第四十八話
針のむしろのようなカフェタイムをどうにか生き延びた三神零は、五人のエースたちと共に、ショッピングモールの広大な吹き抜け空間を歩いていた。
「れーお兄ちゃん、次はあっちの服屋さん見に行こー!」
「零さん、あちらの雑貨屋さんに可愛いマグカップがあるんです。一緒に見ませんか?」
「お、おう……そうだな……」
相変わらず両腕を真奈と緋雪にホールドされたまま、ゾンビのような足取りで歩く零。
その後ろを、腕を組んで睨みつける鈴乃と飛鳥、そして周囲を小型ドローンで警戒しつつ歩く由鶴が続いている。
(……早く帰りたい。早く自分の部屋のベッドにダイブして、毛布にくるまりたい……)
精神力が限界を迎えつつあった零が、一刻も早くこの地獄のお出かけが終わることを神に祈っていた、その時だった。
——ズドォォォォォンッ!!!
突如、ショッピングモールの1階中央広場から、鼓膜を破るような凄まじい爆発音が轟いた。
「キャアアアアアッ!?」
「な、なんだ!? テロか!?」
床が激しく揺れ、ガラスのショーウィンドウが次々と粉砕される。
休日の買い物客でごった返していたモール内は、一瞬にして阿鼻叫喚のパニックに陥った。
「ッ! 零さん、伏せて!」
緋雪が即座に遊びモードから『氷の女王』の顔へと切り替わり、零を庇うようにして床に押し倒した。
同時に、後方にいた鈴乃や飛鳥たちも瞬時に臨戦態勢をとり、爆発の中心地である1階広場を見下ろす。
「由鶴! 状況は!」
「……1階中央広場に、高エネルギー反応。魔獣ではありません……魔法少女です。それも、違法魔力波形」
由鶴がデバイスに目を走らせる。
吹き抜けの下、もうもうと立ち込める黒煙の中から姿を現したのは、禍々しい装飾の施された黒い魔装に身を包んだ、三人の女たちだった。
『ハハハハハッ! さあ愚民ども、大人しく床に這いつくばりな! 逃げようとした奴から、この業火の鞭で消し炭にしてやるよ!』
リーダー格と思われる、毒々しい赤い髪の女が、炎を纏う鞭を振るって床を叩き割った。
その首元には、かつて文化祭で零が葬った暗殺者と同じ『黒い蜘蛛のタトゥー』が刻まれている。
(……あのタトゥー。文化祭でキメラ魔法少女を差し向けてきた、裏社会の犯罪組織『アラクネ』の紋章……あいつら、アラクネの一員か!)
零は床に伏せながら、鋭い視線を下階に向けた。
アラクネの女たちは、逃げ遅れた一般客——親子連れやカップルなど、数十人を広場の中央に集め、炎と鉄条網の魔法で巨大な『檻』を作り出していた。
『いいか、我々は裏社会の組織『アラクネ』だ! 今から五分以内に、このモールの地下金庫にある魔力結晶(数億円相当)を全て持ってこい! 魔法少女協会が少しでも動く気配を見せたら、この人質たちの命はないと思え!』
赤い髪の女が、怯えて泣き叫ぶ子供の首元に、炎の鞭の先端を突きつけた。
「……ッ、あの外道どもが!」
鈴乃が激昂し、立ち上がろうとする。だが、由鶴が冷徹な声でそれを制止した。
「待ってください、新堂中佐。ここからでは遠すぎますし、手出しは危険です。我々の能力は、あまりにも『高火力』で『広範囲』すぎる」
由鶴の言葉に、エースたちはハッとして動きを止めた。
氷の女王の猛吹雪、土の大ハンマーによる地割れ、炎の双剣、風の竜巻、そして雷の暴風雨。日本支部トップエースたちの魔法は、巨大な魔獣を殲滅するための「戦略兵器」クラスのものだ。
もしこの屋内、しかも人質が密集している空間で本気で魔法を放てば、敵を倒す前に、人質もろともショッピングモール自体が崩壊してしまう。
「敵のリーダーの炎の鞭は、人質の首に絡みつくように配置されています。我々が動いた瞬間、彼女の意識が切れる前に鞭が発火し、人質の命が奪われる確率……98%」
「くそっ! なら、とにかく下階に降りて接近し、隙を突いて白兵戦で制圧するしかないわね!」
飛鳥が言い放ち、五人のエースたちは即座に突入の意思を固めた。
そして、緋雪が真剣な表情で零を振り返った。
「零さん! 私たちは下の階へ向かいます。あなたは館内の避難指示に従って、他の一般の方たちと一緒に外へ逃げてください! 絶対に、近づいてはダメですよ!」
「わ、わかった! 羽衣さんたちも気をつけて!」
零は、恐怖に震える一般人を完璧に演じながら、逃げ惑う客の群れに混ざって上階の通路へと走り出した。
(……よし! これでエース五人の監視の目が、完全に俺から外れた!)
零は内心でガッツポーズをしながら、周囲の喧騒に紛れて、近くにあった男子トイレへと駆け込んだ。
個室に飛び込み、鍵をかける。ようやく訪れた、誰の目もない絶対的な密室。
(あのままエースたちが突っ込んでも、人質に被害が出る可能性が高い。……ここは、俺がやるしかないな)
零は深く息を吸い込み、ペンダントを握りしめた。
——光が溢れ、骨格が再構築される。数秒後、男子トイレの個室には、漆黒の魔装に身を包んだ特S級の亡霊『ゴースト』が、静かに佇んでいた。
一方、その頃。
1階の広場の物陰に潜伏した五人のエースたちは、ギリッと奥歯を噛み締めていた。
「——おい、そこの子供! 泣き声がうるさいんだよ!」
広場の中央で、赤髪の女が怒声を上げた。
人質の中で泣き叫んでいた小さな女の子に苛立ち、炎の鞭を大きく振り上げたのだ。
「ひっ……!」
「や、やめて! その子は!」
「うるせぇ!」
鞭が、容赦なく子供に向けて振り下ろされる。
「ッ、間に合わない!」
物陰から飛び出そうとした緋雪たちの目に、絶望の色がよぎった。距離が遠すぎる。魔法を放つよりも、駆け寄るよりも早く、鞭が子供を焼き尽くしてしまう——。
誰もが最悪の結末を覚悟した、その刹那。
——カツン。
吹き抜けの空間に、場違いなほど澄んだ『ヒールの足音』が響き渡った。
「……え?」
緋雪たちが目を見開く。
炎の鞭が子供に直撃する、ほんの数センチ手前。
まるで空間そのものがバグを起こしたかのように、赤髪の女の背後の『影』がグニャリと歪み——そこから、ゴーストが音もなく立ち上がったのだ。
トイレの個室から1階の影へと、直接『闇の瞬間移動』を果たしたのである。
「な、なんだお前——」
赤髪の女が振り返るより早く。
ゴーストは、白魚のような美しい指先で、女の首筋にツンと触れた。
「……うるさいわね。静かにしなさい」
絶対零度の声。
直後、ゴーストの指先から極小かつ超高密度の『氷』の魔力が注入され、赤髪の女は悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして美しい氷の彫像へと変わった。
炎の鞭は威力を失い、サラサラと灰になって消え去る。
「リ、リーダー!? てめぇ、何者だ!」
「殺せ! 撃て!」
残る二人のアラクネの魔法少女が、パニックに陥りながらゴーストに向けて無数の魔法弾を放つ。
だが、ゴーストは一歩も動かなかった。
——ズオッ。
彼女の足元から『闇』のオーラが薄く展開され、飛来する魔法弾を次々と飲み込み、虚無へと変換していく。
その圧倒的な力、そして見覚えのある白と黒の魔装。
物陰に潜んでいた五人のエースたちは、息を呑んでその名を呼んだ。
「——ゴースト……!!」
アメリカが血眼になって探し、ロシアの精鋭部隊を一分で全滅させた特S級の亡霊が。
今、白昼堂々、日本のエース部隊五人の目の前に、その姿を現したのだ。
(ふぅ……。避難のドサクサに紛れて変身できたから、俺がゴーストだとは絶対にバレてないはずだ)
氷の彫像の横で冷徹に佇むゴースト——その内面で、三神零はホッと安堵の息を漏らしていた。彼のアリバイは、これ以上ないほど完璧に成立している。
「……あなたたち、ここで何をしているの?」
ゴーストは、残る二人の悪党に向けて、冷ややかな瞳を向けた。
「ひぃっ……!」
「ば、化け物……!」
「一般人の休日のライフを、これ以上引っ掻き回すんじゃないわよ」
ゴーストの美しい声には、アラクネへの怒りというよりも、地獄のお茶会を強制された男子高校生の「八つ当たり」に近い怒気が多分に含まれていた。
彼女が静かに漆黒の大剣を引き抜いた瞬間、ショッピングモールの空気が、特S級のプレッシャーによってビリビリと震え始めた。




