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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第四十話

 早朝五時半。

 薄暗い朝靄あさもやが立ち込める、関東郊外の河川敷。

 秋の冷たい風が吹き抜ける中、三神零の掠れた、そして絶望に満ちた荒い息遣いが響き渡っていた。


「ぜぇっ……はぁっ……! ま、待ってくれ……肺が……ちぎれる……!」


 ジャージ姿の零は、膝に手をつき、今にもアスファルトに突っ伏しそうなほど疲弊しきっていた。

 文化祭での六時間連続変身&魔力隠蔽という極限労働から、わずか二日。全身の筋肉痛と声帯の炎症は未だ治りきっておらず、ただ立っているだけでも身体中がギシギシと悲鳴を上げている。


「もー、お兄ちゃん遅い! まだ三キロしか走ってないよ!」


「そうよ零、足が全然上がってないわ! 文化祭でちょっと客引きしたくらいで、どんだけ鈍ってんのよ!」


 十メートルほど先で、姉の澪と妹の玲奈が、息一つ乱さずに呆れた顔で振り返っている。

 訓練校が臨時休校になったことで意気揚々と帰宅したこの姉妹は、協会の基礎訓練でさらに体力を底上げしており、もはやただの『少し運動ができる女子』の枠を完全に逸脱していた。


(……理不尽すぎる。俺は客引きだけじゃなくて、裏で本物の魔獣キメラを処理してたんだぞ……! なんで俺が、一般人としてお前らにしごかれなきゃならないんだ……!)


 心の中で血の涙を流しながら抗議するが、声に出せば「自分がゴーストである」と自白することになる。


「……わりぃ。ちょっと……ベンチで休ませてくれ……」


 零はガラガラの声でそう言うと、遊歩道の脇にある木製のベンチに、ボロ雑巾のように崩れ落ちた。


「しょうがないわね。じゃあ、私たちあの橋までダッシュで往復してくるから、五分間だけ休憩してていいわよ」


「お兄ちゃん、寝ちゃダメだからね!」


 澪と玲奈はそう言い残すと、凄まじい脚力で朝靄の彼方へと走り去っていった。

 一人残された零は、冷たいベンチに仰向けに倒れ込み、白み始めた空を虚ろな目で見つめた。


「……誰か、俺の日常を返してくれ……」 


 掠れた声で呟いた、その時だった。


「——あなたの日常は、あの文化祭の日に、すでに終わりを告げているはずよ」


 背後から、不意に声が降ってきた。

 日本語だが、どこか硬質で、冷気を孕んだような独特のイントネーション。

 零がハッとして身体を起こすと、いつの間にかベンチのすぐ横に、一人の女性が立っていた。

 長身で、スタイルの良さを際立たせる黒のトレンチコート。

 プラチナブロンドの長い髪を後ろで一つに束ね、透き通るような白い肌と、氷のように冷たく鋭いアイスブルーの瞳を持った、息を呑むほどの美貌を持つ外国人女性。


(……誰だ? ただの外国人じゃない。この気配……魔法少女か!?)


 零の特S級の直感が、瞬時に警報を鳴らした。

 彼女からは、羽衣緋雪にも似た『氷』の魔力の残滓を感じる。しかし、緋雪のような澄んだ冷気ではなく、全てを凍てつかせるシベリアの永久凍土のような、容赦のない冷気だ。


「三神、零くんね。……隣、いいかしら?」


 女性は有無を言わさぬ態度で、零の隣に腰を下ろした。


「あ、えっと……誰、ですか?」


 零は努めて「突然美人の外国人に話しかけられて戸惑う男子高校生」を演じながら、ガラガラの声で尋ねた。


「私はアナスタシア・ハリコフ。……魔法少女協会・ロシア支部から派遣された、特務エージェントよ」


 アナスタシアと名乗った女性は、トレンチコートの懐から銀色のIDカードをチラリと見せた。

 ロシア支部。特務エージェント。

 その言葉を聞いた瞬間、零の心臓が早鐘のように打ち始めた。


(ロシア支部のスパイ!? なんでそんなガチの諜報員が、ただの男子高校生に接触してくるんだ!? まさか、正体がバレた……!?)


 背筋に冷や汗が伝う。

 もし正体がバレているなら、今すぐここで本物に変身して彼女を無力化するしかない。

 しかし、アナスタシアの口から紡がれた言葉は、零の予想を完全に裏切るものだった。


「怯えなくていいわ。あなたを害するつもりはないの。……ただ、少しだけ『お話』を聞かせてもらいたくてね。あなたから直接」


 アナスタシアは、アイスブルーの瞳で零の顔をじっと覗き込んだ。


「二日前の文化祭。裏社会のキメラ魔法少女が、中庭を襲撃した事件。……我々ロシア支部の情報網は、あの場にいた生徒たちのSNSや監視カメラの映像を全て解析したわ」


「……」


「キメラ魔法少女が襲い掛かったのは、ゴーストのコスプレをしてプラカードを持っていた男子生徒。つまり、あなたよ」


 アナスタシアの言葉に、零は息を呑む演技をした。


「そ、それが……何か?」


「あなたはその後、突如現れた『本物のゴースト』によってキメラごと裏山へと連れ去られ……数分後、無傷で中庭に戻ってきた。本物のゴーストがキメラを倒してくれた、と言ってね」


 そこまで言うと、アナスタシアはスッと身を乗り出し、零に顔を近づけた。

 彼女の冷たい香水の匂いが、零の鼻腔をくすぐる。


「つまり。あなたはあの事件において、特S級の未登録魔法少女ゴーストと、裏山という密室で『直接接触』を果たし、生還した……世界で唯一の『一般人男性の目撃者』ということになるわ」


「…………あっ」


 零の脳内で、パズルのピースが最悪の形でカチリと組み合わさった。


(……やっちまったァァァァッ!!)


 内心で、三神零は頭を抱えて絶叫した。

 文化祭の日。「三神零のコスプレ」と「本物のゴースト」を完全に別人にするために、自ら仕組んだ『ゴーストが助けに来て入れ替わった』という完璧なアリバイ工作。

 同級生たちを欺くには十分すぎる作戦だった。

 しかし、国家レベルの諜報機関から見ればどうだ。

 『ゴーストが現れて敵を倒し、助けられた一般人』。

 それはすなわち、神出鬼没で一切の手がかりを残さないゴーストの『声』『匂い』『魔力の性質』『去り際の方向』など、あらゆる生の情報を持っている『世界で一番価値のある目撃者(VIP)』に他ならない。


(俺の完璧なアリバイ工作が、逆に超大国のスパイを引き寄せる特大の撒き餌になっちまってたのか……!)


 なんという皮肉。正体を隠すための作戦が、自分自身を世界で最も狙われる情報源に仕立て上げてしまった。


「さあ、三神くん。教えてちょうだい」


 アナスタシアの瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く細められた。

 その体から、微弱だが明確な『殺気』と『魔力』が漏れ出している。普通の一般人なら、恐怖で失禁してもおかしくないプレッシャーだ。


「彼女は、裏山で何と言っていた? キメラを倒した後、どちらの方角へ消えた? 魔力の波形は? 少しでも不自然な挙動はなかった? ……あなたが知っているゴーストの情報を、全て渡しなさい」


 尋問である。

 ここで下手に「何も知らない」と突っぱねれば、最悪の場合、拉致されて自白剤を打たれる可能性すらある。

 零は心臓のバクバクを必死に抑え込みながら、ここ数日で磨き上げられた『大根役者(一般人)の演技』をフル稼働させた。


「ひぃっ……!」


 零はわざとらしくベンチの上で後ずさり、ガタガタと肩を震わせた。

 声帯が炎症を起こしてガラガラになっているのが、恐怖で声がひっくり返っているように聞こえて、非常に都合が良かった。


「わ、分からないです……! 俺、あの時、殺されると思ってパニックになってて……!」


「パニック? でもあなたは、彼女に助けられたのでしょう?」


「は、はい……。裏山に連れて行かれた後、ゴースト様は……あの、すっごく冷たい声で……」


 零は、自分が言ったセリフを思い出しながら、適当に嘘を織り交ぜて証言を紡ぐ。


「『そこのコスプレの少年は、早く隠れていなさい』って……それだけ言って、一瞬で化け物を氷漬けにして、燃やしちゃって……。俺、怖くてずっと目を瞑って、耳を塞いでました……」


「隠れていなさい、と。……それから?」


「気がついたら、もう誰もいなくて……。化け物の死体みたいなのだけがあったから、慌てて逃げてきたんです……! 本当です、信じてください……っ!」


 零は両手で顔を覆い、ブルブルと震える哀れな男子高校生を完璧に演じ切った。

 アナスタシアは、そんな零の様子を氷のような瞳でじっと観察していた。

 魔力探知を全開にして、彼の嘘を見抜こうとしている。

 しかし、当然ながら零の体からは魔力のカケラも感じられないし、彼の喉の不調や筋肉の震えは『本物』である。

 数分間の重苦しい沈黙の後。アナスタシアは、ふぅ、と小さく息を吐いてプレッシャーを収めた。


「……そう。本当に、ただ運良く助けられただけの『哀れな一般人』のようね」


 アナスタシアは、つまらなそうに足を組み替えた。


「あなたの証言が事実なら、ゴーストはわざわざ一般人の命を救うために、リスクを冒して姿を現したことになる。……冷酷な亡霊という噂の割には、ひどく甘い精神構造をしているようね。ロシア支部としては、付け入る隙になり得るわ」 


(……勝手に分析して納得してくれて助かった) 


 零は顔を覆った手の隙間から、ホッと安堵の息を漏らした。

 これで尋問は終わりだ。彼女も「この高校生から得られる情報はもうない」と判断したはずだ。


「協力に感謝するわ、三神くん」


 アナスタシアは立ち上がると、トレンチコートのポケットから一枚の真っ黒な名刺を取り出し、零のジャージの胸ポケットにスッと差し込んだ。


「え?」


「私の直通の連絡先(SメッセージのID)と電話番号よ」


 アナスタシアは、見下ろすように零に微笑みかけた。それは氷の彫刻のように美しく、そして底冷えする笑顔だった。


「あなたはゴーストに命を救われ、そして彼女に『認識』された。……もし今後、あなたの前に再びゴーストが現れるようなことがあれば、どんな些細なことでも私に連絡しなさい。ロシア支部が、あなたに相応の報酬を約束するわ」


「…………はい」


「それじゃあ、良い一日を。……あの子たちにも、よろしくね」


 アナスタシアは、遠くから走ってくる澪と玲奈の姿をチラリと一瞥すると、朝靄の中に溶けるようにして姿を消した。

 彼女の気配が完全に消え去ったのを確認し、零は大きく、長ぁぁぁく息を吐き出した。


「おーい! お兄ちゃん、休憩終わりだよ!」


「もう、まだ座ってんの? さあ、次は腹筋よ!」 


 元気いっぱいに戻ってきた姉妹。

 零は、胸ポケットにねじ込まれた黒い名刺を取り出し、死んだような目で見つめた。


(……日本支部トップエース二人(羽衣、只野)との連絡先交換に続いて、ロシア支部の諜報員とも連絡先を交換してしまった……)


 しかも今回は、完全な『スパイへの情報提供者』としての扱いである。

 自分の正体を隠すためのアリバイ工作が、まさか自分自身を国際的なスパイ網の末端に組み込む結果になるとは。


「ねえお兄ちゃん、なんか顔色悪くない? 幽霊でも見たの?」


「……いや。ロシアの、氷の妖精に絡まれただけだ……」


「はあ? 何寝ぼけたこと言ってんのよ。ほら、腕立て伏せ百回!」


 容赦のない姉と妹のしごきが再開される。

 全身の筋肉が悲鳴を上げ、喉が焼け焦げるように痛んだ。


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