第五十五話
市民体育館の男子トイレ。
その薄暗い個室の中でペンダントが眩い光を放った直後、特S級の亡霊『ゴースト』は足元に展開した『闇』の中へと沈み込み、一瞬にして体育館の屋上へと跳躍した。
「……さてと。どっから片付けてやろうかしら」
屋上の縁に立ち、ゴースト(三神零)は黒煙が立ち上る都心の方角を見据えた。
遥か遠くの空が、魔法の光で不気味に瞬いている。
(シェルターのテレビで見た限り、新宿にいる新堂中佐たちは『対魔力ジャマー』とかいう機械で魔力を封じられて苦戦していた。なら、まずは新宿に急行してジャマーを壊すのが定石、なんだけど……)
ゴーストは、目を閉じて特S級の魔力探知を広げた。
新宿、渋谷、池袋、その他関東の数カ所。
点在する戦場から立ち上る魔力の波形を分析し、零は瞬時に敵の『配置の矛盾』に気がついた。
(……なるほど。あのジャマー、味方だけを対象から外すような器用な真似はできないんだな。『無指向性』で、周囲一帯の魔力を問答無用で減衰させる仕組みだ)
だからこそ、冬月組は新宿の『ジャマー展開エリア』にはアラクネの魔法少女をほとんど配置せず、重火器で武装した極道たちと、純粋な物理的筋力で暴れる一部のキメラ魔獣だけを集中させていたのだ。
逆に言えば——渋谷や池袋など、アラクネの魔法少女たちが派手に魔法を撃ちまくって暴れているエリアには、絶対にジャマーが存在しないということになる。
「なら、話は簡単ね」
ゴーストは、冷たい紫の瞳を細めた。
(魔法が使えない一般市民や警察にとって、魔法少女やキメラは手も足も出ない化け物だ。でも……相手がただのアサルトライフルを持ったヤクザなら話は別。魔法のバリアさえない普通の人間が相手なら、自衛隊や警察の特殊部隊(SAT)の銃火器で十分に対処できる)
つまり、ゴーストがやるべき最優先事項は一つ。
各地で暴れ回っている『アラクネの魔法少女およびキメラ魔法少女』だけをピンポイントで狩り尽くし、戦場のパワーバランスを物理兵器の次元まで引き下げることだ。
「まずは……渋谷ね」
ゴーストが足元に『闇』のオーラを展開すると、彼女の姿は音もなく虚空へと溶け込んだ。
同時刻、渋谷駅前スクランブル交差点。
そこは、アラクネのキメラ魔法少女たちによって火の海と化していた。
「アハハハハッ! 燃えろ、燃えろォ!」
「オラァ! 警察ども、撃ってみろや!」
理性を失い、魔力暴走薬で限界突破したキメラ魔法少女たちが、狂ったように炎や風の魔法を乱れ撃つ。
周囲を封鎖している警視庁の機動隊やSATの隊員たちが防盾の陰から一斉射撃を行うが、魔法少女の展開する強固な魔力障壁の前に、鉛の弾丸は無力に弾き返されるばかりだった。
『くそっ! ライフル弾が全く通用しない!』
『エース部隊の到着はまだか!?』
『ダメです、各方面の戦力が分断されていて応援は来ません!』
防衛線が突破されるのは時間の問題だった。
冬月組の構成員たちが、「魔法少女様の通り道だ、どきな!」と下品な笑い声を上げながらロケットランチャーを構えた、その時。
——ズオォォォォッ!!
突如、交差点の中心に『漆黒の闇』が渦巻き、異常なほどの冷気が周囲の空気を凍てつかせた。
「な、なんだ!?」
冬月組の男たちと、狂戦士と化していたキメラ魔法少女たちの動きがピタリと止まる。
闇の中から姿を現したのは、黒と白の魔装を纏った一人の少女。
「……五月蝿いわね。休日のスクランブル交差点で騒ぐなんて、田舎者丸出しよ」
ゴーストだった。
彼女は周囲を取り囲む五人のキメラ魔法少女を一瞥すると、右手でパチン、と軽快な指鳴らし(スナップ)をした。
瞬間、ゴーストの足元から放射状に『絶対零度の氷』が這い進み、五人のキメラ魔法少女の足を、魔力障壁ごと完全に凍結させた。
「ガ、アァァァッ!?」
「動け、ねぇッ……!?」
「——氷結」
冷徹な宣告。
抵抗する間もなく、キメラ魔法少女たちは首から下を分厚い氷塊に閉じ込められ、一瞬にして美しい氷のオブジェへと成り果てた。命を奪わないギリギリのラインでの、完璧な無力化である。
「ば、化け物……! 撃て、撃ち殺せェ!!」
パニックに陥った冬月組の男たちが、アサルトライフルをゴーストに向けて一斉に乱射する。
しかし、ゴーストは一歩も動かない。
——カチャ、カチャチャチャッ!
ゴーストの背後に展開された『闇』の結界が、飛来する数百発の弾丸をまるで泥沼のように飲み込み、虚無へと変換していく。
銃弾の雨をものともせず、ゴーストは冷ややかな視線を極道たちに向けた。
「魔法少女がいないなら、あなたたちのお相手は私じゃないわ。……そっちの警察の方々に任せるわね」
ゴーストがそう言い残し、再び『闇』の中へと姿を消した直後。
『た、対象の魔法少女部隊が無力化されました!』
『よし! 相手はただの武装テロリストだ、SAT、突入しろ!』
バリアを持つ厄介な魔法少女たちが全員氷漬けになったことで、警察の特殊部隊が一気に息を吹き返した。
銃火器同士の制圧戦となれば、訓練された国家の治安部隊がその辺のヤクザに後れを取るはずがない。渋谷の戦局は、ゴーストのわずか数秒の介入によって完全に逆転した。
「次は、池袋ね」
渋谷から池袋のサンシャイン通りへと『闇』の瞬間移動でワープしたゴーストは、そこでも猛威を振るっていたアラクネの部隊を、今度は『炎』の極大魔法で魔装ごと焼き払い(もちろん命に別状はない程度の絶妙な手加減で)、瞬く間に戦闘不能に追いやった。
六本木、上野、品川。
対魔力ジャマーが存在しないエリアで暴れていたアラクネの主戦力たちは、神出鬼没の亡霊によって、文字通り『一瞬』のうちに蹂躙されていった。
シェルターの大型モニターの前で、避難していた市民たちがどよめき始める。
『そ、速報です! 渋谷、池袋をはじめとする各地のテロ部隊ですが……現在、正体不明の魔法少女の介入により、敵の魔法戦力のみが次々と無力化されている模様です!』
『残された武装テロリストたちは、現在、自衛隊および警察の特殊部隊によって順次制圧・逮捕されています!』
ヘリからの空撮映像には、各地で氷漬けや黒焦げにされたキメラ魔法少女たちと、それを取り囲んでヤクザを制圧する機動隊の姿が映し出されていた。
「す、すげえ……! ゴースト様だ! ゴースト様が助けに来てくれたんだ!」
稔がモニターの前で歓喜の叫びを上げる。
市民たちからも「おおおっ!」と安堵と希望の歓声が沸き起こった。
(よし。これで各地の残敵掃討は警察と自衛隊で十分だ。……さて)
誰もいない路地裏で、ゴースト(零)は空を見上げた。
(残るは、ジャマーでエース部隊を足止めしている新宿エリアだけ。……待ってろよ、俺の貴重な休日をぶち壊した落とし前、きっちり払わせてやるからな)
ジャマーの死角を突き、敵の主力である魔法少女たちを最優先で刈り取った亡霊は、いよいよエース部隊が苦戦を強いられている『本丸』へと、怒りの矛先を向けるのであった。




