第三十八話
学校の裏山。
ゴースト(零)は、氷漬けにしたキメラ魔法少女を地面に叩きつけ、首から下げていたプラカードを邪魔そうにむしり取った。
「グガァァッ……! 貴様ァ……本物、だな……!」
腕の氷を無理やり砕き、再び襲い掛かってこようとする殺し屋。
しかし、オーバーブーストの副作用か、その肉体はすでにボロボロと崩壊を始めていた。
「……海外の裏社会の連中ね。私の首に、いくら懸かってるのかしら」
ゴーストの姿のまま、零は透き通るような冷たい声で呟き、大剣に『炎』の魔力を纏わせた。
漆黒の刃に、紅蓮の炎が渦を巻く。
「ま、いいわ。今日は文化祭の最終日で、私は委員の仕事で忙しいの。……悪いけど、瞬殺させてもらうわよ」
一閃。
特S級の『炎』と『闇』が融合した極大の斬撃。
周囲の木々を一本たりとも傷つけることなく、キメラ魔法少女の肉体に巣食う『魔獣の因子』だけを正確に焼き尽くす。
断末魔の悲鳴と共に暴走状態が強制解除され、裏社会の刺客は白目を剥いて地面に崩れ落ち、完全に気を失った。
「……ふぅ。これでよし、と」
ゴーストは大剣を空間に収め、再び莫大な魔力を極限まで体内に押し込め、1ミリの漏れもないよう完璧に隠蔽した。
そして、零はプラカードを首にかけ直し、裏山の茂みを掻き分けて中庭へと駆け戻った。
「おーい! みんな、大丈夫かー!」
中庭の茂みから、プラカードを提げた絶世の美少女が、その可憐な見た目には全くそぐわない、野太い男子高校生の地声を響かせながら現れる。
不安そうに集まっていた稔たちが、その低い声に弾かれたように一斉に振り返った。
「み、三神ィッ!? お前、無事だったのか!」
「よかったぁ……! 本物のゴースト様に連れ去られたから、どうなっちゃったのかと……!」
泣きそうになりながら駆け寄ってくる稔たちに、零はプラカードを揺らしながら、底抜けに気の抜けた男声で大根芝居を打った。
「お、おう。俺だよ、三神だ。いやー、危ないところだったけど、本物のゴースト様があの化け物を裏山で倒してくれてさ。俺は草むらに隠れてブルブル震えてたんだよ」
「すげえ! やっぱり本物が助けてくれたのか!」
完璧な声の切り替えだった。
『ゴーストの姿で男声を出す=これは三神零である』という認識がクラスメイトに完全に刷り込まれているため、アリバイはあっさりと成立した。
「よし、事件も解決したし、客引き再開するわ」
零は普段通りの気怠げな低い声でクラスメイトに告げると、コホンと一つ咳払いをして喉を整えた。
そして、群がってきた野次馬やマスコミに向けて、声帯のチューニングを完全に切り替える。
「……お騒がせしたわね。二の三の魔法少女カフェ、営業再開よ。私のパンケーキ、食べに来るかしら?」
先ほどまでの野太い声が嘘のような、鈴を転がすような透き通る美声。冷たくも艶やかな『ゴースト本人』の声音に、パニックになっていた一般客たちも「す、すげえ……今の騒動の後でこの切り替え……プロ根性だ……!」と感嘆の声を上げ、再び列を作り始めた。
「そこの君! 君、さっきのゴーストのレイヤーだよね!? 今の声の切り替え、凄すぎる! うちの事務所に——」
「あ、すんません。俺、一般人なんで肖像権あるんで。撮らないでくださーい」
迫るマスコミに対しては、突然ドスの効いた低い男声に戻して一般人アピールをしつつ、特S級のステップで名刺やマイクを神回避。
そして客の前では再び可憐な女声に戻って「いらっしゃい……」とクールに微笑む。
端から見れば、超絶技巧の両声類レイヤーが神がかったファンサと塩対応を使い分けているようにしか見えない、究極のシュール空間がそこには出来上がっていた。
文化祭終了の午後四時まで。
魔法少女の変身自体には、時間制限など存在しない。魔力がある限り、いくらでも変身し続けることは可能だ。
だが——「変身し続けられること」と「疲れないこと」は、全く別の問題であった。
朝の十時から夕方の四時まで、実に『6時間連続』での立ちっぱなしの客引き労働。
他人にバレないように特S級の莫大な魔力を体内に封じ込め続ける『極限の精密コントロール』。
そして何より、客前での「透き通る女声」と、クラスメイト前での「野太い男声」を交互に切り替え続ける喉の酷使と精神的緊張。
それらの肉体的・精神的負担は、変身制限時間がないからこそ、逃げ場なく牙を剥いていた。
(……あ、足が……棒のようだ……。喉も、ガラガラだ……)
午後四時。完売の歓声が上がる教室の隅で、零は壁に寄りかかり、今にも膝から崩れ落ちそうになっていた。
変身は解けない。だが、疲労で意識が遠のきそうだ。
「お疲れ三神! お前のおかげで大成功だぜ!」
稔が肩を叩いてくる。零は意識を繋ぎ止め、ひどく掠れた男声で答えた。
「おう……。ちょっと、更衣室で……休むわ……」
フラフラとした足取りで簡易更衣室に入り、カーテンを閉める。
そして、一人になった瞬間にペンダントを操作し、ようやく『変身を解除』した。
フッと光の粒子が散り、いつもの私服姿に戻った零は、そのまま更衣室の床へと倒れ込んだ。
「ぜぇっ……はぁっ……! し、死ぬ……っ」
魔法の力で誤魔化されていた全身の筋肉痛と疲労感が、変身解除と共に一気に押し寄せてくる。喉は度重なる声帯の切り替えでピリピリと痛み、頭は魔力制御の反動でオーバーヒートを起こしていた。
(……助かった。これで、俺の文化祭は……本当に終わったんだ……)
変身制限がないからこそ味わった、六時間連続の極限労働。
だが、アリバイは守り切った。正体もバレなかった。
床の冷たさを心地よく感じながら、三神零は満足げな笑みを浮かべ、泥のような深い眠りへと落ちていくのであった。




