へっくしゅっ!!」
その頃。東京都内の都立高校、二年の教室。
三神零は、数学の授業中に特大のクシャミを放ち、クラスメイトたちの視線を一身に集めていた。
「三神、風邪か? 保健室行くか?」
「い、いえ、大丈夫です! なんか最近、変な悪寒が止まらなくて……」
教師に頭を下げながら、零は鼻をすすった。
(……なんか、日本の国家権力レベルの巨大な組織から、ものすごい執念で探されてるような気がする……)
特S級のポテンシャルゆえか、零のシックスセンスは協会からの『本気の捜索の気配』を肌で感じ取っていた。
昼休み。
零が購買のパンをかじっていると、親友の狭間稔がスマホを見せながら興奮気味に話しかけてきた。
「おい三神! ネットの裏掲示板の噂、見たか!? なんか今、魔法少女協会が総力を挙げて『ゴースト』の正体を捜索してるらしいぞ!」
「……ブフォッ!?」
零は思わず、飲んでいたコーヒー牛乳を盛大に吹き出した。
「き、汚ねえな! 何すんだよ!」
「げっほ、ごほっ! す、すまん! ……そ、捜索って、マジで!?」
「ああ。なんでも、ゴーストの出現範囲から『東京都在住』ってところまではバレてるらしい。で、15歳から25歳の若い『女性』に絞って、徹底的に身辺調査してるんだとさ。オタクのネットワーク舐めんなよ」
稔が得意げに語るその情報を聞いて。
零の顔面は一瞬にして蒼白になり——そして、数秒後には、スッと安堵の表情へと変わった。
(……なんだ。びっくりさせやがって)
零は、ほっと胸を撫で下ろした。
(東京在住、15〜25歳までは合ってる。……でも、『女性』を探してるなら、俺には絶対に辿り着けないじゃないか!)
そう。三神零は、戸籍上も生物学的にも、正真正銘の『男子』高校生である。
協会がどれだけ最新鋭のAIや魔力探知を使って『女性』のデータベースを洗おうと、最初からフィルターで完全に弾かれているのだ。
しかも、由鶴の魔力探知ですら「魔力ゼロの一般人」にしか見えないという極限の隠蔽スキルを持っている。
(ふふふ……はーっはっはっは! 勝った! 俺の平和な日常は完全に守られたぞ!!)
零は内心で小躍りしながら、残りのパンを美味しく平らげた。
「なんだよ三神、ニヤニヤして気持ち悪いな。ゴースト様がお前の理想のタイプだったとでも言うのか?」
「いや? ただ、協会の連中も大変だなぁって思っただけだよ。きっと、どれだけ探しても見つからなくて、今頃涙目になってるんだろうなーって」
零は、のんきに笑った。
日本支部のトップやエリート情報班が、今まさに髪をかきむしって胃薬を大量消費していることなど知る由もない。
「しかし、ゴースト様は一体どこで普段生活してるんだろうな……。まさか、お前みたいなどこにでもいる平凡な一般人の隣で、しれっと息を潜めてたりしてな! ははは!」
「ははは! まさかぁ。そんな漫画みたいなこと、あるわけないだろ!」
冗談を言い合って笑い転げる男二人。
性別の壁と、完璧な魔力隠蔽。
世界最高の情報網と頭脳を持つ魔法少女協会が、灯台下暗しどころか『根本的な検索条件のミス』によって永遠に迷宮を彷徨い続けることになった瞬間であった。




