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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百六十二話

 ナンバー2とナンバー7が戻らなくなってから、三日が過ぎていた。郊外の古い工場の地下は、八人いた頃よりもずっと広く、ずっと静かに感じられ、壊れた機械の陰の黒い髪の少女の寝床も、いつの間にか空になっていて、錆びた配管から落ちる水滴の音だけが、やけに大きく響いていた。


 ナンバー7の大きな寝台の上で、肩の上で紫の髪を跳ねさせた小柄なナンバー1は、三日前から膝を抱えたまま、ほとんど動いていなかった。


 大きな瞳は赤く腫れていて、ナンバー4が芝居がかった口調で慰めても、ナンバー6が干し肉を差し出しても、ナンバー1は首を横に振るばかりだった。


「……待ってても、帰ってこない」


 三日目の夜更け、ナンバー1は、ぽつりと呟いて寝台から降りた。


「ナンバー7を、探しに行く。……探して、見つからなかったら、暴れてやる。暴れたら、誰か来るもん。来た人に、聞けばいいんだ」


 外出禁止の命令は、まだ解かれていなかった。だが、ナンバー1は、もう地下の暗がりを振り返りもしなかった。


 両手に細身の双剣を提げ、紫電の尾を引きながら、地上へ続く階段を一気に駆け上がっていった。夜の街の屋根の上を、紫の稲光が一筋、南へ向かって走っていった。


 その稲光を、街外れの電波塔の上で、黒髪を金色に染めた女が、緑の瞳を細めて見上げていた。第五使徒、疾風早苗は、焔の命で汐里を見守るようになってから、街の上を走る魔力の流れにも目を配るようになっていた。


「……あの紫の子。また、一人で出てきた」


 早苗は、指先で弄んでいたナイフを止めると、懐から通信の札を取り出した。今度、報せる相手は、焔ではなかった。


「第七。……聞こえる? あの紫の子が、街に出たわ。前と同じ、雷の子よ」


 ヴィクトリアの屋敷の二階の窓辺で、汐里は、手の中の札から聞こえてくる早苗の声に、しばらく黙って耳を傾けていた。右頬のえくぼが、ゆっくりと消えていった。汐里は、札を握り直すと、早苗ではない誰かに向かって、短く何かを告げた。それから札を膝の上に置くと、汐里は、垣根の向こうの、三神家の明かりの消えた二階の窓を見つめた。それから、錫杖を手に取って、静かに立ち上がった。


 三神家の寝室の窓を、こつん、と小さく叩く音がした。奈々美が目を開けて窓辺に立つと、垣根を越えた庭先に、錫杖を抱えた汐里が、月明かりの中に立っていた。隣で寝ていた五郎も、身体を起こして、妻の背中を見つめていた。奈々美が庭に下りると、汐里は、先輩の顔をまっすぐに見上げた。


「先輩。……あの紫の子が、また一人で、街に出てきたそうです」


「……そう」


「この前、先輩は、膝をつきました。私の魔力が、足りなかったから」


 汐里の声は、少しだけ震えていた。


「だから、今夜は、聞きに来ました。……先輩。全力で、あの子に雪辱を果たしたいと、思いませんか」


 奈々美は、すぐには答えなかった。庭の向こうの夜空を見上げ、商店街の外れで膝をついた夜の、アスファルトの冷たさを思い出していた。


「……汐里ちゃんを削ってまで、戦う気はないわ」


「削りません」


 汐里は、首を横に振った。


「今夜は、私一人じゃありませんから」


 その言葉と同時に、庭の空気が陽炎のように揺らぎ、垣根の脇の暗がりから、二つの人影が歩み出てきた。長い髪を緩くまとめた、白い薄手のセーターにスプリングコートを羽織った美しい女と、白い法衣を纏った線の細い女だった。


「……先輩。透先輩まで」


「私たちの魔力を、汐里を通してあなたに流すわ」


 焔は、腕を組んだまま、奈々美を見下ろした。


「汐里は、道になるだけ。汲み出すのは、私と透の魔力よ。……三人分なら、汐里が削れることはないわ」


「あの子に膝をつかされたままでは、寝覚めが悪いでしょう、奈々美」


 透が、静かに付け加えた。その声には、いつもの哀しみに似た響きではなく、どこか、昔を懐かしむような温度があった。縁側に、パジャマの上に上着を羽織った五郎が出てきて、妻と、その後輩と、二人の見知らぬ女を、黙って見渡した。五郎は、しばらく何も言わなかったが、やがて、深いため息をついて、頭を掻いた。


「……帰りは、俺が迎えに行く。場所だけ、教えていけ」


 奈々美は、夫の顔を見て、小さく笑った。


「ええ。……ちゃんと、帰ってくるわ」


 郊外の、造成工事が途中で止まったままの広い空き地は、街灯も人家もなく、均された土の上に、月明かりだけが白く降り注いでいた。焔が選んだその広場の真ん中で、汐里が錫杖を地面に突き立て、その両脇に、焔と透が立って、それぞれ汐里の肩に手を置いた。


 汐里の身体を通って、炎の熱と、氷の冷たさとが、一つの細い水路のような道に流れ込み、その道の先で、奈々美の胸の奥の、小さな火花に触れた。次の瞬間、奈々美の身体を、これまでとは比べ物にならない青白い光が包み込んだ。


 光が収まった時、雷を纏って揺れる長い黒髪を後ろで一つに高く束ねた、二十歳ほどの若い女が、右手に幅広の大剣を、左手に細く長い長剣を提げて立っていた。足元の短い戦闘用のブーツの踵が、ぱちり、と青白い火花を散らした。奈々美は、右手を夜空に掲げた。大剣の切っ先から放たれた雷が、雲のない夜空を真っ白に裂いて、轟音と共に、広場の真ん中の土に突き刺さった。


「……これで、聞こえたでしょう」


 奈々美が、静かに呟いた。消えかけた雷を探して、街を走り回っている紫の少女には、きっと、この音が聞こえたはずだった。一分も経たないうちに、南の夜空に、紫の稲光が走った。稲光は、まっすぐに広場へ向かってきて、均された土の上に、紫電の尾を引いて着地した。肩の上で跳ねる紫の髪の下で、大きな瞳が、赤く腫れたまま、それでも、獲物を見つけた猫のように光っていた。


「……雷の人」


 ナンバー1の声は、かすれていた。


「ねえ、ナンバー7、知らない? 白銀の髪の、ナンバー2も。……三日も、帰ってこないの」


 奈々美は、少しだけ目を伏せた。目の前の少女が、何を探してここまで来たのか、奈々美には分かった気がした。


「……知らないわ。ごめんなさいね」


「……そっか」


 ナンバー1は、うつむいて、それから、勢いよく顔を上げた。双剣に、紫電が、これまでよりもずっと太く絡みついていった。


「じゃあ、あなたと遊ぶ。……全部、忘れるくらい、思いっきり!」


 ナンバー1が、地面を蹴った。紫の稲光が一直線に走り、奈々美もまた、青白い稲光になって、真正面からそれを迎え撃った。二つの雷が広場の真ん中でぶつかり合い、衝撃で均された土が円く抉れ、夜空に雷鳴が二重に轟いた。


 速さは、互角だった。ナンバー1が右へ跳べば、奈々美も右へ跳び、ナンバー1が上から斬りかかれば、奈々美はその上へ回り込んだ。紫と青白の二つの稲光は、広場の上で何十回と交差し、そのたびに、双剣と大剣と長剣とが火花を散らした。商店街の夜には、奈々美のほうが押し込まれていた速さに、今夜は、少しも遅れなかった。


「すごい……前より、ずっと速い!」


 ナンバー1が、目を輝かせて笑った。


「でも、速さが同じなら、手数はあたしのほうが——」


 ナンバー1の言葉が、途中で途切れた。奈々美の右手の大剣が、ナンバー1の右の剣を受け止め、左手の長剣が、ナンバー1の左の剣を払い上げたその瞬間、奈々美の右足が、地面から跳ね上がっていた。ブーツの踵から、青白い光を纏った細い刃が、しゃきん、と音を立てて飛び出し、蹴り上げられた刃が、ナンバー1の脇腹を、下から深く切り裂いた。


「……え」


 ナンバー1は、何が起きたのか分からないまま、跳び退いた。だが、着地したその足元へ、今度は奈々美の左足の踵の刃が、横薙ぎに滑り込んできた。両手の大剣と長剣で双剣を封じたまま、両足の刃で、斬り、払い、蹴り上げる。


 腕が二本しかない相手の前で、奈々美の身体は、四本の刃を同時に振るっていた。広場の端で、汐里の肩に手を置いたまま、焔が、呆れたように目を細めた。


「……それ、やめたんじゃなかったの、奈々美」


「主人に見られて、はしたないって思ったから、やめたんです」


 奈々美は、ナンバー1の双剣を大剣で受け止めながら、振り返りもせずに答えた。


「今夜は、主人は迎えに来るだけですから」


「……二十年経っても、そういうところは、本当に変わらないわね」


 透が、小さく、けれど確かに笑った。ナンバー1は、必死だった。速さは同じはずなのに、どこから刃が来るのか、まるで読めなかった。上を受ければ下から、右を払えば左の足元から、受けた剣の陰から、跳び退いた先から、四本の刃が、次元の違う角度から襲いかかってきた。


 双剣の手数で押そうとしても、奈々美の手数は、その倍あった。ナンバー1の右腕を、長剣が浅く裂き、左の太腿を、踵の刃が深く抉った。ナンバー1の身体が、紫電の尾を乱しながら、均された土の上を転がった。


「……っ、う、あ……」


 ナンバー1は、双剣を杖にして立ち上がろうとしたが、脚に力が入らなかった。脇腹と太腿から、紫色の光が、血のように漏れ出していた。


 大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。痛みのせいなのか、悔しさのせいなのか、それとも、帰ってこない大きな背中のせいなのか、ナンバー1自身にも、分からなかった。


 奈々美は、大剣と長剣を下ろして、ナンバー1の前に立った。踵の刃が、しゃきん、と音を立てて、ブーツの中へ収まった。


「……もう、おしまいにしましょう」


 奈々美の声は、静かだった。


「あなたが探している子たちが、どこにいるのかは、私には分からない。……でも、こんなふうに一人で暴れても、その子たちは、きっと喜ばないわ」


 ナンバー1は、涙で濡れた顔を上げて、奈々美を見上げた。それから、唇を噛みしめると、最後に残った紫電を全身に纏わせ、跳ね起きるようにして、広場の外の夜空へと逃げ出した。乱れた紫の稲光が、何度も揺らぎながら、北の夜空の暗がりへ消えていった。焔は、追わなかった。透も、汐里も、その稲光を、黙って見送っていた。


「……逃がしてよかったんですか、先輩」


 汐里が、錫杖にもたれながら尋ねると、奈々美は、大剣と長剣を青白い光の粒に散らしながら、首を横に振った。


「いいのよ。……あの子、泣いてたもの」


 奈々美の身体を包んでいた光が、ゆっくりと引いていき、四十代の母親の姿に戻った奈々美は、均された土の上に、ふうっと息を吐いて座り込んだ。汐里も、焔も、透も、誰も、少しも消耗していなかった。三人分の魔力は、汐里の細い道を通って、奈々美の雷に、過不足なく流れ込んでいた。広場の入り口に、見慣れた古い軽自動車の灯りが、ゆっくりと近づいてきた。運転席から、上着を羽織った五郎が降りてきて、土の上に座り込んだ妻の姿を見つけると、ほっとしたように肩を落とした。


「……帰るぞ」


「ええ」


 奈々美は、五郎の手を借りて立ち上がった。焔と透は、その様子を少し離れた場所から眺めていたが、やがて、陽炎のように揺らぐ夜の空気の中へ、何も言わずに溶けていった。


 郊外の古い工場の地下に、ナンバー1が這うようにして戻ってきたのは、夜明け前のことだった。脇腹と太腿から漏れる紫色の光を押さえたまま、ナンバー1は、一段高くなった場所の前で、崩れ落ちるように膝をついた。片腕のない、温度のない人の形をしたものは、何も言わずに、片方しかない手をナンバー1の傷口にかざした。紫色の光が、ゆっくりと傷を塞いでいく間、ナンバー1は、声を殺して泣き続けていた。


「……四本、あった」


 ナンバー1が、しゃくり上げながら言った。


「雷の人、刃が、四本あった。……手と、足と。どこから来るか、全然、分かんなかった」


 無響は、答えなかった。ナンバー2とナンバー7は戻らず、ナンバー8の寝床は空のまま、そして今、ナンバー1までが、写しの元ですらない、二十年前に剣を置いたはずの雷に、深手を負わされて戻ってきた。無響は、片方しかない手を、ナンバー1の傷口から離すと、その手を、ゆっくりと自分の額に当てた。地下の暗がりの中で、その仕草だけが、また、ひどく人間じみて見えた。

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