第四十五話
地獄の早朝特訓から数日後の、週末の土曜日。
三神零は、休日の賑わいを見せる都内の大型ショッピングモールの待ち合わせ広場にて、一人で胃を押さえていた。
(……どうして、こうなったんだ……)
事の発端は昨日。零のスマートフォンに入っているメッセージアプリ『Sメッセージ』に届いた、二件の通知だった。
『零さん、今週末はお暇ですか? もしよろしければ、真奈と三人で少し遊びに行きませんか?』
『れーお兄ちゃん! 明日パフェ食べに行こー! 絶対来てね!』
日本支部トップエース二人からの、直球のお誘いである。
断れば「何か怪しい」と勘繰られるかもしれないし、何よりあの文化祭での一件以降、完全に『気のいい一般人の友人』としてロックオンされているため、無下に断ることもできなかった。
「まあ、羽衣さんと真奈ちゃんの二人だけなら、適当に話を合わせてやり過ごせばいいか……」
そう自分を納得させ、指定された待ち合わせ場所へとやってきた零だったが。
彼の視線の先には、予想を遥かに超える『絶望的な光景』が広がっていた。
「あ、れーお兄ちゃん! こっちこっちー!」
私服姿の真奈が、ピョンピョンと跳ねながら大きく手を振っている。
その隣には、清楚な水色のワンピースに身を包み、周囲の通行人が思わず振り返るほどの神々しい美しさを放つ緋雪が、嬉しそうに微笑んでいた。
——問題は、その背後にいる『三人』である。
「お待たせ、真奈ちゃん、羽衣さん。……ええと、そちらの方々は……?」
零が引きつった笑顔で近づくと、緋雪は「ふふっ」と花が咲くような笑みを浮かべ、背後の三人の少女たちを手で示した。
「ごめんなさい、零さん。実は今日、非番の同僚たちと偶然会ってしまって。せっかくなので、零さんに私の『友人』を紹介したいなと思いまして」
緋雪の言葉に、背後の三人は、まるで信じられないもの、いや、UMA(未確認生物)でも見るかのような目で零を凝視していた。
「……嘘でしょ」
最初に口を開いたのは、ショートヘアで活動的なジャケットを着こなす、風属性の大尉・弓飛鳥だった。
彼女は、目を皿のようにして緋雪と零を交互に指差した。
「真奈に男友達ができるのは、まあ百歩譲って分かるわよ。人懐っこいし。……でも、緋雪!? あの『氷の女王』と呼ばれ、言い寄ってくる男をその絶対零度の視線で物理的にも精神的にも凍らせてきた緋雪に、だ、だだだ、男性の友人がいるぅぅ!?」
弓は心底驚愕した様子で、頭を抱えて叫んだ。
彼女の知る羽衣緋雪は、魔獣との戦いに身を捧げ、男になど微塵も興味を示さない孤高の戦士だったはずだ。それが今、どこにでもいそうな(少し顔立ちは整っているが)普通の男子高校生を前に、頬をピンク色に染めて乙女のような顔をしているのである。
「飛鳥、失礼ですよ。零さんは文化祭で私たちを助けてくれた、とても大切な方なんです」
「た、大切な方ァッ!? 緋雪が男にデレた!? 明日は日本に槍の雨でも降るんじゃないの!?」
「ちょっと、飛鳥大尉、声が大きいですってば!」
弓の絶叫に、真奈があわあわとツッコミを入れる。
その横で、一人静かに奇行に走っている者がいた。雷属性の少佐であり、情報班の責任者でもある新実由鶴である。
「…………」
眼鏡をかけた理知的な顔立ちの由鶴は、無言のまま、自分のスマートフォンと零の顔を高速で見比べていた。
「……情報空間に該当データなし。羽衣大佐の交友関係リストに『男性』の登録なし。眼球から入力される視覚情報と、私の脳内論理回路が致命的な矛盾を起こしています。……エラー。エラー。未定義のバグが発生しました」
由鶴の傍らに待機させていた偽装用の小型ドローンから、微弱な電子音が鳴り響いた。
「由鶴ちゃん!? 目がガンギマリになってるよ!」
「……再起動が必要です。……」
由鶴はブツブツと機械的な呟きを漏らしたかと思うと、白目を剥きかけ、彫像のように完全にフリーズしてしまった。
常に冷静沈着な情報班のトップの脳内処理能力を、緋雪の「男友達宣言」はいとも容易くオーバーフローさせたのだ。
「ちょ、ちょっと二人ともしっかりしてよ! 零さんが困ってるじゃない!」
真奈がフリーズした由鶴を揺さぶる中、最後の一人——炎属性の中佐であり、熱血漢の新堂鈴乃が、ふぅ、と深く息を吐き出した。
「……なるほどな」
鈴乃は、悟りを開いたような穏やかな顔で、ゆっくりと天を仰いだ。
「ここ最近、ゴーストの行方を追って夜這い……じゃなかった、夜間パトロールを連日連夜こなしていたからな。私の脳も、ついに限界を迎えたらしい」
「新堂中佐?」
「ははは。緋雪が男を連れてきて、嬉しそうに笑っているだなんて……そんな現実があるはずがない。これは過労が見せている幻覚だ。よし、私は帰って焼肉を食べて寝る。おやすみ、幻覚たち」
鈴乃は完全に現実逃避モードに入り、きびきびとした回れ右をして、そのまま来た道を帰ろうとし始めた。
「待ってください新堂中佐! 逃げないでください! 幻覚じゃありません、現実です!」
真奈が慌てて鈴乃の服の裾を掴んで引き留める。
パニックに陥る弓飛鳥、立ったままシステムダウンしている新実由鶴、現実逃避して帰ろうとする新堂鈴乃。
日本支部が世界に誇る特S級対応のトップエース部隊は、三神零というたった一人の一般人の登場により、完全に統率を失い崩壊していた。
「……あの、羽衣さん。なんか、すごく驚かせてしまったみたいなんですが……」
零は、ヒクヒクと顔を引きつらせながら緋雪に耳打ちした。
「ふふっ、気にしないでください。みんな、ちょっと仕事が忙しくて疲れてるだけですから」
緋雪は全く気にした様子もなく、にっこりと微笑む。
(いや、どう見ても俺の存在が原因だろうが……!)
零の背中を、滝のような冷や汗が流れていた。
無理もない。彼の目の前にいる五人は、全員が日本の魔法少女の最高戦力であり、そして——未登録魔法少女ゴーストを捕縛するために血眼になっている『討伐部隊』の幹部たちなのだ。
もし今、一瞬でも気を抜いて、体内に封じ込めているゴーストの魔力がミリ単位でも漏れ出したら。
フリーズしている彼女たちは即座に戦闘モードへと切り替わり、このショッピングモールは修羅の戦場と化すだろう。
しかも、相手は五人。特S級の力があるとはいえ、魔装を展開せずに不意打ちを受ければ、ただでは済まない。
(やばい。やばいやばいやばい。日本支部のエース部隊全員と休日のお出かけとか、どんな罰ゲームだよ! 針のむしろってレベルじゃないぞ!)
零の胃壁は、特級魔獣の胃酸を浴びたかのようにキリキリと激痛を上げ始めていた。
「よしっ! みんなの自己紹介も済んだ(?)ことだし、早くパフェ食べに行こー!」
空気を一切読まない真奈が、零の右腕にギュッと抱きつく。
その瞬間、弓飛鳥と新堂鈴乃の目が、カッ! と見開かれた。
「お、おい真奈! お前、なんて破廉恥な真似を!」
「抜け駆けはずるいです、真奈。零さんの左腕は私がもらいますね」
緋雪がすかさず零の左腕に抱きつき、そっと身を寄せてくる。
右から土属性のプレッシャー、左から氷属性のプレッシャー。
その光景を見た弓と鈴乃は、ワナワナと震えながら零を指差した。
「ひ、緋雪が自ら腕を組みにいっただとォォォッ!? 貴様、三神零と言ったな! 一体どんな魔法を使って緋雪たちを洗脳したッ!」
「ええい、離れろ一般人! 私たちの大切な緋雪と真奈に気安く触れるな! 燃やすぞ!」
「羽衣大佐ト、接触……一般男性!?……」
「お、俺は何もしてません! っていうか羽衣さんと真奈ちゃん、腕離して!? 同僚の人たちの殺気がヤバいから!」
零は涙目で助けを求めたが、緋雪と真奈は「えへへー」と笑って全く離そうとしない。
一般人として完全に魔力を隠蔽し、気配を消しているがゆえに、他の三人のエースたちからは「なぜかトップエース二人に溺愛されている、得体の知れない生意気な一般男子」として強烈な敵視(嫉妬)を買ってしまっていた。
(……神様。文化祭の時も思いましたけど、俺、何かそんなに悪いことしましたか……?)
未登録の魔法少女ゴーストについてアメリカとロシアがその行方を巡って国家間の陰謀を巡らせている最強の亡霊は今、日本支部の精鋭五名に囲まれ、絶対に魔力を漏らしてはいけない『デスゲーム同然のカフェ巡り』へと強制連行されようとしていた。
「さあ零さん、行きましょう。今日は一日、私たちのエスコート、よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いしまーす!」
緋雪の神々しい笑顔と、真奈の無邪気な声。
そして、背後から突き刺さる三人のエースたちの「少しでも怪しい真似をしたら殺す」という鋭い視線。
三神零の休日は、全く気の休まらない地獄のミッションとして、幕を開けるのであった。




