第三十七話
文化祭『秋桜祭』の最終日。
二年三組の教室の隅で、三神零は深淵の底を覗き込むような暗い目をしながら、ハンガーに吊るされた『それ』を睨みつけていた。
黒のシースルー素材が組み込まれ、フリルが二段増量された、ゴーストのコスプレ衣装・改。
昨日、腹痛を言い訳に自ら引き裂いたにもかかわらず、クラスの衣装班が徹夜で修復してしまった悪魔のドレスである。
「ほら三神くん、早く着替えて! 今日は一日中、その衣装で中庭と廊下を歩き回ってもらうんだから!」
「頼むぜ三神! 昨日の本物の降臨と、エース二人の来店効果で、うちのカフェの前にはすでに開店待ちの行列ができてるんだ! お前の『男声シュール客引き』で、客の心を完全に鷲掴みにしてこい!」
クラスの女子たちと親友の稔が、鼻息を荒くして零の背中を押してくる。
(……地獄だ。俺の骨格と男声で、このフリフリのシースルードレスを着て一日中歩き回るなんて、それこそ本物の公開処刑じゃないか……!)
昨日までは「無言のサンドイッチマン」でやり過ごせたが、今日は「声を出して客引きをしろ」と厳命されている。男の低い声で「私の心は誰にも覗かせない」などと宣えば、面白おかしく動画に撮られ、世界中に拡散されてしまう。
(どうすればいい? 羽衣さんや真奈ちゃんがいれば「エスコートがあるから」と逃げられたが、二人は昨日、任務に戻ってしまった。……待てよ?)
零の脳内に、再び悪魔的な閃きが舞い降りた。
エースの二人は、任務に戻った。つまり、この学校内には現在、魔力波形に敏感な『本職の魔法少女』は一人もいないということだ。
(……前にも考えたが。エースたちがいない今なら、俺が『本物のゴースト』に変身してしまっても、魔力探知でバレることはないんじゃないか?)
本物に変身すれば、骨格は完璧な女性のものとなり、声も透き通るような美しいファルセットになる。さらに、魔力を極限まで体内に抑え込み、「これはコスプレです」という顔をしてプラカードを提げていれば……。
(ただの『ゴーストそっくりな超絶クオリティの一般レイヤー』として扱われる! 男だとバレてシュールな笑いを取ることもないし、羞恥心も最小限で済む!)
まさに逆転の発想。
本物であることを利用して、究極の偽物になりすますのだ。
「……ちょっと、着替えてくる」
零は衣装をひったくると、足早に男子トイレの個室へと駆け込んだ。
周囲に誰もいないことを確認し、胸のペンダントを握りしめる。
「変身」
闇の魔力が溢れ、少年の姿を一瞬にして美しき亡霊へと変貌させる。
紫がかった漆黒のロングヘア。白と黒の魔装。そして、極限まで魔力を抑え込んだ、一般人と変わらない気配。
零は、鏡の前で自分の姿を確認し、フッと自嘲気味に笑った。
「まさか、自分のコスプレをするために本物に変身することになるとはね……」
自分の口から出た、透き通るような美しい女性の声。これなら、喋っても絶対に三神零だとはバレない。
零は首に『2−3 魔法少女カフェ』のプラカードを提げ、個室を出て教室へと戻った。
「お待たせ。……これで、いいかしら?」
教室のドアを開け、ゴーストが少しだけツンとした声で告げた瞬間。
準備をしていた二年三組の生徒全員が、息を呑んで硬直した。
「「「…………え?」」」
数秒の沈黙の後、教室が爆発した。
「み、三神ィィィッ!? お前、それ……どうなってんだ!?」
「すっげえええ! 骨格まで華奢に見えるし、胸も……えっ、パッド何枚入れたの!? ていうか、その声! 裏声の出し方、プロの声優並みじゃない!?」
「昨日よりクオリティ跳ね上がってる! メイクもウィッグの馴染み方も完璧! まるで本物みたい!!」
クラスメイトたちの狂喜乱舞に、ゴースト(零)は内心でガッツポーズを決めた。
(よし、狙い通りだ! 全員が「三神が本気を出して完璧な女装をした」と思い込んでいる!)
「ふん。文化祭を成功させるためよ。……さあ、行くわよ」
零が冷ややかな視線を向けながら(実際はボロを出さないよう必死に澄ましながら)廊下に出ると、その破壊力は絶大だった。
「うおおっ! ゴースト様のレイヤーだ!」
「昨日より圧倒的に美人になってる! 声もめっちゃ可愛い!」
「プラカード提げてるゴースト様、シュールで尊い……!」
一般客やマスコミのカメラが、一斉に零へと向けられる。
しかし、零は「あくまで自分は三神零(男)のコスプレである」という強烈な自己暗示をかけているため、恥ずかしさは昨日よりも薄れていた。
「いらっしゃい……。パンケーキで、あなたの心を極大魔法で満たしてあげるわ」
適当にそれっぽいセリフを囁くだけで、客は「キャァァァッ!」と黄色い歓声を上げてカフェへと吸い込まれていく。
宣伝効果は抜群。集客はたちまち去年の最高記録を塗り替え、零は「優秀な客引き(レイヤー)」として文化祭のスターとなっていた。
(このまま魔力を隠蔽し続ければ、何事もなく最終日を乗り切れる……!)
そう確信した、午前十一時半。
平和な文化祭の空気を、耳を劈くような轟音が引き裂いた。
ドゴォォォォォンッ!!!
「きゃあああっ!?」
「な、なんだ!?」
中庭の特設ステージ付近。
突如として、レンガ造りの花壇が爆発したかのように粉砕され、濛々たる土煙が舞い上がった。
悲鳴を上げて逃げ惑う生徒や一般客たち。
零はプラカードを提げたまま、人波を掻き分けて中庭の様子を覗き込んだ。
「……あれは」
紫の瞳が、土煙の中から現れた『異形』を捉えた。
それは、人間の女性のシルエットを保ちながらも、両腕が禍々しい『魔獣の剛腕(岩のような装甲と鋭い爪)』に変異している、異様な姿の魔法少女だった。
瞳は血走り、口元からは理性を失ったような涎が垂れている。その身体から放たれる魔力は、赤黒く濁り、周囲の空間を歪ませるほどに暴走していた。
「あァァ……。どこだ……ゴーストォ……!」
獣のような唸り声を上げる異形の魔法少女。
それは、世界中の裏社会を牛耳るシンジケートが放った刺客。
魔獣の因子を肉体に埋め込む『キメラ化手術』を施され、命を削って魔力を数倍に跳ね上げる『魔力暴走薬』を注射された、使い捨ての暗殺者であった。
「日本の……ニュースで見たぞォ……。ここに、ゴーストが、来る、と……!」
彼女の濁った瞳が、中庭の端でプラカードを提げて立っている『ゴースト(零)』を捉えた。
「ギヒッ……! いたァァァッ! なんだその、ふざけた格好はァ!」
キメラ魔法少女が、爆発的な脚力で地面を蹴り、一直線に零へと襲い掛かってくる。
その速度と質量は、Aランクの魔法少女すら容易くミンチにするほどの威力を秘めていた。
「ひぃぃっ! み、三神! 逃げろォォォッ!!」
近くにいた稔が、恐怖で腰を抜かしながら絶叫する。
クラスメイトたちも、「なんで三神くん(コスプレイヤー)が狙われてるの!?」とパニックに陥っていた。
(……チッ。昨日の俺のアリバイ工作のニュースを見て、わざわざ学校まで襲撃に来たのか。……最悪のタイミングだ)
零は、迫り来る死の脅威を前にしても、不思議なほど冷静だった。
相手は人間だが、もはや魔獣と変わらない暴走状態。
ここで自分が逃げれば、後ろにいるクラスメイトや一般客が巻き込まれて死ぬ。
だが、ここで特S級の力を使えば、「三神零=本物のゴースト」であることが完全にバレてしまう。
……いや。
零の頭の中で、パズルのピースがカチリと音を立てて組み合わさった。
(今の俺は、『本物のゴーストに変身して魔力を隠蔽している状態』だ)
そして、周囲のクラスメイトは、今の自分を「三神零のコスプレ」だと思い込んでいる。
ならば。
ここで圧倒的な力を見せつけた後、再び姿を消し、後から「ごめん、逃げる途中で気を失ってた」と素の三神零として合流すればいい。
そうすれば、またしても「俺がコスプレしていたところへ、タイミング良く本物のゴーストが現れて入れ替わった(助けてくれた)」という、強引極まりないアリバイが成立するのではないか!?
(……よし、それで行こう。ちょっと無理がある気もするが、生徒たちを見殺しにするよりはマシだ!)
零は、大きく息を吸い込み、隠蔽していた『魔力』のストッパーを、一気に解放した。
——ズドォォォォォォンッ!!
突如として、中庭の空間が凍りつき、圧倒的な重圧が周囲を支配した。
キメラ魔法少女の突進が、見えない壁に激突したかのようにピタリと停止する。
「な、なんだァ……!?」
驚愕する殺し屋の目の前で。
首から『2−3 魔法少女カフェ』のプラカードを提げたゴーストが、背に負っていた漆黒の大剣を、ゆっくりと抜き放った。
段ボール製ではない。本物の、特S級の魔力を帯びた刃。
「……人の学校の文化祭を、荒らさないでくれるかしら」
冷たい、絶対零度の声。
その瞬間、大剣から放たれた『氷』と『闇』の魔力が嵐となって巻き起こり、キメラ魔法少女の剛腕を一瞬にして氷漬けにした。
「ギャアアアアッ!?」
悲鳴を上げる殺し屋を、ゴーストはプラカードを揺らしながら、冷酷な瞳で見下ろした。
「……えっ?」
「み、三神……くん……?」
背後で、稔やクラスメイトたちが、信じられないものを見る目でゴースト(零)を見つめている。
ただのコスプレだと思っていた同級生が、突如として本物の魔法少女のオーラを放ち、謎の化け物を氷漬けにしたのだから、無理もない。
「……ちょっと、出番よ」
ゴーストは背後を振り返ることなく、適当な芝居を打ち始めた。
「私(本物)が引き受けるから。……そこのコスプレの少年は、早く隠れていなさい」
そう言い残すと、ゴーストは『闇の瞬間移動』を発動し、キメラ魔法少女を連れて、生徒たちのいない学校の裏山の方へと瞬時に跳躍して消え去った。
「「「…………え?」」」
残された中庭には、静寂と、氷漬けにされた花壇の残骸だけが残された。
「い、今……本物のゴースト様が……三神を助けて、入れ替わった……?」
「三神、すっごい速さで連れ去られて隠されたぞ……!」
「さ、さすが本物……! コスプレイヤーにも優しい……!」
クラスメイトたちのガバガバな解釈により、零の超絶無理矢理なアリバイ工作は、見事に(?)成立しつつあった。
一方、学校の裏山。
ゴースト(零)は、キメラ魔法少女を地面に叩きつけ、プラカードを邪魔そうにむしり取った。
「グガァァッ……! 貴様ァ……本物、だな……!」
腕の氷を無理やり砕き、再び襲い掛かってこようとする殺し屋。
しかし、オーバーブーストの副作用か、その肉体はすでにボロボロと崩壊を始めていた。
「……海外の裏社会の連中ね。私の首に、いくら懸かってるのかしら」
ゴーストは、大剣に『炎』の魔力を纏わせた。
漆黒の刃に、紅蓮の炎が渦を巻く。
「ま、いいわ。今日は文化祭の最終日で、私は委員の仕事で忙しいの。……悪いけど、瞬殺させてもらうわよ」
特S級の未知の災害指定クラス。
その真の力と怒りが、裏社会からの哀れな刺客に向けられようとしていた。
平和な文化祭を守るため、三神零の孤独な(そして非常にシュールな)戦いが幕を開ける。




