第五十四話
週末の土曜日。
三神家のリビングは、カーテンを閉め切って薄暗くされ、大画面テレビからは華やかな魔法少女アニメの主題歌がガンガンに流れていた。
『みんなの笑顔は、私が守るっ! マジカル・ピュアリー・スプラッシュ!』
「うおおおおッ! ピュアちゃんマジ天使ィィィッ!!」
テレビの前でペンライトを振ってオタ芸を披露しているのは、零の親友である狭間稔だ。
その背後のソファで、三神零は死んだ魚のような目をしながら、ポテトチップスを機械的に口に運んでいた。
「……稔。お前、これ先週も見てなかったか?」
「バカ野郎、これはブルーレイボックス発売記念の全話一挙放送だぞ! 放送時の作画修正が入ってるんだ、一瞬たりとも目が離せるか!」
鼻息を荒くする親友を前に、零は深いため息を吐いた。
前回のショッピングモールでのテロ事件(と地獄のエース部隊お茶会)から数日。平穏を愛する零は「休日は絶対に家から出ない」という誓いを立て、稔を家に招いてアニメ鑑賞会という名のインドア生活を満喫するはずだった。
姉の澪と妹の玲奈は、「今日は友達と買い物に行ってくる!」と言って朝から外出しており、家にはオタクと一般人(仮)の男二人だけ。
平和だ。実に平和な休日である。
(これでいいんだ。アメリカのCIAとか、裏社会のシンジケートとか、そんな物騒な連中とは無縁の、ただの高校生らしい休日……。胃も全然痛くないぞ!)
零が温かい緑茶をすすり、この至福のダラダラタイムを噛み締めていた、その時だった。
——ピロロンッ! ピロロンッ!
突如、テレビのアニメ音声が遮断され、心臓を鷲掴みにするような不快な緊急アラートが鳴り響いた。
同時に、零と稔のスマートフォンからも、けたたましい警告音が鳴り始める。
「な、なんだ!? 地震か!?」
稔がペンライトを取り落として慌てる中、テレビの画面が強制的に報道特番のスタジオへと切り替わった。
『——緊急特別番組をお伝えします。現在、東京都内の複数箇所……新宿、渋谷、池袋において、同時多発的な大規模テロ活動が発生しています! 付近の住民は、直ちに身の安全を確保し、指定の地下避難所へと向かってください!』
緊迫したアナウンサーの声と共に、上空のヘリから撮影されたライブ映像が映し出される。
それを見た瞬間、零の顔から一気に血の気が引いた。
「嘘だろ……」
画面の中の新宿駅前広場。
そこは、文字通り『地獄』と化していた。
黒い装甲車から次々と現れるのは、重武装の銃火器を構えたスーツ姿の男たち——『冬月組』の構成員と、毒々しい魔装を纏った『アラクネ』の強力な魔法少女たち。
そして何より恐ろしいのは、アラクネの主戦力である無数の『キメラ魔法少女』だった。
魔獣の因子を人間に埋め込むという禁忌の手術を施され、理性を失い『狂戦士』と化した彼女たちが、無差別に魔法を乱れ撃ち、ビルや道路を破壊していく。逃げ惑う市民に向かって、冬月組の大勢の男たちがアサルトライフルなどの重火器で容赦のない掃射と援護を行っていた。
「あ、あいつら……前回のショッピングモールで暴れてた連中じゃないか! しかも、あんなヤクザみたいな奴らまで……!」
「冬月組だ」
愕然とする稔の横で、零は無意識に低く呟いていた。
ニュース映像の隅に、背中に『三日月と雪輪』の紋章を背負った男たちの姿が映っていたからだ。以前、ゴーストとして密輸現場を潰した極道組織。冬月組には魔法少女が少数しかいない代わりに、圧倒的な数の重武装した男たちがいる。
アラクネの魔法少女と冬月組の銃火器。裏社会の二大組織が手を組み、白昼堂々の首都制圧——いや、ただの無差別テロ『百鬼夜行』を開始したのだ。
ブーッ、ブーッ!
その時、零のスマホが震えた。姉の澪からの着信だ。
「姉ちゃん! 大丈夫か!?」
『零! ニュース見た!? あんた、今どこ!?』
「家にいる! 稔と一緒だ。そっちは!?」
『こっちは玲奈と一緒に、協会本部に向かってる! 非常事態宣言が出されて、私たち訓練生にも後方支援の動員がかかったの! 首都圏のエース部隊も全員出撃してるわ!』
電話の奥から、けたたましいサイレンの音と、玲奈の「お兄ちゃん、絶対に外に出ちゃダメだからね!」という声が聞こえる。
『いい、零! とにかくあんたはただの一般人なんだから、絶対にヒーローごっこなんてしようとしないでね! 稔くんと一緒に、一番近くの地下シェルターに逃げなさい!』
「分かってる! 姉ちゃんたちも、絶対に無理するなよ!」
通話が切れる。
零はギリッと奥歯を噛み締めた。
ただの訓練生である姉妹まで動員されるということは、協会にとっても完全に不意を突かれた大規模な奇襲だということだ。
「おい、三神! 俺たちの街の避難サイレンも鳴り始めたぞ!」
窓の外から、ウゥゥゥゥ……という不気味なサイレンの音が響き渡る。
零たちの住む街は都心から少し離れているが、冬月組とアラクネの部隊は、関東全域に散開して暴れ回っているらしい。
「行くぞ稔! とりあえず、近くの市民体育館の地下シェルターだ!」
「お、おう! ピュアちゃんのブルーレイボックスだけは持ってく!」
「置いてけ! 命より重いのかそれは!」
零は稔の首根っこを掴み、財布とスマホだけをポケットに突っ込んで家を飛び出した。
外に出ると、住宅街はすでにパニック状態に陥っていた。
サイレンの音と、遠くから聞こえる爆発音。空には黒煙が立ち上っている。
キャリーバッグを引きずる人、泣き叫ぶ子供を抱き抱える母親。誰もが顔を青ざめさせ、避難所へと向かって走っている。
(マジかよ……たった数日で、どうしてここまで大ごとになってるんだ……!)
零は稔を先導しながら、周囲の状況を鋭く観察した。
変身前は一切の魔法が使えない零だが、特S級のポテンシャルを秘めた彼の感覚は、数キロ先で激突する魔力の余波を肌で感じ取っていた。エース部隊と、シンジケートの魔法少女たちが交戦を開始したのだ。
「走れ稔! 立ち止まるな!」
「はぁっ、はぁっ……! お前、なんでそんなに体力あるんだよ!」
ぜぇぜぇと息を切らす稔の背中を押し、零は最速のペースで市民体育館へと急いだ。
道中、転んで逃げ遅れそうになったお年寄りを(毎朝の妹たちとの地獄の特訓で培われた一般人離れした体力で)抱え起こしたりしながら、どうにか避難所の地下シェルターの入り口へと滑り込む。
「はぁ……はぁ……っ、着いた……」
分厚い防爆扉の向こう側、薄暗い地下シェルターには、すでに数百人の市民が身を寄せ合って震えていた。
壁に設置された大型モニターには、引き続き都心の絶望的な状況が映し出されている。
『——速報です! 新宿エリアにて防衛にあたっていた日本支部の精鋭部隊ですが、敵の未知の兵器による妨害を受け、苦戦を強いられている模様です!』
「なに……?」
零は、モニターの前に歩み寄り、画面を食い入るように見つめた。
映像には、炎の双剣を振るう新堂鈴乃と、風の槍を構える弓飛鳥の姿があった。
だが、彼女たちの動きは明らかに鈍い。その周囲には、不気味な黒いアンテナのような機械がいくつも突き刺さっており、そこから発せられる波動が、エースたちの魔法を著しく弱体化させているのだ。
『くそっ! 魔力が……練れない!』
テレビの音声が、鈴乃の苦痛に満ちた声を拾う。
それを取り囲むように、理性を失ったキメラ魔法少女たちが無数の魔法弾を雨あられと降らせ、さらには冬月組の男たちがロケットランチャーや機関銃でエースたちに猛烈な十字砲火を浴びせかけていた。
「ウソだろ……あの新堂中佐や弓大尉が、押されてる……!?」
周囲のオタク……いや、稔が絶望的な声を上げる。
市民たちからも「終わりだ」「魔法少女が負けたら、俺たちはどうなるんだ」と悲痛な声が上がり始めた。
(……最近ニュースに出てた対魔力ジャマーか。裏社会の連中、とんでもないモンを用意してやがったな)
零は、モニターを見つめながら、静かに、だが確実に己の中に湧き上がる『怒り』を感じていた。
自分の平和な休日をぶち壊されたことへの怒り。
一般市民を恐怖に陥れるテロリストへの怒り。
そして——あのお茶会で胃を痛めさせられたとはいえ、己を(一般人として)友人扱いしてくれた不器用なエースたちが、傷つけられていることへの怒り。
「……稔」
「え?」
「俺、ちょっとトイレ行ってくる。お腹痛くなってきた」
零は、不自然なほど真顔で稔に告げた。
「はぁ!? お前、こんな時にトイレかよ! 神経図太すぎだろ!」
「しょうがないだろ、生理現象なんだから。絶対にここから動くなよ」
零は、呆れる稔をシェルターの隅に残し、人混みを縫ってトイレの方向へと歩き出した。
そして、誰もいない男子トイレの個室に滑り込み、重い扉の鍵をカチャリと閉める。
極道の罠、シンジケートの野望、対魔力ジャマー。
連中がどれほどの準備をしていようと、関係ない。自分は変身さえすれば、『氷』『炎』『闇』の三属性を極大レベルで操ることができるのだから。
「……ちょっと、お灸を据えてやらないとダメみたいだな」
零がペンダントを強く握りしめると、狭い個室の中に、眩い光と漆黒のオーラが同時に溢れ出した。
日本全土を揺るがす裏社会の『百鬼夜行』。
その宴を完膚なきまでにぶち壊すため、特S級の亡霊が、今、圧倒的な怒りと共に目を覚まそうとしていた。




