第四十三話
放棄された工業地帯を震わせる、ゴーストから放たれた桁外れの魔力。
だが、ロシア支部の特務エージェントであるアナスタシアは、一瞬の驚愕を表情から拭い去ると、冷たい笑みを浮かべた。
「……さすがは特S級。素晴らしい魔力量ね。でも、狩りの基本は『数の暴力』よ」
アナスタシアが小さく指を鳴らした。
瞬間、ゴースト(零)を取り囲むように、廃工場の鉄骨の上や瓦礫の陰から、六つの人影が一斉に姿を現した。
全員がロシア支部特有の分厚い軍服風の魔装を纏い、氷や岩、雷など、それぞれ異なる属性の魔力を限界まで高めている。アナスタシアを含めた計七名。ロシア支部が誇る、最高ランクの特務魔法少女部隊であった。
「我々七人は、対特S級を想定した殲滅フォーメーションの訓練を積んできている。……いかにあなたでも、ロシアの極寒を生き抜いた精鋭七人を同時に相手にして、無傷で済むとは思わないことね」
アナスタシアの氷の銃口が、再びゴーストを捉える。
同時に、周囲の六名が一斉に詠唱を開始し、巨大な氷の槍、岩の檻、高圧電流の檻がゴースト目掛けて殺到した。
完璧なタイミングでの飽和攻撃。Aランク魔獣の群れですら一瞬で塵に帰す、逃げ場のない連携魔法。
並の魔法少女であれば、反応することすらできずに肉片と化していただろう。
しかし。
「……そう。それじゃあ、まとめて相手をしてあげるわ」
怒りで瞳を紫電に染めたゴーストは、一切の回避行動を取らなかった。
彼女が漆黒の大剣を無造作に地面に突き立てた瞬間、彼女の足元から『漆黒の泥』のような闇の魔力が爆発的に広がり、半球状の結界となってゴーストを包み込んだ。
——ドゴォォォォォンッ!!
七人の精鋭による絶望的な飽和攻撃が、闇の結界に直撃する。
廃工場が激しく揺れ、もうもうたる粉塵が舞い上がった。
「やったか……!?」
「いや、待て! 魔力反応が消えていない!」
土煙が晴れた先。
そこには、傷一つ負わず、髪の毛一本すら乱れていないゴーストの姿があった。
彼女の周囲に展開された『闇』は、ロシア部隊の放ったあらゆる属性魔法を跡形もなく飲み込み、完全に無効化していたのだ。
「な、バカな……! 私たちの合体魔法を、相殺するどころか飲み込んだというの……!?」
アナスタシアが驚愕の声を上げた、その時だった。
「……遅いわね」
ゴーストの姿が、ふっと陽炎のようにブレた。
『闇の瞬間移動』。
次の瞬間、彼女は上空に陣取っていた雷属性の隊員の背後に音もなく出現していた。
「しまっ——」
隊員が振り返るより早く。
ゴーストの手のひらから放たれた『氷』の散弾が、隊員の魔力障壁を紙屑のように貫通し、両腕と両足を容赦なく凍結させた。
悲鳴を上げる間もなく、隊員は鉄骨から真っ逆さまに落下し、地面に激突して動かなくなる。
「イリーナ!! くそっ、撃て! 撃ち落とせェッ!」
残る隊員たちがパニックに陥りながら、上空のゴーストに向けて無数の魔法を放つ。
だが、ゴーストはすでにそこにいなかった。
「……次」
冷酷な死神の声が、今度は地上にいた二名の隊員の背後で響いた。
漆黒の大剣が横薙ぎに閃く。刃に纏わせた『炎』の斬撃が、二人の隊員の魔装を易々と引き裂き、その肉体に深く重い熱傷を刻み込んだ。
「ギャアアアアッ!?」
「ぁ、あァァ……ッ!」
鮮血と火の粉が舞い、二人はくずおれるように倒れ伏した。完全に意識を刈り取られている。
戦闘開始から、わずか十数秒。
ロシア支部が誇る精鋭部隊の三名が、手も足も出ずに瞬殺されたのだ。
「化け物……ッ!」
岩の魔装を纏った大柄な隊員が、恐怖を怒りに変えてゴーストに突進する。
だが、ゴーストは冷たい瞳でそれを見据えると、指先を軽く鳴らした。
——パチンッ。
突如として、突進してきた隊員の足元の空間が『闇』へと反転し、底なし沼のように彼女を飲み込んだ。
腰まで闇に沈み込み、もがく隊員。
その顔面に向けて、ゴーストは容赦なく大剣の柄を叩き込んだ。
ゴキッ、という鈍い音と共に、隊員は白目を剥いて気絶し、闇から吐き出されて地面に転がった。
「嘘……でしょ……。これが、特S級……。こんなの、魔法少女の戦いじゃない……災害そのものよ……!」
残された二名の隊員は、完全に戦意を喪失し、後ずさりしていた。
連携も、戦術も、全てが次元の違う力によって粉砕されていく。
「逃がさないわよ」
ゴーストは無慈悲に宣告すると、大剣を天高く掲げた。
巨大な『氷』の塊が頭上に形成され、流星群のように二人の隊員へと降り注ぐ。
悲鳴すら凍りつくほどの猛吹雪が吹き荒れ、二人は全身に重度の凍傷を負い、血を吐きながらその場に崩れ落ちた。
圧倒的。
蹂躙、という言葉すら生ぬるい。
そこに残されたのは、重傷を負って呻き声を上げる六名の精鋭たちと、大剣をだらりと下げて佇む一人の亡霊だけであった。
「…………」
唯一残されたアナスタシアは、ガタガタと震える手でアイス・ピストルを構えたまま、絶望に瞳を揺らしていた。
自分の部下たちが、わずか一分足らずで全員戦闘不能にされた。殺されなかったのは、単にゴーストが『手加減』をしてくれたからに過ぎない。
「……次は、あなたの番よ」
ゴーストが、紫の瞳をアナスタシアに向け、ゆっくりと歩み寄る。
「く、来るなァァァッ!!」
アナスタシアは絶叫と共に、自身の命を削るほどの魔力を込めた極大の『絶対零度』の光線を放った。
触れたものすべてを原子レベルで停止させる、彼女の切り札。
だが。
ゴーストは歩みを止めることなく、ただ左手を前に突き出しただけだった。
「……氷の扱いなら、私の方が上よ」
ゴーストの掌から放たれたのは、アナスタシアの冷気を遥かに凌駕する、神域の吹雪。
絶対零度の光線は、ゴーストの冷気と激突した瞬間、見えない壁に押し返されるように逆流し、アナスタシア自身の身体を襲った。
「ガ、アァァァッ……!?」
自身の魔法を跳ね返され、アナスタシアは魔装を粉砕されながら後方へと吹き飛ばされた。
廃工場のコンクリート壁に激突し、血反吐を吐きながら地面に崩れ落ちる。
全身の骨が悲鳴を上げ、内臓が焼け付くような痛みに襲われる。もはや指一本動かすこともできない、完全なる敗北。
「あ……がっ……」
霞む視界の中。
コツ、コツ、とヒールの音を響かせて、ゴーストが彼女を見下ろす位置に立った。
「日本の平和を、私の日常を、これ以上荒らさないで」
美しくも恐ろしい冷徹な声音。
漆黒の大剣の切っ先が、アナスタシアの首元にピタリと突きつけられた。
「次に私の前に姿を現せば、今度は命がないと思いなさい。……お仲間を連れて、とっととロシアへ帰りなさいな」
ゴーストはそれだけを言い放つと、大剣を空間に収納し、背を向けた。
そして、足元に展開した『闇』の中へと、まるで最初から存在しなかったかのように、静かに沈み込んで消え去った。
静寂が戻った廃墟。
残されたのは、大国の威信を懸けて挑み、そして一人の未登録魔法少女に文字通り『手も足も出ずに蹂躙された』、重傷の七人のエージェントたちだけだった。
「…………化け物……」
アナスタシアは、血に染まった唇から掠れた声を漏らし、そのまま意識の底へと沈んでいった。
数分後。
少し離れた路地裏で変身を解除した三神零は、電柱に寄りかかりながら、はぁ、と大きく息を吐き出した。
(……やっちまった。完全にブチギレて、やりすぎた……!)
特S級の力で七人を半殺しにするなど、目立ちたくない一般人が絶対にやってはいけない行為である。
だが、同時に。
(……でも、ちょっとスッキリした)
文化祭からの溜まりに溜まった鬱憤を、世界最高峰のサンドバッグ(ロシアの精鋭)に向けて全力でぶつけたことで、零の心の中には不思議なほどの爽快感が広がっていた。
「ま、向こうから襲ってきたんだし、正当防衛だよな」
自分にそう言い聞かせながら、零は疲労の残る身体を引きずり、家路へと就く。
ロシア支部の最強部隊を単独で壊滅させたという事実が、世界中の魔法少女機関にどれほどの衝撃と恐怖を与えるか。
そんな国際問題など露知らず、三神零は「明日の朝のランニング、嫌だなぁ」と、あくまで一般人としての悩みを抱えながら夜道を歩いていくのであった。




