第五十六話
各地の残敵掃討を警察に任せ、ゴースト(三神零)は最後に残った主戦場——新宿エリアへと『闇』の瞬間移動で跳躍した。
しかし、空間のトンネルを抜けて新宿のビル屋上に降り立った瞬間、ゴーストは小さく眉をひそめた。
「……っ。なるほど、これは厄介ね」
呼吸が苦しい。いや、肉体的な息苦しさではない。全身の血管を巡る『魔力』の循環が、まるで泥沼の中にいるようにひどく重く、鈍くなっていたのだ。
新宿一帯に展開されている『対魔力ジャマー』。その無指向性の妨害電波は、特S級の魔力を持つゴーストにすら、はっきりとした減衰を感じさせるほど強力なものだった。
(変身が解けるほどじゃないが、魔法の威力は普段の半分以下に落ちるな。この状態で大勢のヤクザとキメラ魔獣を相手に立ち回るのは、ちょっと骨が折れるぞ……)
ゴーストは眼下の新宿駅前広場を見下ろした。
そこでは、日本支部のトップエースたちが、冬月組の重火器とキメラ魔獣の群れを相手に防衛線を張っていた。
『真奈! 右翼の装甲車を止めて! 鈴乃は私に合わせて牽制を!』
『分かってるわよ! あーもう、魔力がうまく練れないからイライラするッ!』
緋雪の指示が飛び交い、エースたちが必死に戦線をつないでいる。
ジャマーの影響下にあるため本来の超火力は出せていないが、それでも彼女たちは流石は日本が誇るトップエースだった。不利な状況下でも絶妙な連携を取り、見事に敵の侵攻を食い止めている。
(……うん。戦闘は羽衣さんたちに任せておいて問題なさそうだ)
冷静に戦局を分析し、零は方針を固めた。
自分がわざわざデバフ状態で乱戦に飛び込む必要はない。この盤面における最善手は、『元凶であるジャマーを探し出し、破壊すること』。
ジャマーさえ無力化してエースたちの魔力を解放してやれば、あとは彼女たちが冬月組を一方的に蹂躙してくれるはずだ。
「……さっさと壊して、家に帰ろう」
ゴーストはビルからビルへと飛び移りながら、ジャマーの発生源——不自然に魔力が歪んでいるポイントを探り始めた。
新宿駅の地下道へと続く、人気のない搬入口。
そこから強烈な妨害波長が出ていることを突き止めたゴーストが、音もなく着地した、その時だった。
「——そこまでよ! 動かないで!」
「怪しい奴! アラクネの増援なら、ここから先へは通さないわよ!」
突如、暗がりから鋭い『炎の刃』と『風の弾丸』が飛来した。
ゴーストは最小限の動きでそれを躱し、暗闇の奥へと冷ややかな視線を向けた。
そこから飛び出してきたのは——見覚えがありすぎる、二人の少女。
(うおぉぉぉいッ!? なんで姉ちゃんと玲奈がこんな最前線にいるんだよ!?)
零の内心は、特大のパニックを引き起こしていた。
立っていたのは、後方支援と避難誘導に駆り出されていたはずの姉・澪と妹・玲奈だった。どうやら彼女たちも、独自に不審な電波の発生源を追ってここまで辿り着いてしまったらしい。
「あなた、見ない顔ね! それにその圧倒的なプレッシャー……まさか、アラクネの幹部!?」
澪が炎の剣を構え、玲奈がその後ろで風の魔力を練り上げる。姉妹は、得体の知れない黒と白の魔法少女を前に、極度の緊張で顔を強張らせていた。
(マズいマズいマズい! いくらジャマーで俺の魔力が減衰してるとはいえ、特S級の圧を姉ちゃんたちに向けたらトラウマになっちゃう!)
零は慌てて魔力の放出を極限まで絞り込み、ゆっくりと両手を上げて敵意がないことを示した。
「……落ち着きなさい。私はあなたたちの敵じゃないわ。それに、アラクネのような三下と一緒にされるのは心外ね」
鈴を転がすような、冷徹だがどこか心地よい美声。
そして、薄暗い照明に照らされて浮かび上がった、漆黒のドレスと黒の長髪。
「え……?」
「お姉ちゃん、あの服……それに、あの声……!」
玲奈がハッとして目を丸くし、澪も持っていた炎の剣を思わず下ろした。
魔法少女の訓練生であり、エース部隊を目標にしている彼女たちが、現在裏社会を震え上がらせている『都市伝説』を知らないはずがなかった。
「う、嘘……本物の……『ゴースト』……!?」
「きゃああああっ! すごいすごいすごい! お姉ちゃん、ゴースト様だよ! 本物だよ!」
先ほどまでの警戒心はどこへやら。
姉妹は一瞬にして**熱烈なファン(オタク)**の顔へと豹変し、目をキラキラと輝かせ始めた。
「すっごく綺麗……! あ、あの、私、三神澪って言います! いつもニュースで見てます!」
「私、妹の玲奈です! あ、あの、後でサインとかもらえませんか!?」
(お前ら、今は戦場だぞ!? 緊張感持てよ!!)
弟であり兄でもある零の切実なツッコミを喉の奥に飲み込み、ゴーストはあえて冷たい態度を崩さずにため息をついた。
「……サインはしないわ。それより、あなたたちもあの厄介な機械を壊しに来たんでしょう?」
「あ、はいっ! この奥の搬入用エレベーター前に、黒いアンテナみたいな機械が設置されてるのを見つけたんです!」
「でも、自動迎撃用のガトリング砲と、冬月組の男たちが数人見張ってて……手が出せなかったんです」
澪と玲奈の報告に、ゴーストは小さく頷いた。
「なら、好都合ね。あなたたち、少し手伝いなさい」
「「えっ!?」」
「私が正面から突っ込んで、護衛とガトリング砲の注意を引く。その隙に、あなたたちの魔法で一気にあの機械を破壊して。……やれるわね?」
特S級の亡霊からの直々の共闘要請。
澪と玲奈は顔を見合わせ、そして最高に嬉しそうな笑顔で「はいっ!!」と元気よく返事をした。
(……よし。俺がジャマーを直接壊すより、姉ちゃんたちに壊させた方が、後で協会の査定で二人の評価が上がるはずだ。家族として、ここは見せ場を作ってやらないとな)
どこまでも家族思いな計算を巡らせながら、ゴーストは「行くわよ」と短く告げ、地下道の奥へと飛び出した。
「な、なんだ貴様——ゴースト!?」
「迎撃システム作動! 撃て、撃ち殺せ!」
搬入用エレベーター前に陣取っていた冬月組の構成員たちがパニックに陥り、自動ガトリング砲と共に猛烈な弾幕を張り巡らせる。
だが、ゴーストはジャマーの影響下にあっても、圧倒的な身体能力と『闇』の結界で銃弾の雨をスルスルと潜り抜けていく。
「——遅いわ」
ゴーストが指先を振るうと、極低温の『氷』が床を這い、男たちの足元とガトリング砲の砲身を一瞬にして凍りつかせた。
「ひぃっ!?」
「銃が、凍って……!」
敵の注意が完全にゴーストへ向いた、その完璧な隙。
「今よ!」
ゴーストの合図と共に、物陰から澪と玲奈が飛び出した。
姉の澪が巨大な『炎』の球を放ち、妹の玲奈が『風』の魔法でそれに猛烈な推進力と酸素を送り込む。
「「いっけええええええッ!!」」
姉妹の息の合った合体魔法——『烈風火球』が、一直線にジャマーへと直撃した。
——ズガァァァァァァンッ!!!
激しい爆発音と共に、黒いアンテナ型の対魔力ジャマーが粉々に吹き飛んだ。
直後。新宿一帯を覆っていた泥沼のような重苦しい空気が、嘘のようにパッと霧散する。
「……ふぅ。これでスッキリしたわね」
魔力の循環が完全に戻ったことを確認し、ゴーストは小さく息を吐いた。
『——ジャマーの反応、消滅しました! 魔力出力、100%まで回復!』
通信機越しに、広場で戦う由鶴の歓喜の声が聞こえてくる。
『よくやったわ情報班! さあ、お遊びは終わりよ! 鬱憤晴らしさせてもらうわよ、ヤクザども!』
緋雪の怒りに満ちた声と共に、地上から特大の吹雪と爆発の音が轟き始めた。もはや冬月組の全滅は時間の問題だった。
「や、やったぁ! 私たち、役に立てましたか!?」
「ゴースト様! 今の私たちの連携、どうでした!?」
興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってくる姉妹。
ゴーストは、彼女たちの無邪気な笑顔を見て、内心でホッと安堵の笑みを浮かべた。
「ええ。見事な連携だったわ。あなたたちのおかげで助かった……よく頑張ったわね」
ゴーストが、思わずいつもの家での癖で、身内の無事を心底喜ぶような、ひどく温かくて優しい声音で褒め称えた。
「へっ……?」
「あ……」
その、特S級の冷徹な亡霊らしからぬ、あまりにも親しげで包み込むような眼差しと言葉に。
澪と玲奈は一瞬きょとんとして、不思議そうにゴーストの顔を見つめた。
(やべっ!油断した!)
零は慌てて表情を引き締めると、足元に『闇』を展開した。
「そ、それじゃあ、私はこれで。あなたたちは早く安全な場所へ戻りなさい。……気をつけてね」
少しだけ早口になった美声を残し、ゴーストは闇の中へと逃げるように沈み込んでいった。
「……行っちゃった。かっこよかったね、お姉ちゃん」
「うん……。でも、なんか不思議」
姉の澪は、ゴーストが消えた空間をじっと見つめた。




