第四十四話
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
魔法少女協会・アメリカ支部の中枢にある最高機密会議室で、総司令官キャロライン・ミラー大将は、手元のタブレット端末に表示された極秘報告書を前に、完全に言葉を失っていた。
「……冗談でしょう?」
それは、同盟を結んでいるロシア支部からの、屈辱と絶望にまみれた事後報告書だった。
『昨夜、我がロシア支部の特務部隊七名が、日本にて未登録魔法少女ゴーストと交戦。……結果、部隊は全滅。全員が重傷を負い、現在日本の闇病院で緊急治療中。……作戦は完全に失敗に終わった』
キャロラインは、信じられないものを見る目で報告書の詳細に目を通した。
「アナスタシア・ハリコフを含む、七名のエージェント全員が……わずか一分足らずで戦闘不能!? 馬鹿な! 彼女たちは全員が単独で特級魔獣を討伐できる『エース級』の魔法少女よ!? 対特S級のフォーメーションを組んでいたはずでしょう!?」
キャロラインの怒声が、会議室に響き渡る。
部下のアメリカ支部幹部たちは、青ざめた顔で沈黙するしかなかった。
「……報告によれば、ゴーストはロシア部隊の飽和攻撃を『闇』の魔力で完全に無効化し、その後、『氷』と『炎』による神域のカウンターで七人を瞬く間に蹂躙したとのことです。……死者が出なかったのは、単にゴーストが『手加減をして急所を外した』からに過ぎません」
「手加減をした上で、エース級七人を一分で半殺しにしたというの……」
キャロラインは、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
背筋を、冷たい汗が伝う。
ゴーストの戦闘力は、大国のトップたちが想定していた「特S級」という枠組みすら遥かに凌駕していた。
もしアメリカ支部が力ずくで彼女を確保しようとすれば、同じように返り討ちに遭い、部隊を壊滅させられることは火を見るより明らかだ。
「……実力行使での拉致は不可能ね。これ以上、裏社会の真似事をして彼女を刺激するのは危険すぎるわ」
キャロラインは、徹底した合理主義者である。勝てない喧嘩はしない。
しかし、トリプルスペルの秘密を諦めるつもりも毛頭なかった。
「アプローチを変えるわ。政治と外交の時間よ。……日本支部に対して、公式に圧力をかける」
キャロラインは、鋭い瞳で幹部たちを見据えた。
「アメリカは現在、日本支部に最新鋭の魔獣迎撃システムの技術提供を行っている。それをカードにしなさい。『日本支部は未登録魔法少女ゴーストを公式な対談の場に引きずり出せ。さもなくば、一切の技術提供を打ち切る』とね。……国家ぐるみの圧力なら、日本の姫嶋大将も無視はできないはずよ」
数時間後。
日本の魔法少女協会・本部。日本支部総司令官、姫嶋結衣の執務室。
「……というわけで、アメリカ支部から正式な外交ルートを通じて、かなり強い口調での要求が届いています」
副会長の湯野麗香中将が、顔をしかめながら書類をデスクに置いた。
「アメリカ支部は、ゴーストとの対談をセッティングしろと言ってきています。もし応じなければ、技術提供や合同訓練の破棄も辞さない、という露骨な脅しです」
「ふふっ。ロシアが力押しで失敗したから、今度は大国特有の政治圧力ってわけね。キャロラインもなりふり構っていられないようね」
結衣は優雅に紅茶のカップを傾け、楽しそうにくすくすと笑った。
「それで、総司令。どう回答しますか? 確かにゴーストは我が国の守護者と言える存在ですが、アメリカとの関係悪化も避けたいところです。……一度、エース部隊を使って彼女に接触を試み、対談の席についてもらうよう交渉してみますか?」
「却下よ」
結衣は、即座に首を横に振った。
「彼女は、協会という『枠』に囚われることを良しとしていない。そんな彼女を、我々の都合で無理やりアメリカとの政治の場に引きずり出そうとすれば……ゴーストの日本支部への心証は最悪になるわ」
結衣の瞳に、日本のトップとしての鋭い光が宿る。
「それに、何よりの問題は……我々自身が、ゴーストの居場所や正体を『全く掴めていない』ということよ。呼び出そうにも、連絡先すらないんだから」
そう、これが最大のネックであった。
日本支部もゴーストの行方を追ってはいるが、彼女の手がかりはゼロ。エース部隊の緋雪や真奈に至っては、文化祭でゴースト(のコスプレをした三神零)にべったりと張り付いてSメッセージを交換しておきながら、彼の正体には微塵も気づいていないのだから。
「では、どう返答を?」
「簡単なことよ。しらばっくれればいいの」
結衣は、意地悪な笑みを浮かべて指示を出した。
「『ゴーストという名の魔法少女は、我が日本支部には存在しない』。……『巷で噂されている映像はフェイクであり、そのような人物は協会に一切所属していないため、対談の要求には応じかねる』。この一点張りで突き返しなさい」
「……存在しない、ですか。かなり強引ですね」
「ええ。アメリカが何を言ってこようと、のらりくらりと躱し続けるわよ。日本の宝を、そう簡単に他国に渡すわけにはいかないもの」
結衣の狸親父(女狐)とも言える強かな外交戦術により、日本支部からの公式回答は、即座にアメリカ支部へと送り返された。
「……『そのような人物は存在しない』だと!?」
アメリカ支部、最高機密会議室。
日本からのゼロ回答を受け取ったキャロラインは、バンッ! とホログラムテーブルを強く叩いた。
「ふざけるな! 文化祭での映像も、ロシア部隊が全滅した事実もあるというのに、存在しないで押し通す気!? 姫嶋結衣……あの女狐、完全にゴーストを日本の独占戦力として『隠匿』するつもりね!」
キャロラインの苛立ちは頂点に達していた。
——実際には、日本支部は本当にゴーストの居場所を知らないため呼べないだけなのだが、アメリカ側から見れば「日本が国家ぐるみでゴーストを囲い込み、情報を隠蔽している」という最悪の深読みに繋がっていたのだ。
「力押しも通じない。政治圧力も通じない。……ならば、やり方は一つしかないわ」
キャロラインは、氷のような瞳で幹部たちを見据えた。
「日本支部の内部から、情報を引きずり出す。……日本のエース部隊、特に羽衣緋雪と只野真奈。彼女たちは確実にゴーストと何らかの『接触』を持っているはずよ。CIAの特殊魔法戦術部隊から選りすぐりのエージェントを、即座に日本へ送りなさい」
「日本支部への潜入ですか?」
「いいえ。『合同訓練』と『日米の親善任務』という大義名分を用意して、堂々とエース部隊に接近させるのよ。そして、彼女たちの口から直接、ゴーストの情報を引き出すわ」
世界最高の諜報機関が、いよいよ日本のトップエースたちへとその魔の手を伸ばそうとしていた。
その頃。
日本の関東郊外、河川敷。
「——へっくしゅっ!!」
朝のランニング中、三神零は派手なクシャミをかました。
「ちょっとお兄ちゃん、風邪? そんなんで立ち止まらないでよ!」
「そうよ、まだ五キロしか走ってないんだからね! 文化祭の筋肉痛なんて、気合で治しなさい!」
前を走る姉の澪と妹の玲奈から、容赦のない檄が飛ぶ。
全身の筋肉が悲鳴を上げている零は、「いや、今絶対に誰かに噂されてた気がする……」と鼻をすすりながら、重い足を引きずって再び走り始めた。
アメリカとロシアという超大国のトップたちが、己の存在を巡って頭を抱え、国際的な政治的駆け引きと陰謀を巡らせていることなど、当然ながら知る由もない。
「……早く、平穏な日常が戻ってこないかな……」
朝靄の空を見上げながら、特S級の未登録魔法少女(男子高校生)は、今日も一般人としての悲痛な叫びを心の中で響かせるのであった。




