第五十二話
「……頭が痛いわね。今月に入ってから、これで何件目かしら?」
日本魔法少女協会・本部。総司令官の執務室にて、姫嶋結衣大将はデスクに積み上げられた報告書の山を前に、深々とため息をついた。
「未登録の違法魔法少女による強盗が十ニ件、キメラ魔法少女の暴走による破壊行為が八件。……魔法少女絡みの犯罪発生率は、先月比で実に三百パーセント増です」
副会長の湯野麗香中将が、顔に疲労の色を滲ませながらタブレット端末のデータを読み上げる。
「裏社会の連中が、あからさまに活発化しています。先日のショッピングモールでのテロ事件もそうですが、未登録のならず者たちに『魔力暴走薬』や『キメラ化技術』が安価で出回っている形跡があります。……おかげで、対応に追われるエース部隊の疲労もピークに達しつつあります」
「緋雪たちも、連日のパトロールと鎮圧任務で休む暇もないわね。……この異常な犯罪率の増加、ただの偶然じゃないわ」
結衣は、鋭い視線で報告書の一枚を抜き出した。
そこには、検挙された犯罪魔法少女たちから共通して発見された二つの紋章——『黒い蜘蛛』と『三日月と雪輪』のマークが記されていた。
「国際的犯罪シンジケート『アラクネ』。そして、日本の裏社会を古くから牛耳る極道組織『冬月組』……。本来ならシマを争うはずのこの二大組織が、裏で手を結んだとみるべきね」
結衣は、冷めた紅茶を口に含みながら目を細めた。
「彼らの狙いは、協会の戦力を分散させ、極東の裏社会の覇権を完全に握ること。……そして何より、彼らにとって最大の『イレギュラー』を排除するための布石でしょうね」
「イレギュラー……ゴースト、ですか」
「ええ。裏社会の連中にとって、協会以上に厄介なのは『ルール無用で、圧倒的な力で自分たちの計画を粉砕してくる正体不明の亡霊』よ。……嵐の前の静けさね。早急に、冬月組とアラクネの拠点を洗い出しなさい」
日本の守護者としての顔を持つトップが、静かに反撃の指示を下した。
同じ頃。
東京の地下深くに作られた、一般の地図には存在しない豪奢な日本家屋——『冬月組』の秘密地下拠点。
その広大な大広間では、和装に身を包んだ冬月組の若頭・冬月宗介と、漆黒のドレスを纏ったアラクネの極東支部長・ヴァネッサが、紫煙を燻らせながら向かい合っていた。
「……ショッピングモールでの一件は、見事な大失態でしたね、ヴァネッサ殿。我々が提供した最新のキメラ化手術を施した部隊が、魔力結晶を奪うどころか、たった一人の未登録魔法少女に瞬殺されるとは」
冬月が、冷ややかな笑みを浮かべて扇子を閉じた。
「嫌味を言うな、冬月。相手が悪すぎたんだ」
ヴァネッサは、忌々しげに葉巻を灰皿に押し付けた。
「……『ゴースト』。あいつの戦闘力は、我々の想定を遥かに超えている。ショッピングモールでの映像を解析したが、あいつの放つ氷と炎の魔力出力は、協会のトップエースを凌駕していた。おまけに、空間を歪めて瞬時に移動する謎の『闇』の力まで持っている」
「ええ、存じております。我が冬月組のシマでも、密輸の取引現場をゴーストに襲撃され、腕利きのキメラ魔法少女が何人も再起不能にされました。……協会よりも容赦がない」
冬月の目が、蛇のように細められた。
現在、彼らが意図的に『魔法少女犯罪率』を上げているのは、協会の目を末端の犯罪者に向けさせ、エース部隊を疲弊させるためである。
しかし、その目論見の最大の障害となっているのが、神出鬼没に現れては自分たちの部下を文字通り『蹂躙』していくゴーストの存在だった。
「このままでは、我々『冬月組』と『アラクネ』が計画している、関東全域の魔力結晶強奪作戦——【百鬼夜行】に支障をきたします。……ゴーストを、どうにかして排除、あるいは捕獲しなければなりません」
「同感だ。あいつのあの異常な魔力……もし生け捕りにして我々のキメラ技術の『素体』にできれば、世界を支配する軍隊が作れるだろうからな」
ヴァネッサは、強欲に目をギラつかせた。
「すでに対策は打ってある。アメリカの闇市場から、特注の『対魔力ジャマー』を仕入れた。対象の魔力波形を逆位相で相殺し、一時的に魔法を使えなくする兵器だ。……ゴーストの魔力がいかに強大でも、物理的な結界で押さえつければ無力化できるはずだ」
「ほう。それに合わせて、我々冬月組は『特級』のキメラ魔獣と、理性を完全に焼き切って魔力出力を限界突破させた『狂戦士』の魔法少女を複数用意しましょう」
冬月とヴァネッサは、悪魔のような笑みを交わした。
「まずは、ゴーストを引きずり出すための『餌』が必要ですね。……あいつは、一般人が巻き込まれることを極端に嫌う傾向にあるようだ」
「ああ。協会が手出しできないような状況を作り、市民を徹底的に追い詰める。そうすれば、あの亡霊は必ず姿を現す」
超大国とはまた違う、裏社会のドス黒い悪意。
彼らはゴーストの強さを認めつつも、「所詮は一人の少女」「数と対策さえ用意すれば狩れる」という、権力者特有の慢心を抱いていた。
相手が、『絶対にキレさせてはいけない、平穏を愛する一般男子高校生』であることも知らずに。
「……せいぜい震えて待つことだな、ゴースト。我々シンジケートの真の恐ろしさを、その身に刻んでやる」
ヴァネッサの冷酷な呟きが、地下の広間に不気味に響き渡った。
その日の夜。三神家のリビング。
「——へっくしゅっ!!」
テレビでバラエティ番組を見ていた三神零は、本日二度目の派手なクシャミをした。
「お兄ちゃん、また風邪? バカは風邪ひかないって言うのにねー」
「うるさいな玲奈。……なんか最近、変な寒気がするんだよ。誰かにものすごい悪意を向けられてるっていうか……」
零は鼻をすすりながら、コタツに深く潜り込んだ。
「気のせいでしょ。それよりお兄ちゃん、最近ニュースで魔法少女の犯罪が増えてるってやってたわよ。夜遅くに出歩いちゃダメだからね? もし不良魔法少女に絡まれたら、一般人のあんたなんて一捻りなんだから」
「分かってるって、姉ちゃん。俺は平和主義者だから、トラブルからは全力で逃げる主義だよ」
零は、みかんの皮を剥きながら呑気に答えた。
彼自身の与り知らぬところで、協会は頭を抱え、裏社会の二大組織は彼を標的にした絶望的な包囲網(対ゴースト用トラップ)を構築し始めている。
だが、当の特S級の亡霊は「明日のお弁当のおかず、何にしようかな」と、あくまで一般人としての平和な悩みに思考を巡らせていた。
迫り来る裏社会の『百鬼夜行』。
その悪意が己の日常と家族を脅かす時、ゴーストがどのような『容赦のない蹂躙』を見せるのか——今はまだ、誰も知る由もなかった。




