第四話
第四管区、廃ビル群。
かつて再開発から取り残され、無機質なコンクリートの残骸が墓標のように立ち並ぶこの場所は、今夜、未登録の魔法少女を狩るための巨大な「鳥籠」と化していた。
「目標地点への誘引剤散布、完了。第一から第八までの魔力吸収トラップ、スタンバイ状態です」
少し離れた安全圏に停められた大型の移動指揮車両。モニターの光が照らし出す車内で、黄色の腕章をつけた情報班のオペレーターが緊迫した声で報告した。
その背後で、腕を組んでモニターを見下ろしているのは米国支部調査官、シンディー・クラネルだ。
「結構。紫の腕章の結界班は、ゴーストがエリアに入った瞬間にトラップを起動できるよう、手動トリガーから手を離さないように。……今夜こそ、あの得体の知れないネズミを捕獲します」
シンディーのエメラルドグリーンの瞳が、暗視カメラの映像を舐め回すように動く。
現場の廃ビル群には、日本支部のエースたちが配置されていた。羽衣緋雪、只野真奈、新堂鈴乃、弓飛鳥の四名だ。後方支援の新実由鶴は、指揮車両の別室でドローンの管制を行っている。
「……嫌な気配ですね」
廃ビルの屋上で風に銀髪をなびかせながら、緋雪がぽつりと呟いた。
彼女の視線の先、誘引剤が撒かれた広場の中央には、空間の歪みから這い出た異形の魔獣がうごめいていた。複数の魔獣が融合したような、醜悪で巨大なキメラ型の特級魔獣。
『作戦通り、まずはあなたたちが魔獣と交戦しなさい。ゴーストは必ず横から介入してくる。その瞬間、魔獣ごとトラップに掛けるわ』
インカムから聞こえるシンディーの冷酷な指示に、真奈はあからさまな舌打ちをした。
「魔獣ごとって……それ、私たちもトラップの範囲内に入るってことじゃないですか!」
『それが何か? あなたたちの魔力も一時的に吸収されるでしょうけど、命まで取られるわけではないわ。エースならその程度の負荷、耐えなさい』
通信が一方的に切られる。
真奈は巨大なハンマーをドンッと床に突き立て、苛立ちを露わにした。
「……あいつ、マジで許せない。私たちがどうなってもいいって思ってる」
「落ち着いて、真奈。……ゴーストには、情報を伝えてあるわ」
緋雪の静かな声に、真奈はハッとして顔を上げた。
そうだ。彼女たちは、この第四管区に魔力吸収トラップが仕掛けられること、そしてその詳細な配置図を、すでにゴーストへとリークしている。
ゴーストがその情報を信じてくれているなら、こんな見え透いた罠に真正面から突っ込んでくるはずがない。
「戦闘開始よ。来るわ!」
鈴乃の鋭い声と共に、キメラ魔獣が咆哮を上げ、四人に向けて触手のような腕を伸ばしてきた。
飛鳥が槍を構えて高速で駆け抜け、触手を切断する。緋雪と鈴乃が左右から斬り込み、真奈が炎を纏ったハンマーで追撃をかける。
しかし、キメラ魔獣の表皮は異常なほど硬く、再生能力も高かった。エース四人がかりでも、決定打を与えられないままジリジリと消耗戦へ引きずり込まれていく。
(ゴースト……来て。でも、罠には掛からないで!)
緋雪が心の中で祈るように叫んだ、その時だった。
——ぞくり、と。
戦場を支配していた魔獣の瘴気を塗り潰すように、圧倒的で絶対的な「闇」の魔力が膨れ上がった。
『来たわね! 結界班、トラップ起動! 奴の魔力を一滴残らず吸い尽くしなさい!』
指揮車両の中でシンディーが叫ぶ。
だが、紫の腕章をつけたオペレーターが、悲鳴のような声を上げた。
「き、起動できません! 第一、第三、第五トラップの魔力回路が……何者かによって物理的に切断されています!」
「……は?」
シンディーが唖然とモニターを見つめた瞬間、廃ビルの影から「漆黒」が躍り出た。
ゴーストだ。しかし、彼女は広場の中央で暴れる魔獣には目もくれず、廃ビルの壁面や屋上に隠されていた残りの魔力吸収トラップの発生装置へと、闇の瞬間移動で次々と跳躍していく。
「深淵の顎」
冷徹な声と共に、ゴーストの足元から黒い棘が放たれ、強固な装甲に守られていたはずのトラップ発生装置を次々と串刺しにして破壊していく。
『バカな!? なぜトラップの正確な配置を知っているの!? カモフラージュ魔法が施されていたはずよ!』
パニックに陥るシンディーの金切り声が通信回路に響く。
その声をインカム越しに聞きながら、緋雪と真奈は顔を見合わせ、隠しきれない笑みを浮かべた。
(私たちのメッセージ、ちゃんと届いてたんだ……!)
すべてのトラップを破壊し終えたゴーストは、大剣を抜き放ち、ついに広場の中央へと舞い降りた。
紫の瞳が、緋雪たちを一瞥する。その視線には、明確な「感謝」の意が込められているように、緋雪には感じられた。
「下がるぞ。あとはアイツの独壇場だ」
状況を察した鈴乃の合図で、エースたちは一斉に後退する。
ゴーストは大剣に漆黒の闇と、紅蓮の炎を同時に纏わせた。それは、かつてこの街を守った英雄・周防凛音の「氷炎」の太刀筋を模し、零自身の魔力で昇華させた独自の奥義。
「——黒炎の断頭台」
ゴーストが地を蹴った瞬間、空間そのものが黒い炎に焼き尽くされるような錯覚が周囲を包んだ。
キメラ魔獣が防御のために腕を交差させるが、無意味だった。絶対的な切断力と破壊力を持った黒炎の刃は、魔獣の腕ごと巨体を真っ二つに両断し、そのまま灰すら残さずに消滅させた。
瞬く間の決着。
圧倒的な力を前に、エースたちは息を呑んで立ち尽くす。
『っ……! まだよ! トラップが壊されたなら、物理的な捕獲部隊を——!』
シンディーが指揮車両の中で次の命令を出そうとした、その時。
モニターの映像が、突如としてノイズにまみれて暗転した。
「な、何事ですか!?」
シンディーが声を荒らげた直後。
指揮車両の強固な装甲が、まるで紙切れのように「メリッ」と嫌な音を立てて内側へひしゃげた。
そして、厚い防弾ガラスの向こう側——車外の闇の中に、紫がかった漆黒のロングヘアを揺らすゴーストが、音もなく立っていた。
「ヒッ……!?」
シンディーは思わず息を呑み、後ずさった。
結界を無効化する空間移動。まさか、戦場から数キロ離れたこの指揮車両の場所まで、一瞬で跳躍してきたというのか。
防弾ガラス越しに、ゴーストの冷たい紫色の瞳がシンディーを真っ直ぐに見据えている。
大剣はすでに鞘に収められていたが、その存在自体が放つ威圧感は、シンディーに本能的な死の恐怖を刻み込むのに十分だった。
(……これ以上、俺の街と、あいつら(エースたち)を巻き込むな)
ゴーストは言葉を一切発しなかった。ただ、数秒間その無言の圧力を叩きつけた後、再び周囲の影に溶け込むように、ふっと姿を消した。
後に残されたのは、恐怖で腰を抜かし、床にへたり込むシンディー・クラネルと、沈黙するオペレーターたちだけであった。
翌日。魔法少女協会・日本支部。
会長室の空気は、これまでになく清々しいものだった。
「……以上の結果を持ちまして、米国支部主導の『ゴースト捕獲作戦』は、機材の甚大な損害および作戦指揮の致命的な欠陥により、無期限の凍結となります」
副会長の湯野麗香が、手元の資料を読み上げながら冷ややかに告げた。
デスクの前に立つシンディーは、昨夜の恐怖から完全に立ち直れていないのか、顔面を蒼白にしながら唇を震わせていた。
「わ、私のせいではありません! なぜ奴がトラップの配置を把握していたのか……内部に情報を漏らした裏切り者がいるはずです!」
「見苦しいですよ、クラネル調査官」
姫嶋結衣が、静かに、しかし威厳に満ちた声でそれを遮った。
「自分の見通しの甘さを他人のせいにするのはおやめなさい。そもそも、エースたちを危険に晒すようなあなたの作戦には、日本支部として最初から反対していたはずです。……しばらくの間、あなたは前線の指揮から外れ、自室で謹慎していただきます」
「っ……! 覚えていなさい、このまま引き下がる私ではありませんよ……!」
シンディーは捨て台詞を吐き、逃げるように会長室を飛び出していった。
重厚な扉が閉まると、結衣と麗香はふうっと同時に息を吐いた。
「厄介払いはできましたが……情報漏洩があったのは、十中八九事実でしょうね」
「ええ。ですが、追求はしません。誰がやったにせよ、結果として市民とエースたちの命が救われたのですから」
結衣は窓の外、青く澄み渡る都市の空を見つめ、微かに口角を上げた。
「ゴースト……。彼女が本当に私たちの敵なのかどうか、見極める必要がありそうですね」
同じ頃、三神零は学校の昼休みを迎え、屋上のフェンスに寄りかかりながら風に当たっていた。
手には、購買で買ったパンと紙パックのジュース。ごく普通の高校生としての、平和な日常の風景だ。
(とりあえず、あの金髪の調査官からの無茶なちょっかいは、これで少し大人しくなるだろう)
昨夜の戦闘を思い出し、零は小さく息を吐いた。
敵であるはずの自分に情報を流してくれた、緋雪と真奈。彼女たちの不器用な優しさが、孤独だった零の心に新しい変化をもたらし始めている。
「おーい、三神! 次、体育だぞー!」
屋上のドアから顔を出した友人の声に、零は「今行く」と短く返し、パンの残りを口に放り込んだ。
魔法少女の「ゴースト」として孤独に戦う日々。
だが、その戦いはもう、完全に一人きりのものではなくなっていた。
協会の内部に生まれた、小さな「共犯者」たち。彼女たちとの奇妙な繋がりが、これからどんな運命を紡いでいくのか、零自身にもまだ分からない。
ただ一つ確かなのは、今日もまた夜が来れば、彼は街を守るために闇の中へと跳躍するということだけだった。




